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井ノ原さんの誕生日の思い出

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井ノ原さん、40歳のお誕生日おめでとうございます。

 

誕生日になるとついつい何か綴りたくなるのがファンの心境。私も今日は井ノ原さんについて書いておきたい。

 

「井ノ原さんの誕生日」というお題で何かを書くとするなら、私は2003年5月17日の出来事を選ぶ。

顛末を思い出しただけでも泣いてしまうような、あの日のことを。

 

 

 

 

この日、日付が変わって長野さんから届いたバースデーメールに「メンバーで一番乗りだぜ!」と返信したところ1番乗りというかそれ以降誰も続かなかったという残念なところから井ノ原さんの27歳の誕生日は始まった。

 

この日は20th Centuryのコンサートツアー東京公演が2公演あった。

2部の途中、井ノ原さんのソロでバックについていたJr.が急にはけてしまい、訳も分からずステージに取り残された井ノ原さんに対して流れ始めたのは誕生日を祝うビデオメッセージ。

TOKIO・国分太一さん、ブラザートムさん、ガチャピン&ムック(当時ポンキッキーズ21に出演中だったため)、少年隊・植草克秀さんと、それぞれからメッセージが贈られる。

 

それに続いて会場にはガチャピン&ムックが駆けつけ、観に来ていたカミセンが国分さんからのバースデーケーキ(井ノ原さんの名前より国分さんの名前のほうが大きく入っている、しかも井"ノ"原ではなく井"が"原になっていた)を運び込む。

 

と、こうまとめるととてもスムーズな流れに見えるのだが、実際はこんな段取りなど知らなかった井ノ原さんは前半にかなりやらかしていた。

誰も触れないので自分で誕生日の話題に触れたり、まだ出てくるタイミングではなかったカミセンを無理やりステージに呼び込んだり。

段取りが狂ってしまいステージ上のメンバー同士で「どうする?」とコソコソ話が展開されるくらいには予想外の空回りっぷりを見せていた。

 

今だったらおそらくこんなことはしないだろうが、当時の井ノ原さんを思い返すと「あ〜いかにもやりそう…」と納得する。というか実際にやっているのだが。

 

そんな井ノ原さんはガチャピン・ムックが駆けつけた時点で「来るなら言ってよー!」と号泣。

 

ケーキを運び入れ、会場全体でハッピーバースデーを歌いカミセンからはそれぞれお祝いのコメント。

 

以下カミセンのコメントについては「NATURAL」さんより引用させていただく。

森田 

VTR(のみんなからのメッセージ)とか見てもわかるけど、皆さんから愛されてるなぁ…って。これからも愛される、そしてみんなに笑顔を振りまく優しい俺の兄貴みたいな存在でいてくれたら、と思います。

三宅

泣いてる井ノ原くん見るとこっちまでウルウルしちゃってんだけど、いつも井ノ原くんがふざけてバカなことやってくれたりすると、悲しいこととか、何かツラかったりとかしてもどっかに吹っ飛んじゃう。ホントにいつも笑顔にさせてくれて井ノ原くんには感謝してます。いつもありがとう。

岡田

大好きなイノッチ。ここにいる皆さんもそうだと思いますけど、僕らも含め、ここにいる皆さんがイノッチの笑顔でいろんな力を貰っていることを忘れないでください。たまには、ツラいときとか寂しいとき悲しいときいろいろあると思うんですけど、そういうときは僕らも含め、皆さんにも甘えたり悲しい顔を見せても、僕らはそういうイノッチも好きなんで、これからも大好きなイノッチでいてください。

コメントをもらう際、森田さんとハグ、三宅さんともハグ、握手だけで済まそうとした岡田さんとも結局ハグ、という流れも今より若いこの頃の関係性が出ていて懐かしい。

 

坂本さん、森田さん、三宅さんは号泣する井ノ原さんにもらい泣き。

井ノ原さんは自分からもらい泣きをしているその様子を見て「もらい泣きしている姿にもらい泣き」現象を起こしさらに号泣。

森田さんからの「兄貴」や岡田さんの「大好きな」は特に涙腺を刺激したらしく、もちろん今この文章を打っている私の涙腺だって刺激されている。

 

井ノ原さんの号泣は静かに泣くタイプではなく、表情をゆがませ顔を涙でグシャグシャにして泣くほうのタイプである。

 

「27年前の今日生まれただけなのに」

「生まれてきてよかったよ」

と語ったというこの日のエピソードが、私は大好きだ。

生まれただけなのに、という言葉を選ぶあたりがとても井ノ原さんらしい。

 

昨年は20周年の節目で「トニセンとカミセンの橋渡しをしたのは井ノ原さんだ」という話題をよく耳にした。間に入りコミュニケーションを円滑にし、バランスを取っていたと。

 

そんな構図がもたらした関係性が顕著に表れていたのが、この2003年井ノ原さん27歳のお誕生日会のくだりだったのかもしれない。

 

お兄さん方に見守られ下3人も駆けつけ、そこまで泣くかというほど泣いてしまった井ノ原さん。

そういう6人の構図に「こういうところが好きなんだよー!!!」と当時改めて思ったものだ。

 

 

最近の井ノ原さんのMCっぷりを見ていると、昔とは少し変わったなあと思う。

例えばコンサートのMCで、もし誰かあまり喋らない人がいたとする。 

昔の井ノ原さんなら、

「なんだよぉ!なんでお前喋らないんだよ!もっと来いよ〜〜!!!」

と言いそうだ。

思い切りふところに飛び込んで行って半ば無理やり引っ張ってくるようなイメージ、だろうか。

 

とにかく熱くて、熱すぎてたまにウザいくらい。

喋りすぎて他担から「イノッチ喋りすぎ…」と思われてしまったり。

事実めちゃくちゃ喋っていたのでそう思われてしまうのも無理はないのだが。

ハイテンションは時に空回り、そんな井ノ原さんを見ているのも好きだった。

 

昨年のコンサートパンフレットで、長野さんから井ノ原さんへのコメントはこんな内容だった。

長い付き合いですけど、最近はみんなの潤滑油になってくれることが多くて、すごくありがたいです。昔の井ノ原は潤滑油というより"かき回す"ほうだったから、余計に。(笑)

 

 

今の井ノ原さんが同じ状況で話を振るのなら、

「僕は〜〜だと思うんだけど、◯◯はどう?」

というような振り方をするのではないか。 

無理やり手を引いて引っ張り出すのではなくて、相手の意見をまず聞きながら無理のないようにそっと手を差し伸べるようなイメージだ。

 

熱いことをあえて伝える、その中にも優しさはあった。

言いづらいことであっても思ったことは伝える。そこにはものすごくエネルギーを使うし、思っているからこそぶつけたくなる。

「本気で怒ってくれる人」は、「本気で心配してくれている人」だったりするものだ。

 

今の井ノ原さんの優しさはと言うと、とんでもなく優しい。

めちゃくちゃ優しい。わかりやすいくらい優しい。

 

昔とは少しかたちを変えた今の優しさは、周りの人も優しい気持ちにさせてしまうような「伝染する優しさ」だと思っている。

 

 

そんな姿を見ていて私はたまに戸惑う。

 

ハイテンションなとこ、ウザいとこ、空回りするとこ、調子に乗るとこ…と書き挙げていたら「なんかこういうの最近見たぞ………西野カナの新曲やないか!!!あなたの好きなところ - 西野カナ - 歌詞 : 歌ネット)」と気づいてしまい、我ながらものすごく恥ずかしいことをしている気分になってきた。

…とにかくそういう長野さんの言うところの「かき回す」ようなところ。

そういう部分が大好きだった私は、たまに今の井ノ原さんの様子に戸惑ってしまうことがあるのだ。

 

だからこそトニセンで出演しているラジオの中で、「あさイチ」で見せる顔とは違ったふよふよと定まらないような思いつきのでまかせ発言を連発しているところを目の当たりにすると「これこれ!待ってました!」とばかりに猛烈にテンションが上がってしまう。

 

どうやら私はまだまだ井ノ原さんにウザく居てほしいらしい。

最近はめっきりそんな場面も減ったが、たまには全力で愛のある「ウゼええええ!」の言葉を投げかけたい。この場合の「ウザい」は「=好き」、だ。

 

 

と、そんなことをこの2016年5月17日にしみじみ考えながら過去の楽曲を聴き返していた。

 

V6には膨大な数の楽曲がある。

その中でも井ノ原さんのソロ曲をはじめ、彼がメインである曲を中心に聴き返していた。その中には長い間聴いていなかった曲もあった。

 

最近は聴き込めば聴きこむほど感情が揺さぶられて疲れてしまうので、用法用量を守りながら粛々と服用させていただいている。

 

今日久々に、本当に申し訳なくなるほど久々に「I・N・O=NUT KID」という井ノ原さんのソロ曲を聴いた。

どれくらい久々かといえばどんな曲だったか軽く忘れてしまっていたほど、だ。

 

この曲が収録されたアルバムが発売されたのは2007年9月のこと。

今から9年前、井ノ原さん31歳の頃に作詞・作曲したものである。

 

大人になっても 空回りの日々を

余儀なく過ごしていくとして

型にはまるのは よろしくないから 心してまた明日

(「I・N・O=NUT KID」/井ノ原快彦 ソロ曲」

 

昔は空回りしていたなぁ〜…なんて思い返していたところに不意打ちでこの歌詞が飛び込んできたのでうっかり出先で泣きそうになってしまった。

 

「空回りすること」はあの頃の井ノ原さんのアイデンティティーのようなもので、それを背負っていくことを前提としているような歌詞。

うまく言葉でまとめられないが、今の井ノ原さんを形作ってきた過去の中に確実にあの頃の空回りも生きてきているような気がして、それを超えてきた上の40歳なのだということをずっしりと感じた。

 

 

来月発売されるV6のシングルに収録されるトニセン曲のタイトルは「不惑」。

Beautiful World

Beautiful World

 

 歌詞を見てみなければどの程度リンクしているかわからないが、トニセンが全員40代に突入するこのタイミングでのこのタイトルは偶然ではないだろう。

 

不惑というのは40歳の異名であり、由来となる言葉は孔子が晩年に自らを振り返って言った言葉の中の「四十にして惑わず」。

意味は「人は四十歳に達すれば自らの生き方についてあれこれ迷わない」ということ。

 

ちなみにこの孔子の言葉、全文は

吾、十五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順う。

七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。

15歳で自分の求める分野での学を志し、30歳で自立し、40歳で迷いがなくなる。50歳で天から与えられた使命を知る。60歳で素直に人の言葉に耳を傾けられるようになり、70歳で思うままに生きても道から外れるようなことはなくなった(悟った)。

 

 

40歳になった井ノ原さんが見せる「不惑」は一体どんなものなのだろう?

 

もう生き方をあれこれ迷うような年齢でもないのかもしれないが、型にははまるのはよろしくはないのでどうかこれからもたまには調子に乗ってあほなことをしでかしてほしいものである。

 

とにもかくにも、井ノ原さんハッピーバースデー!!

素敵な四十になればいいと願うばかりだ。

  

イノなき

イノなき

 

 

 

 

 


三宅健と佐久間大介の関係性がおもしろい件 〜「三宅健のラヂオ」にSnow Manがやってきた 編〜

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滝技歌舞伎2016が無事閉幕した。

 

49公演という長丁場。

開幕3公演目で三宅さんがケガをし「残りの46公演を骨折したまま乗り越えなければならない」という事実が突きつけられた時には愕然としてしまったが、走り出してしまえばなんのそのであっという間の約1ヶ月だった。

 

 

以前この記事を書いた時、私は三宅さんにグイグイ来ているSnow Man佐久間さんについて「最終的にここだけまとめたい」と書いていた。

 

4月17日の時点ですでに「この子はなんだ?!」と気になって仕方なかった。

どうぞそのまま駆け抜けて下さいと思っていたら、そのままどころか勢いは増すばかりだった。

 

先輩後輩というか、相方になろうとしたり兄弟の契りを交わそうとしたり、千秋楽には「健くんと親友になれたことが嬉しかったです!」「あ!親友じゃなくて彼女ですね!」と、とんでもないところまで突き抜けていた。

 

おそろしいモンスターが現れたものである。

 

そんなわけで全公演が終わった今、レポをたどりながら三宅健・佐久間大介まとめをしている。

その中の一環として先日「三宅健のラヂオ」にSnow manのメンバーが2週に渡って3人ずつ登場した回について書いていたら、案の定というか番組公式サイトによる文字起こしが一部省略されていた。

 

毎度のことながら「いやいや、そこが面白かったのに!!」というところが省略されてしまっていたので、改めて文字起こしをしてみた。

滝沢歌舞伎本編の事とまとめて記事にしようとしていたのにラジオの内容だけで大容量になってしまったので、ひとまずはそちらについて先に記事にしておこうと思う。

 

 

 

三宅健のラヂオ/2016年5月2日放送

(Snow Man 岩本照・宮舘涼太・佐久間大介ゲスト回)

 

三宅「三宅健のラヂオとしてはですね、後輩の方がゲストに来るのはですね、久しぶりかな?さぁ自己紹介をお願いします。」

岩本「はい!Snow Manの岩本照です。宜しくお願い致します!」

宮舘「Snow Manの宮舘涼太です!宜しくお願い致します!」

佐久間「Snow Manの健くんのJr.の相方!佐久間大介で~す!お願いします!」

三宅「なんなんだよ(笑)凄いなあ、そういう感じでラジオをやっていくのか。」

いきなりフルスロットルで飛び込んできた佐久間氏。

「Jr.の?相方?とは???」と、いきなり放り込まれた迷言に混乱させられた。

一言目から、一連の滝沢歌舞伎レポから伝え聞いていた「佐久間」を100%、いや120%出してきた。

 

三宅「ほら君たちのことを知らない人も居るから、ジャニーズJr.の中のSnow Manということなんだよね。ジャニーズJr.の中にいくつもグループがあって、その中のSnow Manというグループなんだよね。年齢は?」

岩本「22歳です。」 

宮舘「23歳です。」

佐久間「佐久間23歳で~(三宅「お前は大丈夫!」)す!

いやいやいや途中で入ってこないでくださいよ!僕喋ってますから!(笑)」

三宅「そう。23歳、22歳、若いね~。この3人は仲は良いわけ?君たちの中で仲の悪い子とかいるの?」

宮舘「若干やっぱり一人(笑)」

岩本「空気の読めない。」

三宅「今日の真ん中がピンク色のジャージを着ている、彼ね。」

宮舘「楽屋でも凄いうるさくて、健くんの楽屋にも毎日」

三宅「本当だよ。どうにかしてくれよ。」

宮舘「すいません本当に、おじゃま…」

佐久間「これ!僕、佐久間の話してます?」

三宅「…お前しかいないだろ(笑)」

宮舘「本当に一人空気が読めない奴がいて。」

三宅「本当に、なんで?どういうことなの?この人。なんなの?どういうつもりなの? 

宮舘「どういうつもりなんでしょうねほんとに。」 

佐久間「僕は!興味がある人にはもうめちゃめちゃグイグイ行っちゃうんですよ。」 

三宅「そうなの?じゃ、松潤のところにもグイグイ行ったほうが良いよ。」

佐久間「いや~、松潤は怖いですね。」 

岩本「『松潤』って言うんじゃないよ!

佐久間「松本君は怖いですね。でも健くんは凄い優しいんで。僕もう…」

三宅「いやいや、優しいと思いきやそうはいかないからな。」

佐久間「おや??」

三宅「仏の顔も三度までってやつだからな。

佐久間「なるほどぉ。

じゃ、今日もこの後楽屋にちゃんと行きまっす!」

三宅「来なくて良いよ(笑)」

佐久間「えぇ〜!?」

岩本「話聞いてたちゃんと?」

佐久間「えぇぇ、もう毎日のようにいますからね僕たち!」

 

空気の読めない「KYキャラ」としてのいじりには、昔々に三宅さんが「絡みづらい」とメンバーからいじられていた件を思い出した。

 

2008年三宅さん29歳時のコンサートMCで大失敗した、例のアレである。

 

コンサートMCでメンバー5人が三宅さんを先生と呼びつつ「三宅健は絡みづらい」というコントのようなノリを繰り広げる→三宅さんが「これはいじめですよ!」とネタに走りながら軽めに警鐘を鳴らそうとしたところ勢いで突っ走った結果予期せぬ方向へ進んでしまい変な空気になってしまう、という事態に発展。詳しくは以前書いたのでこちら参照。

V6は29歳の時何をしていたのか?(5)三宅健編 - ループ ザ ループ。

 

三宅佐久間まとめ、という本筋からは少しはずれるのだが三宅さんもこのノリをネタとして処理できるようになったのだなあ、と思うとなんだか感慨深い。

あくまで今回の三宅さんの立ち位置は「新しい顔ぶれとして滝沢歌舞伎に参加させてもらっている」側で、郷に入っては郷に従え、に準じただけの可能性もある。

 

が、嬉々としてこのノリの中にいる三宅さんは本当に楽しそうだ。

まさか今回こんな形でJr.と絡むことになるなんて微塵も思っていなかった私としては公園で遊ぶ孫を微笑みながら見ている、というくらいにはほほえましく思っていた。

 

ノリはノリでしかなくそれ以上でも以下でもない。

三宅佐久間による絡みを私はそんなふうに受け取る。

 

ここから先の文字起こしの中には文字面だけで見ると誤解を招きかねないノリもある。

けっして悪意のあるものでは無いだろうに悪意と受け取られてそのまま拡散されてしまったりするのは痛ましい。

何をどうしたところで100%誤解を招かないものなんて無く、誤解する人が出てくるのは仕方ないのだが私は楽しく翻弄されていたい派である。

そのためこの記事も「楽しく翻弄されている人が面白おかしく楽しんじゃってる記事」と認識していただけると幸いだ。

 

佐久間さんの荒削りなこの爆走暴走具合を見ていると、方向性はまったく違うものの三宅さんの発言にハラハラする際と似たものを感じる。

方向性は本当にまったく違うが。

彼らのノリを踏襲するのならば、全然違う。全く違う。微塵も似ていない。と言っておきたい。似てるけど。

 

荒削りなところに振り回されてしまうこの感情は、なんだか懐かしくもある。

ああハラハラするなぁ、誤解招きそうだなぁ、若いなぁ…なんて思いつつ、その青い部分がかわいらしい。

二十代前半なんてまだまだ、そんなおイタくらい可愛いもんじゃないかい…と、これまたやんちゃな孫を見る達観した婆さまのような目線で思ってしまう。

 

 

 

憧れの先輩について語る

佐久間「僕は!三宅健くんですね!」

三宅「いやいや、それはとってつけたみたいな。誰に憧れて来たの?」

佐久間「松本潤くんですね。」

三宅「あ!MJ?MJに憧れて入ってきたんだ。」

佐久間「そうですね、ストイックなところに『うわ凄いなあ』と思って憧れて。

でもこうやって滝沢歌舞伎で健くんと絡んで、健くんめっちゃストイックじゃないですか?

もう僕の中の欄では入ってきてますねもう。憧れの先輩の欄に入ってます。

三宅「へー…ふーーん…」

佐久間「いやいやいやぜーんぜん聞いてない!(笑)なんなんすか〜、えぇ?(笑)」

三宅「何なんだよその乗り換えプランみたいなやつ(笑)やめろ!!(笑)」

佐久間「いやいやいやそんな軽いもんじゃないですよ!

でも知ってます?僕たちスタッフさんに、僕たちの関係なんて言われてるか。

僕のことなんて言われてるか知ってますか?」

三宅「僕たちってのは誰なの?」

佐久間「あのー、佐久間と健くんの関係で佐久間のことをなんてスタッフさんが言ってるか知ってます?」

三宅「知らない。」

佐久間「あの、『三宅くんの彼女』って呼ばれてます。

三宅「なに?どういう事?(怪訝)」

佐久間「もう入り浸ってるっていうので、楽屋に。」

宮舘・岩本「初耳ですね。」

三宅「お前が勝手に言ってるだけなんだろう?」

佐久間「いやいやいや!違うんすよ、これはマジで言われてるんですよ。」

宮舘「だとしたら怖いよ相当。」

三宅「本当にどこに行くのも着いてくるんだから。

袖とかで会うじゃない?そしたら『健くんまた後で会いましょう』とか言っつって」

宮舘「こわ!」 

三宅「『会いましょうね!、また後で会いましょう!』とか言っつって、どういうテンションでなんかフェアリー感出してるのか、なんなんだろう。」

周りから「三宅くんの彼女」扱いされていることを嬉々として語る佐久間くん。

そして三宅さん評の「フェアリー感出してるのか」というのも吹いた。フェアリー感とは…。

 

宮舘「ずっと笑顔で手振ってますもんね、健くんのほうに」

三宅「ほんとだよ!なんで袖であの『LOVE』ってところで俺の方を見てるんだよ!前を向いてろ!」

佐久間「いやいやいや健くんに、だって僕絡みたいですもん!」

三宅「なんなんだよ(笑)」

岩本「佐久間がここまでね、先輩に行くの珍しい」

佐久間「僕も初めてなんですよ。」

三宅「なに?ちょっと気持ち悪いんだけど

佐久間「えへへへ(笑)いやいやいや」

三宅「やめてくれよ、ロックオンとかしないでくれよ。」

佐久間「いやいや、じゃ今度お家に行きますよ。」

三宅「いやいや行かなくていいし来なくていいから。」

佐久間「いいんすか?」

三宅「俺は人を家に入れないんだよ。」

佐久間「えー!じゃ僕が一人目になるってことですねっ!

三宅「いやいやダメだようちのメンバーだって入ってことないんだから。」

佐久間「え?!まじっすか?それはすごい光栄ですね!

三宅「そうだよ、岡田がずっと俺の家で風呂を入ろうとしてるのを断固として拒否してるんだから。」

聞きしに勝るポジティブよ。

他人を家に入れない→(入ることを前提として)僕が1人目!

メンバーだって入れたことがない→(入ることを前提として)光栄!

ネガティブな言葉をかけられると少しはそちらに引っ張られるはずなのに、もはやまったく聞こえてないんじゃないか?というくらいのポジティブ返し。

 

 

三宅さんの電話番号を入手したくて、食事に行きたくてたまらない佐久間くん 

V6メンバー間でも番号を知らない人がいる、相手が勝手に番号変えちゃうのでだったらこっちも聞きませんけど?というスタンスで連絡を取るときはマネージャーを通す、という話題から

佐久間「え!でも健くん、そのスタンスだったら僕メッチャ健くんに電話番号聞いてるじゃないですか。」

三宅「いやだから佐久間にもマネージャー経由にしてくれって。」

佐久間「いやいや(笑)教えて下さいよぉ。」

三宅「この人さ、だってさ。稽古場で稽古終わりに、みんなも帰っちゃってさ。

着替え場が違ったじゃない、Jr.の子たちと僕と。

そしたら『僕着替えてきますね健くん、待っててください!』とかって言うから、稽古場のところでさ。

こいつ着替えて待ち伏せしてたらしいんだけど、ヤバイなと思ったからさ、もう即行でエレベーターに乗ってさ、『直ぐ車出して行ってくれ!』ってマネージャーに言ってさ、出してたらさ。

松竹のスタッフさんからうちのマネージャーさんに電話がかかってきてさ。

『あの三宅さん、佐久間くんが三宅さんのこと待ってるみたいなんですけど』とかって、『どうしたら良いですか?』ってなって。

どうにかしてご飯にこぎ着けようとしてるからさ、しょうが無いからさぁ、回転寿司に一緒に行ってさぁ。」 

佐久間「へへ行きましたねぇぇ(嬉しそうに)」

三宅「これどうなの、ほら、同じメンバーとして。」

岩本「そこまで知らなかったよね?なんか健くんがご飯連れて行ってくれた、ぐらいしか聞いてなかったので。」

佐久間「めっちゃ自慢しました僕!メンバーに。」

三宅「こいつが待ち伏せしてたから。」 

宮舘「いやもう行きたかったです。宮舘も行きたいです。」

佐久間「いやソレはまだ早いよ!早い。

こんなに僕がやってるのに、早いってまだ、みんなは。

ねぇ!健くん。」

三宅「いや全然良いよ。岩本と宮舘も行こうよ!」

佐久間「いやいやいや」

岩本「ぜひお願いします!」

三宅「佐久間抜きで行こう!」

佐久間「いやいやおかしいですおかしいです!」

岩本「その方が平和なんで。」

佐久間「僕がいないと始まらないですから!」

三宅「良いんだよ、子供は黙ってろよ。

佐久間「えーへっへ。ダメっすかあ?」

三宅「お前はなあ、三度の飯よりなあ、アニメを食ってりゃいいんだよ!

佐久間「そうっすねえぇぇ~~、アニメ好きなんすよぉ~(デレデレ)」

宮舘「受け入れんのかい、そこ

全員「(笑)」

 

出たー!三宅さんの真骨頂、相手をバッサリ切るやつー!!!

と思いながら聞いていた「子供は黙ってろよ」からの「三度の飯よりアニメを食ってりゃいいんだよ」発言。

佐久間くんファンの方に言っておきたいのは三宅さんのこのあしらいは「ツンツンを前面に出した、時折現れるわざとらしいSキャラ」のパターンなのでご安心いただきたい、ということである。

 

何にびっくりしたかというと、大体三宅さんのこのパターンが出ると相手は一歩下がる。

自由奔放にツンツンキャラで走り出した三宅さんは、少なくともこの「三宅健のラヂオ」内では走りっぱなしになる。ひとしきり走ったあとで満足したのか自分でも可笑しくなったのか「フフッ(笑)」と笑ってハイ終了、そんな流れが多い。

 

ところがどっこい、「アニメを食ってろ」と言われた佐久間くんはとんでもなくデレデレした様子で「そうっすねぇぇ〜〜アニメ好きなんすよぉぉぉ〜」

ちょっと待って何この子。

おもしろすぎる。この空間に居合わせていない私までもがなぜか「ねえどうしたらいい?」と途方に暮れたくなる。新人類、あらわる。

 

そして佐久間くんが粘って三宅さんと一緒に行ったという回転寿司。

これは三宅さんが「用事がある」と言っているのに佐久間くんが待っていたため、結局30分だけ、という約束で一緒に行ったらしい。

あんなに嬉しそうにメンバーに自慢までしていたのに実はたった30分。

嬉しがりすぎだろう。嬉々としすぎだろう。

 

とはいえ、あの三宅さんを30分だけでも付き合わせたのはすごい。

そして結局付き合ってあげる三宅さんもなんだかんだで付き合いがいいなと思ってしまった。

 

三宅「今日は別にアニメの話をしてもらわなくて構わない」

佐久間「え、大丈夫っすか?でも健くん家で一緒にアニメ見るっていう約束…」

三宅「いや全然いい!」

佐久間「ありましたよね?」

三宅「結構です。」

佐久間「いやいや言いましたよね?健くん家の大画面でアニメを見る、」

三宅「いやいやいいです結構です」

佐久間「V6のファンの人と、もう健くんのファンの人、の愛を僕は越えようとしてるんですよね。

三宅「どういうこと?」

佐久間「僕の愛のほうが、健くんに対して強いぞッ!、ていうのを」

三宅「見せつけたいわけ?」

佐久間「はい。」

三宅「ソレを本番中に(笑)やってるわけ?(笑)(ウケてる)

宮舘・岩本「(笑)」

宮舘「あ、そうなんだ。」

佐久間「もう、『負けないぞォォオ~☆』っていう勢いで。」

 

ちょっと待って何この子。

急にファンと愛情くらべを始めた佐久間くん。ちょっと待って、どこと張り合っている???どこへ行きたい???

 

唐突にライバル扱いされたわれわれファン。

佐久間くんの言い方ももはや語尾にお星さまがついているような言い方である。フェアリー感ある。

「負けないぞ!」ではなく「負けないぞォォオ〜☆」。

この場合、1ファンとしては佐久間…敵!」と睨むよりは「こっちだって、負けないんだからァァ〜!」とプンプンしながら返すくらいのテンションでいるほうが正解のような気がしている、というかそのテンションで乗っかっておくととても楽しい。

いや、そもそも張り合われている時点で「何?どういうこと?」と混乱させられているのだが。

 

三宅「あ、そうなんだ。ソレを何?アピールしてるんだ。お前は。」

佐久間「はい。」

三宅「赤ら顔で。

佐久間「はい。へへへ(笑)」

三宅「直ぐに顔が赤くなっちゃうのね。」

佐久間「そうなんですよねぇ~。」

三宅「なんでどういうこと?」

佐久間「いやわかんないんです、恥ずかしいんですかねぇ?」

三宅「恥ずかしくなると赤くなるの?」 

佐久間「やっぱ健君とぉ、こう喋ってると照れちゃいますよね!」

三宅「あぁ、そう…」

宮舘「何キャラだよもうさっきから。

三宅「ちょっとよくわからないよなぁ?」

岩本「会話ができてないっすからね。」

三宅「そう成立してないから困るんだよな。」 

佐久間「ははは(笑)」

いや、赤ら顔で「負けないぞォォオ〜☆」って言うてたんかい。

そして三宅さん、顔が赤くなる理由をグイグイと追求するあたり容赦ない。

もうそっとしておいてやれと思ってしまうくらいさりげなくSっ気が漂っている。こういうヤツ少女漫画でたぶん見たことある。

 

滝沢歌舞伎の公演内では滝沢座長に「佐久間は慌てると顔が赤くなるのでそこ注目してください」とも言われていた。

 

どうやら動揺すると顔が赤くなるようだ。なにそれかわいいじゃない。

 

「負けないぞォォオ〜☆」を果たしてどういう心境で言ったのかはわからないが…いやただの勢いなのかもしれないが、少なくとも赤ら顔になってしまうくらい内心ドギマギしていたのは間違いない。

 

三宅「お前あれだろ、ABCで言うところの塚ちゃんタイプだろ。

全員「(笑)」

三宅「えぇ?塚ちゃんタイプだろぉ、お前~」

佐久間「塚ちゃんタイプですか?僕、王子様系じゃないんですかぁ?

三宅「全然王子様じゃない(笑)やめろー王子様はなぁ、アニメオタクじゃねえんだよ!」

佐久間「まずそこなんすね!」

三宅「そこからかけ離れていっちゃってる(笑)」

佐久間「じゃあ二次元の王子様になります!

「塚ちゃんタイプ」といういじり方を見つけ出した三宅さんは非常に嬉しそうであった。

「僕、王子様系じゃないんですかぁ?」とまたも飛び出すポジティブ佐久間くん、前向き具合はもうNONSTYLE井上さんレベル。そして「二次元の王子様」って何?

 

ファンと張り合ったと思いきや、急にこちら側へ来る佐久間くん

(佐久間くんがアニメ好きなのはわかったので、ほかのメンバーの趣味は?という質問。宮舘さんが料理と答えたところで佐久間くんが割り込んでくる。)

佐久間「健くんは料理しないんですか?」

三宅「しない。」

佐久間「しないんですか?!まじっすか、じゃ僕ご飯作りに行きます。」

三宅「全然いいです。」

宮舘「僕がじゃあ、」

三宅「それも大丈夫です。」

宮舘「えーそこは(笑)」

佐久間「じゃわかりました!まずは楽屋にぃ、お弁当を持ってくるっていうところで良いですか?

三宅「誰が?」

佐久間「あ、僕と、宮舘が。」

三宅「お前キャラ弁とか作って来るんじゃねえぞ(笑)」 

全員「(笑)」

三宅「やめてくれよ!(笑)」

佐久間「僕、でもちょっと、絵を描いたりしてるんですよね。」

三宅「絵描けんの?」

佐久間「いやー描けるようになりたくて練習してて。」

三宅「あーそうなんだ。」

佐久間「で昨日こうやって健くんの、思い出しながら健くんの顔描いてました。

三宅「なんで?? 

宮舘「やばいよ、こわいよ。

三宅「お前それ、ファンの人と変わんねえじゃんか。」

佐久間「じゃあ一緒の気持ちなんですねぇ僕!ファンの人と。 

三宅「いや…わかんないなぁ…

佐久間「V6ファンのみなさんと健くんのファンのみなさん!ぼく、みんなと、おなじです!!!

三宅「どういうことなんだよもうこれ…」

 

いやいやいや、さっき張り合って「負けないぞォォオ〜☆」言うてましたやん。どうしたどうした。

こちらとしてはいきなり頭を叩かれて「何?!」と混乱していたら握手を求められたくらいのスピード感だ。三宅さんの発言通り「どういうことなんだよもうこれ…」状態。

佐久間くん、展開がジェットコースターすぎる。

 

 

横から話題を取っちゃう佐久間くんと、したり顔でいじる三宅さん

宮舘「(略)と、宮舘、僕は思いますね、はい。」

三宅「いいねえ!ちゃんと自分が誰かを言う。佐久間とは大違いだ!

佐久間「佐久間です!!

宮舘「佐久間ってそういうとこあるんですよねえ」

三宅「佐久間はもう、一回言えば俺のことはだれもわかってる(と思ってる)(笑)そこらへんがこわいんだよなぁ(笑)」

佐久間「えぇ〜!?」

三宅「おそろしいよお前」

佐久間「健くん!あ、佐久間なんですけど。

三宅「ほらもう!(笑)気づいた?こうしてる間も、宮舘が今喋ってる、俺のいいエピソードをしゃべってるのにそれを今こいつは全部横取りしていこうとしてるからね!」 

佐久間「(笑)」

宮舘「そういうとこあるんですよね!確かに。」

三宅「いやーもしなんかあれだな、問題があるとしたら鬼門は佐久間だな。このグループは。

佐久間「ええまじですかあ、それ」

三宅「佐久間を軸に揉めちゃうやつだな、これ」

佐久間「あ、僕の取り合いってことですかじゃあ!

三宅「オイいい加減にしろよ!!!(笑)(すごく楽しそうな笑い)

全員「(笑)」

佐久間「えぇ~?!じゃないんですか?!」

三宅さんの一撃「鬼門は佐久間」が炸裂する中、「佐久間を軸に揉めちゃう=佐久間の取り合いが勃発」と解釈する佐久間くん。

もうここまで来ると大笑いしたあとで「そのポジティブさを分けて欲しい…」としみじみ尊敬してしまう。すごい。鬼ポジティブ。

 

それに対する三宅さんの「いい加減にしろよ!」はこみ上げる笑いを抑えきれない口調で発されていたので、これは相当佐久間くんのことを気に入っているのだろうなと確信した。

 

 

ラジオを聞いているファンの方へのメッセージを求められているのに

佐久間「僕健くんに言いたいことあるんでいいんすかー言っても。僕佐久間、健くんに言いたいことがあるんで

岩本「ファンのみなさん、ラジオを聞いてる皆さんに向けてのメッセージなのに?」

佐久間「はい!健くんへ向けてのメッセージ!」

三宅「はいはいなんでもいいよ、言っても。」

佐久間「いいんですかぁ?いやもうこんだけ、今回の舞台でいっぱい絡んでるじゃないですか。楽屋とかで。」

三宅「お前が勝手に絡んできてるんだけど。

佐久間「で、もう、僕思ったんですけど、じゃあ先輩・後輩を超えて、もう兄弟になっちゃおうかな

三宅「どういうこと? 

佐久間「僕が健くんのことを『お兄ちゃん』って呼んで良いですかね?

三宅「え?どういうこと?お兄ちゃん?」

佐久間「はい。先輩後輩の垣根を超えてもう兄弟になっちゃおうと。」

三宅「どうする?どうしたらいいの?ゴールが見えないんだけど。

佐久間「ゴールも何もないです。」

三宅「ゴールは何?えぇ?」

佐久間「兄弟で楽しく居るっていう。

三宅「どういうことだよ。誰かこの、佐久間くんのファンの人どうにかしてください、ほんとに。

佐久間「(笑)だいじょぶです!」

三宅「もうね、言っている意味がよくわからない!」

佐久間「えぇ〜だめっすかあ?健くんと兄弟になりたいっすね」

 

えっ、どういうこと?

三宅さんも「どういうこと?」を連発しているが本当にその通り。

よく考えてみてほしい。

ここまでの流れは「スタッフさんたちから『三宅くんの彼女』と呼ばれている」→「ファンをライバル視する」→「ファンのみなさんと僕、同じです!と急に和解」→「兄弟になりたい」

えっ、どういうこと???どこへ行こうとしている???

 

三宅「あと、先この場でも言っておくけど番号は教えないからな。」

佐久間「え、だめっすか?!」

三宅「うん、ダメだ。」 

佐久間「マジでマジでお願いします。」

三宅「番号は教えないから。」

佐久間「だってご飯食べるときとか大変じゃないっすか、僕がこう楽屋に行って毎回聞くじゃないですか」 

三宅「いいじゃんだって、君たちが生まれてない時代は携帯電話なんてなかったんだよ?だからもうさ、あれだよ。食べるときは必ずマネージャーに言うから」 

佐久間「いやいや僕健くんに言いたいっすもん!」 

三宅「マネージャーからお前んとこに、もし食べるってことね、まあ、無いかもしれないよ?ほぼ無いだろうね。無いだろうけど、

佐久間「いやあります!いっぱいあるいっぱいある!(駄々をこねる)

三宅「もし万が一あるとしたら俺はマネージャーさんに言うわ。」

佐久間「僕にじゃなく?」

三宅「マネージャーさんに、佐久間にどこどこで待ち合わせだというふうに言っといてあげるから。」 

佐久間「いや、でも僕モーニングコールとかしたいですもん!!

三宅「いらないから。」

佐久間「えっいらないですか?!『健くん朝ですよォッ!』って、いらないですか?で、寝る前も…」

三宅「いらないいらない、いらないそのキンキンした声は朝から聞きたくない。」

佐久間「へへへ(笑)えぇ〜教えて下さいよぉ~」

三宅「時間使い過ぎなんだよ!岩本の時間がなくなっちゃう。」

佐久間くんの発言は常に私の想像の斜め上、いや斜め上の上のそのまた上を行く。

その強火っぷりはもう想定の範囲内であるはずなのに、範囲内を別の軸で飛び出してしまう。柵で囲っているのに柵を越えてきちゃう。

 

大体こういうキャラであろうことはもう把握していたはずなのにモーニングコールのくだりには爆笑してしまった。それをそっけなくあしらう三宅さんの態度にも。

 

岩本「僕はちょっと健くんに聞きたいことがあるんです。」

三宅「おぉ、なに?なんか雑誌でも聞いてきてたなあ。」

岩本「はい!」 

佐久間「なんだその、外から攻めてくるヤツは!!!(プンプンしながら)

岩本「"外から"って、同じメンバーを…。」

宮舘「一回、一回ちょっと、岩本のターンだから。」

三宅「佐久間!!

佐久間「はい!!」

三宅「だ ま っ て ろ 。

佐久間「はぁい!(嬉しそう) 

佐久間くんの嫉妬はファンだけにとどまらない。

同じグループのメンバーでさえも「外から攻めてくるヤツ」扱いである。

 

岩本「この、佐久間が結構健くんにたいしてグイグイ行って、優しく受け止めてくれるじゃないですか健くんは。佐久間のことを。

すごいありがたいなって思ってるんですけど、佐久間以外のSnowManのメンバーの事をどういうふうに思ってるのかなってのがちょっと気になりますね。」

三宅「おぉー。いやぁでもアクロバットもみんな凄いしさ、ダンスも踊れるしさ。みんななんかすごく、芸達者な子たちが揃ってるグループっていう印象かな?

言いたいことはまだ全然あるけど。まぁ言わないけど。」

佐久間「あ~あれっすねぇ、『佐久間が可愛い』とかぁ〜

三宅「うるさい!!黙りなさい。

佐久間「えぇ〜?」

三宅「お黙りなさい。

佐久間「え〜?!ダメっすか?」 

三宅「みんなね良いものを持ってる子たちなのかなって。俺達がJr.の時よりも、今のJr.の子たちのほうが。

まぁ年齢もね。みんな22,3ってのもあるけど、やっぱなんだろ、クオリティーが高い感じがするけどな。

だからもっと頑張って欲しいなーとは思うけどね。」

佐久間「ありがとうございます!」

三宅「まぁほらジャニーズ、だけじゃなくてさ。色んな物を見てさ。頑張ってよ。」 

佐久間「がんばりまぁーす!!」

三宅「いやお前はよくわかってない。

佐久間「えぇ〜!?なんでですかぁ(笑)」

三宅「お前は、アニメ見てりゃいいんだよ。

佐久間「いいんすかあ?(嬉しそう)

じゃあ健くんがそう言うならそうします!」

三宅「な、佐久間にいっぱいアニメ見せてその間にぃ、宮館と岩本はぁ、どんどん着実に努力してぇ、どんどん上がってこうなっ!」

宮舘・岩本「はい」

佐久間「健くん?健くん??」

三宅「(内緒話風に声をひそめて)あいつにずっとアニメ見させて、そのままいっっっ、ぱいアニメ見させて、」

佐久間「健くーん?」

三宅「放置しといて、で、すんごい「かめとうさぎ」みたいな感じでさぁ、差つけちゃおう」

佐久間「健くん?あれ?電波悪いんすかねえ?

(ここでようやく不機嫌そうに返事)

三宅「えぇ?」 

佐久間「けんくーん?」

三宅「……はい!!!終わり!」

全員「(笑)」

佐久間「力技半端ねえ!」

三宅「はい、皆さんありがとうございました!」

佐久間「えぇ?!」

宮舘・岩本・佐久間「ありがとうございました!」

佐久間「また来ますね!」

三宅「もういらない。

佐久間「佐久間でーす!」

三宅「もういらないから。 

佐久間「(笑)」

いいことを言っても結局佐久間くんに侵食されてしまうこの展開。

ムチャクチャではあるのだがテンポが良くて何度も爆笑した。

 

噛み合うようで噛み合わないようで、とにかく「笑い」という点で見ると「グイグイ来る佐久間/基本そっけない+いじる対象を見つけて楽しくなっちゃった三宅」 という組み合わせはとても相性が良いのだなと実感した。

 

 

 

三宅健のラヂオ/2016年5月9日放送

(Snow Man 深澤辰哉・渡辺翔太・阿部亮平ゲスト回)

 

佐久間くんがゲストで登場した翌週は前週と入れ替わりで3人のメンバーが登場。

収録は前回放送分と同じく滝沢歌舞伎が行なわれている新橋演舞場の楽屋で行われた。

 

自分の出番がない間、いつも三宅さんのあとをべったりついて回っている佐久間くんはどうしているのだろう?と思っていたら案の定その場にいたことが判明する。

三宅「なんだよ…こいつずっと隠れてさあ、自分の収録じゃないのにずーっと近くに佐久間がひそんでるんだよ。」

佐久間「はい!」(マイクなしなので以下ずっと大きめに声を張っている) 

三宅「いや、はいじゃないんだよ!お前の収録じゃないんだから。」

渡辺「こんなめんどくさい後輩を、こんな毎回、一言一言ちゃんと返してくれる健くんにもう驚きですね逆に。」

三宅「あー、そう。」

渡辺「はい。」

三宅「俺は本当に、さっきも言ったんだけど、あのー、もう決めてたのよ。これが始まる時に。絶対にあのー、関わらないようにしようと。だれにも番号とか絶対教えないって思ってたの。

なんだけどさあ…こわいなあ…」

深澤「こわいっすね(笑)」

三宅「こわいよ…」

深澤「いるんですよこういうのも。」

三宅「こわいこわいほんっとに怖いよ」

阿部「お察ししまーす…」

三宅「いやまあ先にいっとくけど、まあ君たちとも、滝沢歌舞伎限定の関係だからね。」

3人「うわ!」「そんな…」

佐久間「えぇ〜!! 

深澤「一番『うわー!』って言ったの佐久間だからね。佐久間(の出番)じゃないから今!」

佐久間「えぇ〜!!」

三宅「まあだから、ね!その方がより濃密にさ、過ごしていけるじゃない。それで行こう!」

深澤「いやいやいやそれはちょっと…」

阿部「それは…」

渡辺「それで行こうじゃないっす!」 

三宅「えぇ?そうなの?」

佐久間「だめっす!!!

深澤「だから佐久間じゃないんだって!」

全員「(笑)」

三宅「なになに、どういうこと?」

深澤「これからも、今回ほんとに、なんか三宅くんと共演させていただけるってのもきっと滝沢歌舞伎、健くんもこう、出てくださるっていうのは本当にすごいことで。

なかなかこう先輩の方と共演する機会なんてほぼないので。

今回すごい良い経験というかほんとうにいろんなもの吸収させてもらってるのでこれをもっと、歌舞伎の期間、超えてもなんかこう機会があって集まって、みんなでご飯食べようみたいなが、してくださると…そうなってくると佐久間に電話番号教えなきゃいけないっすけど大丈夫ですかね?こう連絡取りあえないじゃないっすか。」

三宅「あー…そうですねえ、」

深澤「そうなっちゃうんすよね。」

三宅「…遠慮させていただきます。

佐久間「ええぇ~!?なんでェェエ!?

深澤「そうなんですよねえ、わかりました。」

全員「(笑)」

 

あくまで電話番号は教えない方向性を貫くつもりらしい。

 

果たしてその結果はどうなったかもふまえつつ、滝沢歌舞伎公演編に続く。

 

 

 

 

 

三宅健と佐久間大介の関係性がおもしろい件【2】〜滝沢歌舞伎・前編〜

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 ようやく滝沢歌舞伎公演中の話に入るのだが、先に度々話題に上がっている「稽古終わりで佐久間くんが三宅さんを待ち伏せし、なんとかごはんに連れて行ってもらった」というエピソードについて考えてみたい。 

三宅「この人さ、だってさ。稽古場で稽古終わりに、みんなも帰っちゃってさ。着替え場が違ったじゃない、Jr.の子たちと僕と。そしたら『僕着替えてきますね健くん、待っててください!』とかって言うから、稽古場のところでさ。

こいつ着替えて待ち伏せしてたらしいんだけど、ヤバイなと思ったからさ、もう即行でエレベーターに乗ってさ、『直ぐ車出して行ってくれ!』ってマネージャーに言ってさ、出してたらさ。

松竹のスタッフさんからうちのマネージャーさんに電話がかかってきてさ。『あの三宅さん、佐久間くんが三宅さんのこと待ってるみたいなんですけど』とかって、『どうしたら良いですか?』ってなって。

どうにかしてご飯にこぎ着けようとしてるからさ、しょうが無いからさぁ、回転寿司に一緒に行ってさぁ。」

(「三宅健のラヂオ」/2016年5月2日放送」)

 

この時のことに関して、各媒体で出てきた三宅氏・佐久間氏のお話をまとめると、

【三宅】

待ち伏せされて捕まり、30分だけの約束で一緒にお寿司を食べた。

【佐久間】

稽古期間中にお寿司を食べた。

好きな食べ物を聞いたら「お寿司」と答えたので「お寿司食べに行きましょうよ!」と言った。健くんがよく行くお店に行った。

 

佐久間くんは三宅さんから「何事も全力でやれ。引かれるぐらいまでやれ。それでやっと普通だ。」という言葉をもらったことを、千秋楽で読み上げた三宅さん宛の手紙でつづっていた。

いや手紙書いたんかい!というツッコミは、とりあえず今はグッと飲み込む。 

そしてこの言葉をもらったのは「2人でご飯を食べに行った時」とも書いていた。

 

一方、雑誌掲載のトークでは「ラジオの生放送の日に稽古場で健くんに『今日ラジオ出るんですよ!』と言ったら「じゃあ出るからには『こいつヤバイな』と思われるくらいやってこい」と言われた」とあった。

 

さらにジャニーズWebで佐久間くんが綴っている文章を読むと、どうも「全力でやれ」と「こいつヤバイ、と思われるくらいやれ」はセットでもらった言葉らしい。

 

ということは、「今日ラジオ出るんですよ!」「全力でやれ、それでやっと普通だ」=2人でご飯を食べに行った時=「出るからにはこいつヤバイと思われるくらいやってこい」=ラジオの生放送の日、となる。

このラジオ番組というのは「アニメ関係のラジオ」と佐久間くんが言っているため、「レコメン!ラブライブ!スペシャルファイナル」(3/30 22時〜の生放送)。

 

ということは出てきている情報を最大限に鵜呑みにしながら推測するとこうなる。

3月30日

佐久間、稽古場で三宅に「今日ラジオ出るんですよ!」と言う。

三宅、それに対して「何事も全力でやれ。引かれるぐらいまでやれ。それでやっと普通だ。出るからには『こいつヤバイな』と思われるくらいやってこい」と助言する。

佐久間、稽古後に「僕着替えてきますね!待っててください!」と言い待ち伏せする。

三宅、佐久間を撒こうとするも失敗。

30分だけの約束で、三宅がよく行く回転寿司へ。

佐久間、生放送のラジオへ。

 

さらにこの翌日も会い、三宅さんは律儀にもきちんと番組を聞いたそうでその旨を佐久間に伝えている。

喜ぶ佐久間氏、「超嬉しいです!どうでした!?」と聞くも「何の話してんのか全然わかんなかった(笑)」とあえなく撃沈。

せやな…ラブライブのラジオやからな…。

 

こんなやりとりが、私の読みが間違っていたとしても稽古期間内には繰り広げられたのち、4月10日に滝沢歌舞伎2016は開幕する。

 

そもそもこの稽古中、滝沢座長はかなり三宅さんを気遣っていたらしい。

 

人見知りをする三宅さんが自然に仲良くなれるように、稽古中の布陣も座長がそれぞれに「お前はいつもこの辺にいろ」と指示。理由までは説明されなかったがSnow Manは察したそうで、その時一番三宅さんのそばに配置されたのは渡辺くん。

三宅さんが稽古に来られない時のために動きや位置を覚えるなど、サポート役的なポジションも担っていた。

 

…のに、いつの間にやら佐久間くんがものすごい勢いでグイグイ行っていた。

どうしてそうなった。

3月の末あたりにはすでに待ち伏せを敢行していたのかと思うと、わりと序盤からその傾向はあったと見られる。

 

それでは、ここから滝沢歌舞伎公演内の話に入る。やっと。

 

滝沢歌舞伎2016・公演別もくじ

 

 

 

4/10(日)夜 電話番号教えてください!攻撃が始まる

佐久間「健くん!佐久間です!」

三宅「え?」

佐久間「電話番号教えてくださいよ!」

三宅「しつこいんだよ」

佐久間「じゃあ090か080だけでもいいので教えてください!」

三宅「公共の場で言わせてもらいますけど、迷惑です!」

初日からとりあえず電話番号を聞き始めていた。

この頃の佐久間くんはまだ公演が始まったばかりということもあり、「090か080かだけでもいい」と少し余裕があった。

 


4/11(月)夜 佐久間、三宅の楽屋に移ろうとする

佐久間「健くん!さっきはおうどんご馳走でしたー!僕と健くん同じ楽屋なんですよぉ」

(会場どよめき)

三宅「違います!!深澤が滝沢の楽屋に入り浸りなのを聞きつけて、佐久間が自分の名札を勝手に持ってきたんだけど(笑)

佐久間がおうどん食べたいって言うから奢ってやったんだけどそのまま居座ろうとするから追い出しました。」

三宅「岩本!佐久間何とかしてよ!」

岩本「僕達にも手に負えないんでよろしくお願いします!」

三宅「あれは手に負えない。」

佐久間「カバンとか(楽屋に)持ってったんだけどなぁ~!」

 

楽屋の名札を勝手に移動させ、俺のテリトリーとばかりにカバンまで持って移動する佐久間くんお強い。

公演2日目の時点ですでにみんなから「手に負えない」と言われている。

 


4/12(火)昼 続く電話番号攻防戦

佐久間「健くん健くん!そろそろ電話番号教えてもらってもいいですか?」

三宅「……いやです。」

佐久間「えぇ〜!そんなぁ〜」 

この公演中に三宅さんがフライング時に負傷。

 


 

4/12(火)夜 三宅、佐久間が面倒

佐久間「健くん!僕も聞いていいですか!」

三宅「嫌です。……何ですか?」

佐久間「健くん、Snow Manに一言ありませんか?」

三宅「佐久間が面倒くさい(笑)

 三宅さんが負傷し、20分以上押して開幕したこの公演でもやりとりは通常運転。

  


4/13(水)夜 三宅「僕が喋りたいのは林くん」

佐久間「健く~~ん!佐久間ですよ〜!」

三宅「空耳か。」

佐久間「佐久間のこと好きですか?

三宅「はい?僕が喋りたいなって思ってる子は林くん。」

滝沢「わかる~!」

三宅「いい子だから。」

自分のことをどう思っているか聞いたりとこの辺りから佐久間くんの「俺を見て!」アピールが顕著に。でも振られる。

 

 また三宅さんの怪我の具合が公表されたため公演内で

「僕の怪我で皆さん、関係者の方々に大変ご迷惑をおかけしました。でも、僕は全くもって元気です。だからどうか心配しないでください!最後までこのキャストで滝沢歌舞伎2016やりきります!」と挨拶。

 


4/14(木)昼 ウザがられてもめげない、むしろ嬉しくなる佐久間

佐久間「健くんから見た佐久間はどんな子ですかぁ~?」

三宅「ウザい!(笑)」

佐久間「えぇ?」

三宅「お前、今日最高にウザいな!(笑)

渡辺「もう下がってください。」

佐久間「(『ウザい』に対して)でもそう言われると逆に嬉くなっちゃいます!

最高にウザいと言われても喜ぶ佐久間くんは一体何者なのか。 

 


 4/14(木)夜 「KYこと、佐久間大介!」

佐久間「健くん健くん!健く~ん!佐久間です!」

三宅「え?」

佐久間「佐久間です!」

三宅「え?」

佐久間「佐久間です!!」

三宅「見りゃわかるよ!!」

佐久間「さっき僕がごちそうしたラーメンおいしかったですか?!」

三宅「ラーメンはおいしかったけど…」

佐久間「じゃあ佐久間のこともっと好きになりました?!」

三宅「嫌いじゃないけど…好きでもない。」

佐久間「えええーーー!!どっちか!どっちか!」

深澤「佐久間さがれ!!!」

 

滝沢「裏ではJr.と仲良くされてますけどどうですか?佐久間とか」

三宅「佐久間がしつこいんだよ~!今日もさ、楽屋で休憩しようとしてるのに入ってきてさ『いやもう~ちょっと今、何します?』って。何もしねえよ!って。自分の楽屋あんだろって。

さっき滝沢が差し入れてくれたアイスもさ、『一緒に食べます?』って。」

滝沢「あの人すっごいですよね。特に空気の読めなさが。」

三宅「そう、まさにKY!!!!!

 

このトークを受け、佐久間くんの口上部分がアドリブで「~KYこと、佐久間大介!」に。

自らKYを名乗れる強さ、素敵です。

 

ちなみにこの佐久間くんの口上、全文は以下。

「『アイドルっていうのは笑顔を見せる仕事じゃない、笑顔にさせる仕事。それをよーく自覚しなさい。』伝説のアイドルから教わった言葉です。

桜舞う朧に今宵に咲き乱れ、偉大な背中、助太刀致す!(アドリブが入る場合はここ)佐久間大介!」

さくう〜いだいな〜すけだちいたす」で自身の名前が織り込まれている仕様。

前半の素敵な言葉はラブライブの矢澤にこちゃんの言葉からの引用。

  

ラブライブ! Solo Live! II from μ’s 矢澤にこ

「にっこにっこにー」でおなじみの子。

 

 


4/15(金)昼 「運命だと思いません?」

佐久間「健くん!」

三宅「ん?変な声するね?おばけ?」

佐久間「こっちこっち!僕、健くんと共通点があって!誕生日は3日違い、星座は同じ蟹座、血液型も同じO型なんですよ。運命だと思いません?

三宅「思わないけど、よかったね。」

三宅さんは1979年7月2日生まれ。

佐久間くん1992年7月5日生まれ。

誕生日が近いことにも驚いたが13歳差ということにも驚いている。

 

同じく蟹座のO型、ということで少し占いなど調べてみた。

【基本性格】

感受性が強く感情的になりやすい蟹座ですが、O型の大らかさがそれをいい方向にカバーします。
もともと人との繋がりを大切にする星ですが、フレンドリーなO型の性質も加わり、あなたの周囲には友人が絶えないでしょう。
一方、人との結びつきは大切にするものの、言動が少し軽薄なことも。
八方美人で適当に建前を述べるので、信用ならないと思う人も少なくないので注意しましょう。

【蟹座O型】性格・恋愛・相性占い - NAVER まとめ

信用ならなくはないが、たまに適当なノリでおもしろ楽しくよくわからないテンションのお喋りをしたくなっちゃうところは似ているのかもしれないと思ってしまった。褒めている。

しかしながら、佐久間くんがグイグイくる様を「ビジネス」なんて言ってしまってるあたり少なくとも三宅さんに限っては彼を「八方美人で適当に建前を述べる信用ならないキャラ」として扱っているので笑える。

 


4/16(土)昼 「佐久間のどこが好きですかぁ?」

佐久間「健くん健くん健くん!佐久間のどこが好きですかぁ?」

三宅「初日から何なの、このくだり。」

佐久間「佐久間の!どこが!好きですかぁ?!!」

三宅「え~…逆境に負けないところ。」

佐久間「照れるぅ~~~!

照れるところなんだそれ? 

 


4/16(土)夜 いつも張り込んで待ち伏せしている佐久間

佐久間「健くん健くん!」

三宅「なんか変な声が聞こえる。」

佐久間「健くん、僕佐久間とのエピソードは何かあります?」

三宅「は?何?(笑)

エピソード…お前がしつこく稽古終わりに俺を張り込んでくるのはどうしたらいいですか?」

佐久間「ご飯一緒に行きたいっすもん!」

三宅「いつも終わりに張り込んで待ち伏せしてんの。お前らグループだろ、なんとかしなさいよ!」

深澤「俺たちはもう手に負えないので…」

稽古中にご飯に行けたのは本当にこのしつこいくらいの猛アピールの成果だったのだろう。佐久間くんのガッツがすごい。

 


4/17(日)昼 滝沢「一緒に住んでるんですか?」

佐久間「健くん健くん健くーん!佐久間です!共通質問です!」

三宅「なんなんですか?」

佐久間「佐久間のどこが好きですか?」

三宅「なんだよ?」

佐久間「僕の、あ、佐久間のどこが好きですか?」

三宅「えぇ~…好きなところ?しつこいところ。

佐久間「ありがとうございますぅ~(照)今日こそ番号教えてもらえますか?」

三宅「いやです!」

佐久間「えぇー!もぉうー!」

深澤「佐久間下がれ!」

今日も元気に佐久間の好きなところを聞く。

前回の答えは「逆境に負けないところ」だったのでまだかろうじて褒めていたが「しつこいところ」はもはや褒めていない。

 

滝沢「最近健くんの楽屋から佐久間の声がするんですけど一緒に住んでるんですか?

三宅「たまに俺より早く来てるから座敷童子かと思う。林くんが『健くん可哀想だね』って言って楽屋の前を通る。

今日なんて俺より先にいてさ、なんでいるのか聞いたら『ストレッチしようと思って~』って。あいつすごいわ、俺が木村くんの楽屋行くようなもんじゃん!そんなのできないよ!」

滝沢「できません(笑)」

三宅「できないよなぁ。あいつすごいわ。新人類だわ!

三宅さんより先に三宅さんの楽屋にいるってどういうこと???

この辺りからいよいよ佐久間くんの言動・行動が益々突拍子もなくなってくる。

 

この日の口上のアドリブは「そう!私が新人類、佐久間大介!!」。

 


4/17(日)夜 0120がフリーダイヤルだと知らない佐久間

佐久間「健くん、健くん!健くんはお蕎麦食べられないじゃないですかぁ、じゃあお蕎麦と佐久間だったらどっちが好きですか?」

三宅「あぁ~、蕎麦アレルギーだからね。命に関わるもんなんだけども… どちらかと言うと蕎麦かな!

確実にこれは佐久間を選ばざるをえないだろう、という2択を用意したのにバッサリ切り捨てられる佐久間くん。

佐久間「健くん、健くん!今日こそ携帯番号教えてください!」

三宅「申し訳ございません、嫌です。」

佐久間「じゃあ滝沢くん、滝沢くん! 健くんの携帯番号教えてください!」

滝沢「…いいか? 0120…」

一同「それフリーダイヤル!(爆笑)」

佐久間「えぇ!?違うんですかぁ!?

 佐久間くん23歳にして「フリーダイヤル」を理解していない疑惑浮上。

 

 

三宅さんが酸素カプセルに入っていたところ、佐久間くんが小窓から「健くん!」と覗いてくる。

三宅「『一緒に入りますか?』って。1人しか入れないのに。バカじゃないのアイツ!

滝沢「でも意外と健くん佐久間のこと好きですよね?」

三宅「いや好きじゃないです。嫌いではないけど好きでもないです。

 私はこのエピソードで佐久間くんがヤバイ(いい意味で)奴なのだと悟った。

 


4/19(火)昼 「昨日会えなくて寂しかったですか?」

佐久間「健くん、健くん!昨日休演日だったじゃないですかぁ、佐久間に会えなくて寂しかったですか~?

三宅「ううん全然。寂しくない。

深澤「下がれ佐久間!」 

佐久間「健くん健くん健くん!!!」

三宅「なんだよ」

佐久間「初日からもう一週間経つじゃないですか!そろそろ電話番号教えてくれませんか!」

三宅「嫌です。」

佐久間「何でですかあぁぁ」

深澤「佐久間下がって!そういうの後でやって!」

はじめは電話番号を教えてもらう、おもに「自分が健くんを知る」という方向に突き進みたい人なのかなと思っていた。

コミュニケーション取りたがり、のような形だ。

そうであるなら三宅さんが度々言う「ビジネス」の可能性もうなづける。

ぶっちゃけ私もはじめはそういうキャラである可能性のほうが高いのでは、と思っていた。

 

しかしながら佐久間くんは日に日に「自分が健くんを知る」というよりも「健くんに佐久間を知ってもらう」方向性が強くなっていく。

とにかくもうアピールがものすごいのだ。

強火というかもう業火。

 

ところで、私は滝沢歌舞伎がはじまるまで佐久間くんのことをよく知らなかった。

だがこのとんでもない業火っぷり、暴力的なまでに熱意を投げつけては空回りするこの感じ。

そう、あまり彼のことをよく知らなかった私でさえ薄々勘付き始めたのだ。

 

もしかして佐久間くん、ちょっと天真爛漫系のおバカなのかもしれない…と。

 

 


 

4/19(火)夜 佐久間の2択シリーズ始まる

佐久間「健くん、健くん!どっちか好きな方を選んでください。しゃべってる佐久間と踊ってる佐久間、どっちが好きですか?

三宅「どっちもどっちだけど黙っててくれるんだったら踊ってる佐久間。ずっと踊り続けてくれれば(笑)」

佐久間「じゃ、踊ってますねっ!(踊りだす)」

(三宅、たまらず笑っちゃう)

なにこの子。

この「佐久間と佐久間の2択シリーズ」は以後度々出現するのだが、もう考えるほどにとってもバカバカしくて私は大好きである。「佐久間」のゴリ押しがヤバイ。

 

滝沢「後輩の付き合いもいいですね」

深澤「うちの佐久間も面倒見てもらって」

三宅「面倒見てないよ。あの子が勝手にうちの楽屋に訪れてくるだけで。毎回お断りしてるんだけど、入ってくるだけなんだよ。」

佐久間「僕は健くんのこと大好きですよぉっ!

三宅「そんなことはどうでもいい!

この日は森田剛さんが観劇されていた。

そんな中でもブレない佐久間くん、さすがである。

 


 

〜 どうでもいい考察をしてみる 〜

ところで、前回記事の「三宅健のラヂオ」の収録はいつだったのだろう、と考えてみた。

これは滝沢歌舞伎の公演中、新橋演舞場の楽屋で収録されたものである。

 

5月2日、9日分はおそらく収録する手間から考えても同日収録だと予想される。

三宅さんは放送中にこんなことを言っている。

・「阿部ちゃんはこの間マイク付け忘れて出て行ったよね。」

・「(阿部くんに対し)さっき、持ってきてくれたじゃん、信玄餅。」

・「今日見てみよう。夜公演でちょっと見てみよう。」

 

滝沢歌舞伎には「お騒がせ信玄餅」というものがある。

三宅さんが番組中で「やらかし信玄餅だっけ?」と無邪気に間違えていたのがツボでついついそう言ってしまいたくなるのだが、要するにやらかした、ミスをしたJr.が信玄餅を差し入れる風習を「お騒がせ信玄餅」というそうだ。

 

阿部くんが「マイクを付け忘れて舞台に立つ」というお騒がせをしたのは4月17日の昼公演のこと。

 

なおかつ「今日の夜公演の時に見てみよう」と言っているのでこの収録の後には夜公演が控えている。

滝沢歌舞伎は昼公演・夜公演がある日もあるが、上演時間はというと第一部が75分、休憩を30分挟んで第二部が60分。

 

13時開演の昼公演は15時45分終演、18時には夜公演の幕が開く。

その間はわずか2時間15分しかないので、ここでの収録も少し考えにくい。

 

そうするとおのずと「17日以降の公演で夜公演しかない日」が有力で、阿部くんがお騒がせ信玄餅を差し入れしていることから考えてもおそらくその日の周辺なのではないか。

 

ということで、私はこの収録を上記の条件を満たす「4月20日の夜公演前」ではないかと睨んでいる。

 


4/20(水)夜 三宅「何もしたくないです」

佐久間「健くん健くん健くん!佐久間です!佐久間とプライベートで何したいですか?」

三宅「何もしたくないです。」

深澤「佐久間下がれ!」

佐久間「健くん健くん!携帯番号教えてください」

三宅「申し訳ありません」

深澤「佐久間下がれ!」

バッサリ切り捨てられる佐久間くん。滝沢歌舞伎がはじまって10日、いまだ電話番号は得られず。

 


4/21(木)昼 ポイント制が導入される

佐久間「健くん、健くん!!」

三宅「何ですか。」

佐久間「佐久間です!!」

三宅「知ってるよ!(笑)」

佐久間「佐久間を旅行に連れて行くなら、どこに行きたいですか?」

三宅「君を?旅行に?」

佐久間「はい!!!」

三宅「どこにも連れて行きたくないかな。」

  

佐久間「健くん健くん健くん!マジでけいた、携帯番号教えて下さい!」

三宅「大事なとこ噛むんじゃないよ!(笑)」

佐久間「スミマセン!(笑)教えて下さい!」

三宅「えー…うーんと…」

佐久間「お?!健くん、お願いします!」

三宅「わかった。じゃあポイント制にしよう。

佐久間「ポイント制?」

三宅「そう。ポイントに応じて1桁づつ教えてやるから。君の努力次第では千秋楽までに番号ゲットできるから。」

深澤「そのポイントはどうやったら貯まるんですか?」

三宅「ポイントはね~…」

佐久間「健くん!それなら僕もうそれ300ポイントぐらい溜まってますよね?

三宅「勝手に溜めんなよ!今から0スタート!」

佐久間「えぇ~!!」

ついに導入されたポイント制。

他人に対して好感度を上げるべく行う所業を「ポイント稼ぎ」と評することがあるが、それをその言葉通りのかたちでやらせようとしてしまうあたりこれぞ三宅さんお得意の悪ノリというものである。

 

果たして佐久間くんがどのように徳を積みポイントを貯めるのか見ものとなってきた。

 


4/21(木)夜 「もう僕、おこです。」

佐久間「健くん、健くん!いつになったら電話番号教えてくれますか!」

三宅「言ったろ、ポイント制って。」

佐久間「ポイントってどうしたら貯まるんですか?」

三宅「例えば林くんはね、お手紙書いてくれたの。そういうことなの。」

佐久間「えぇ~?」

三宅「ちなみにこれを聞いて、佐久間が手紙を書いてきてもそれは二番煎じというやつだから。」

佐久間「でも健くん、僕は健くんの口から他のJr.の名前が出たことがおこです。もう僕、おこです。

健「あぁ?こっちは激おこぷんぷん丸だよ!!

佐久間「えぇ~!」

いよいよ他のJr.に嫉妬しだす佐久間氏。 

おこに対して激おこで返す三宅さん、さすがです。

 


4/22(金)昼 佐久間くんが書いた手紙がなかなかの問題作

佐久間「健くん健くん!手紙読んでくれました~?」

三宅「読んだよ(笑)本当さあ、ひどいんだよ。佐久間が小3みたいな手紙書いてきたの。」

佐久間「手紙書いたんでポイントください!」

三宅「馬鹿野郎!もうね、持ってきた。」

 

1枚目

「三宅健くんへ  ピーーース!(※赤字で) 佐久間大介」

 

2枚目

「三宅健くんへ 僕は兄弟が3人います。だから電話番号教えてください!佐久間大介」

 

三宅「小3かよ!(笑)くだらなすぎるから100ポイントあげる!100ポイント毎に電話番号1桁教えてあげていいよ。最初は『0』。」

佐久間「えぇ~?大体の電話番号0からなのに」

三宅「あとはケンタッキーのいいとこどりパック食べる毎に50ポイントね。2つで100ポイントだよ?そしたらまた1桁教えてあげる。」

佐久間「毎日食べます!!!

林くんがすでに手紙を渡しているため今更やっても二番煎じだ、と言われているのにそれでも手紙を書いてくる佐久間くん。

私が内容を知って噴いたのはいうまでもない。

 


4/23(土)昼 エクレア事件

佐久間「健くん、健くん!佐久間です!」

三宅「見ればわかるよ!なんだよ…」

佐久間「健くんは休みがあったら佐久間とどこに行きたいですか~?」

三宅「どこにも行きたくないです。」

佐久間「えぇ~!じゃあ電話番号教えてください!」

三宅「ダメだよ。だってこいつ昨日さ、『一緒にエクレア食べましょう』って持ってきてくれて。昨日食べられなかったからさっき一緒に食べてたの。そしたら消費期限が22日(昨日)だったの。

佐久間「えっ?!」

三宅「賞味期限じゃなくて消費期限だよ?!買ってきてくれて200ポイントぐらいあげようかと思ったけど、期限切れてたからマイナス200ポイント!教えない。」

 そもそも楽屋で一緒にエクレア食べてる36歳と23歳を光景を想像すると「平和かよ」と和むしかないのだが、それをぶち壊すまさかの「消費期限切れだった」という悲劇。

佐久間くんあかん、それ長期に渡る舞台の公演期間中に絶対にやったらあかんやつ…!!!

 

さらにこの日の公演中、「V6内の年齢差はなんと9歳!」というくだりで両手の指を9本広げて驚く阿部くんに対して両手10本の指広げて驚く佐久間くんが目撃されている。

佐久間くん、それ9やない。10や。 

 


4/23(土)夜 「僕以外のJr.と話しちゃダメですよぉ!」

佐久間「健くん!健くーん!佐久間です!」

三宅「分かってるよ!(笑)」

佐久間「さっき本番前に渡辺と話してたじゃないですか?」

三宅「それが何?」

佐久間「僕以外のJr.と話しちゃダメですよぉ!

三宅「お前は俺の何なんなの?

佐久間「彼女です!!

三宅「お前下がれ(笑)」

いよいよ彼女を自称しだした佐久間くん。

「三宅健大好き」が加速しすぎていっそコワイ。

 


4/24(日)昼 三宅「今のところ特にないです」

佐久間「健くん、健くん!」

三宅「はぁ。何?」

佐久間「健くんに共通質問です!佐久間と2人で挑戦するなら何を挑戦したいですか?」

深澤「それ共通質問じゃないじゃん!」

佐久間「何に挑戦したいですか?」

三宅「え~……全然ない。今のところ特にないです。」

佐久間「あってくださいよぉ~~!」

深澤「下がれ!」

ここでツッコんでおくべきはひとまず佐久間くんは「共通質問」の意味がわかっていない、ということ。

このくだりでは「共通質問」と称して滝沢さん・三宅さんに対する質問がぶつけられるのだが、佐久間くんが放つのは三宅さんのみに当てたものなのでもちろん共通質問ではない。

でも周りが「共通質問です」と質問を投げかけているから、自分のも共通質問なのだと思っちゃったんだろう。

思わず敬称略で「佐久間…!」と言ってしまいたくなる案件である。

 

 


4/24(日)夜 三宅「どこも行きたくないです」

佐久間「健くん健くーん!」

三宅「はい?」

佐久間「佐久間です!健くんは僕佐久間と旅行に行くならどこに行きたいですか?」

三宅「え?旅行?」

佐久間「海外とかぁ、色々あるじゃないですか!どこ行きます~?」

三宅「どこも行きたくないです。」

佐久間「えぇ~!!」

(※坂本昌行さん観劇)  

 


4/26(火)夜 三宅「すっこんでてください」

佐久間「健くん健くん!佐久間でーす!」

三宅「なんだよ。」

佐久間「昨日休演日で1日お休みだったじゃないですか?1日ぶりに会う佐久間に何か一言ありますか?」

三宅「…すっこんでてください。

佐久間「ええ~!」(膝から崩れ落ちる)

前公演・前々公演と、一言でばっさり切り捨てるスタイルが続く。

 


4/27(水)昼 「今日は昼公演だけなのでご飯食べに行けますねっ!」

佐久間「健くん!健くん!」

三宅「…はい。」

佐久間「今日は昼公演だけですね!佐久間と一緒にご飯食べに行けますねっ!

三宅「は?(笑)」

佐久間 「だから、ご飯食べに行けますね!!」

三宅「…お前さぁ、キャラが崩壊してるんだよ!(笑)」

佐久間「えぇ、誰がですかぁ??」

三宅「佐久間だよ!!君とはご飯行かないから、林くんと食べに行くから。」

佐久間「えぇ~!やだ~絶対やだやだ~!」

またも林くんの名前が登場。そして駄々をこねる佐久間氏(23)

 


4/28(木)昼 「わかりました!ずっと座ってます!」

佐久間「健くん、健くん!佐久間です!」

三宅「見れば分かります。」

佐久間「健くんは立ってる佐久間と座ってる佐久間、どっちが好きですか?

三宅「は?(笑)じゃあ一生座っててくれ。一生座っててくれ。」

佐久間「わかりました!ずっと座ってます! (体育座り)」

三宅「忠犬ハチ公のように一生座っててくれ。」

佐久間「(ハチ公風ワンコ座り)」

佐久間の2択シリーズ「立ってる佐久間と座ってる佐久間」には大いに笑った。もう意味がわからない。どういうこと?

「一生座っててくれ」もなかなかの迷言で、それに素直に従う佐久間くんもどうなのか。ゴールはどこなのか。

 


4/28(木)夜 三宅楽屋からの卒業を命じられて駄々をこねる

佐久間「楽屋で絡んでる佐久間と踊ってる佐久間、どっちが好きですか?

三宅「どっちでもいいや~…え?なんだっけ?」

佐久間「楽屋で絡んでる佐久間と踊ってる佐久間、どっちが好きですか?」

三宅「一生踊っててください。そして明日から楽屋に来ないでください。もう卒業です。

佐久間「えぇ~!!やだやだ~~!!」

深澤「はい、卒業~おめでとうございました~」

客席「(拍手)」

佐久間「みんな嫌いだあぁ~もう~!」(ジタバタしながら)

強制卒業を会場全体から促され全力で拒否し駄々をこねる佐久間くん(23)。 

 


4/29(金)昼 ついに2人でご飯に行ったので自慢する

佐久間「健くん、健くん!昨日の夜ごはんごちそうさまでした~!2人でご飯に行ったんですよぉ!

三宅「…行きましたっけ?

佐久間「あんなに楽しい記憶忘れちゃったんですか~?!」

三宅「佐久間が勝手にくっついて来ただけだろー。」

佐久間「一緒の車で行ったんですよね~!」

滝沢「一緒に行ったんですか?」

三宅「いつも地下で松竹の人が見送ってくれて、佐久間が来たから『お前もここまでな』って言ったらちゃっかり車に乗ってきて。図々しいったらありゃしない。」

 

三宅「早く食べ終われって言ってんのに、ずっと喋ってなかなか帰らないんだよ。」

滝沢「そんな事言って好きなんでしょ?」

三宅「林くん誘おうとしたら佐久間が『林はもう帰りました』って言うんでジェシー誘おうとしたら『ダメです、僕だけです』って。あいつの独占欲怖い。狂気を感じる。

滝沢「とかいいながらさっきから何回も『佐久間佐久間』って呼んでる…」

三宅「やばい。あいつの思うツボだ。あいつの宣伝してる。全部あいつの計算だったら恐ろしいね。

滝沢でもあの子アホなんで大丈夫です。

 

い、言っちゃったーーー!!!

座長、アホって言っちゃったーーー!!

 

無知だった私も薄々感づいてはいた。

だが座長が言うなら本当にそうなのだろう。

 

佐久間くんはどうやらアホらしい。

 

計算かもしれない、ビジネスなのではないか、計算にしては行動がやけにずさんだな、おやおや何かよくわからないこと言っているぞ、一体どうしたいのか見えないぞ、もしかしてこれって…佐久間くんって…?と思っていたところに追い打ちをかけるような

「あの子アホなんで大丈夫です」。

 

そう、計算だったらこんなにおそろしいことはない。

この天真爛漫おバカキャラを計算でしているとしたら佐久間くんは相当にしたたかでとんでもなく頭がキレる。

その可能性を考えるとおそろしすぎる。佐久間くん夜神月説とでも言おうか。

新世界の神になっちゃう。いや新人類ではあるけれども。

 

座長の言葉から察するにおそらく佐久間くんはアホなのだろう、でももっと確実なのは「座長にアホといじってもらえるくらいの愛されキャラ」であるということだ。

 

三宅「なるべくあいつに入り時間教えないようにしてる。いつも同じ時間に楽屋に入ると必ず(佐久間が)登場してくるから30分ぐらいずらしたりしても、それでもあいつ嗅ぎつけてくるからね。」

 

この日の佐久間くんの口上アドリブは

「〜助太刀いたす!健くんを独占したい!佐久間大介!」 

  


 

ということで、長くなったのでとりあえずここまでで一区切り。

 

ここまでも相当に濃い。

だが後半になるともっと濃くなる。二次元みがどんどん増す。

これは何??どういうこと???と思う瞬間がどんどん増える。

 

ということでツイッターで人気のあのパターンにならいつつ、一連の流れに沿い全力で悪ノリさせていただきながら次回予告でもしておく。

 

いっけなーい!ピースピース!私、佐久間!毎日健くんにアタックしてるんだけど全然つれなくて困っちゃう。健くんは林くんのことが気になってるみたいだし…でもこのバトル、絶対負けられない!そんな中、渡辺くんまで参戦してきてもう大変!?

次回「ポイント制度はどこへ行った」お楽しみに!

 

 

 

三宅健と佐久間大介の関係性がおもしろい件【3】〜滝沢歌舞伎・後編〜

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前回から引き続き、滝沢歌舞伎公演での三宅さんと佐久間くんの絡みをまとめてつっこませていただく。

 

「三宅健のラヂオ」にSnow Manがやってきた 編 

◆  滝沢歌舞伎・前編

  

滝沢歌舞伎2016・公演別もくじ後編

 

 


4/30(土)昼 三宅「あのコバンザメ!」

佐久間「健くん健くん!佐久間です!」

三宅「…」

佐久間「あれ?健くん!電波悪いのかな?健くーん健くん健くん!」

三宅「………はい。」

佐久間「健くんの家での癒しはお風呂ってことですが、楽屋での癒しは佐久間とお喋りすることですよね!?」

三宅「違います。お前、卒業だって言っただろ!来んじゃねーよ!出禁だ出禁!」

佐久間「分かりました〜!あとで楽屋行きますね~!」

  

滝沢「佐久間と仲いいですよね~」

三宅「仲良くないよ!あいつが勝手にくっついてきてるだけ!あのコバンザメ!金魚のフン!もうチェンジしたいチェンジ!林くんに」

滝沢「林くんはいい子ですからね~。」

三宅「佐久間はただの勘違い野郎だ!」

滝沢「佐久間は健くんに任せました。」

三宅「俺教育係じゃないから。俺が教えられるとしたら横浜は東京じゃないってことくらいかな。(※前日公演にて佐久間くんが『俺こないだまで横浜は東京だと思ってたんすよ~』と言っていたという話題が出た)

滝沢「今日はキスマイフットの千賀と宮田が来てるみたいで」

三宅「あー、佐久間のアニメ友達でしょ。あとさっき千賀くん見たけど黄色と黒の服着てて蜂かと思ったよ…どこのみつばちハッチかと思った(笑)」

滝沢「どこにいるんですかね?元気ですかー?」

千賀「元気でーーす!!」

三宅「うわーうざいですねーーー!」

「コバンザメ」「金魚のフン」「勘違い野郎」「みつばちハッチ」と、あまりよろしくないような言葉が並ぶが三宅さん特有の愛ある無邪気な毒舌言い回しが炸裂。

三宅健節、絶好調。

 

そして横浜を東京と思っていた佐久間氏(東京出身)とは…。

 


 

4/30(土)夜 依然として林くんを推す三宅さん

佐久間「健くん健くん!」

三宅「はい。」

佐久間「もし1日だけ誰かとデュエットを組むとしたら、健くんは僕を選びますよね?」

三宅「はい?選ばない選ばない。」

佐久間「ええ~?なんでですか!」

深澤「林くんですよね?」

三宅「林くんですね。」

佐久間「いや、林くんいらない!いらないです!!!

 「僕を選びますよね?」ってもう選択の余地がごっつい狭い

自信満々すぎて、思わず前日の「勘違い野郎」という言葉が脳裏をよぎる。

 


5/1(日)昼 手を振りながら車を追いかけてくる佐久間

佐久間「健くん健くん健くーん!佐久間です!」

三宅「はい。」

佐久間「健くんは佐久間とのエピソードって何かありますか?」

三宅「エピソード?」

佐久間「はい!」

三宅「佐久間くんとの?」

佐久間「はい!」

三宅「ございません!」

佐久間「えぇーー!!」

およそ半分の公演をこなしてもなおエピソードは出してもらえず。 

三宅「今日もすごかったんだよ。入りで車で入ってきたらマネージャーが『三宅さん!佐久間です!』『え?何?』『佐久間が追いかけてきます』って(笑)パワーウィンドウ開けたら佐久間が手を振りながら追いかけてきててさ、何やってんだよって。」

滝沢「それもうただのファンじゃないですか(笑)」

冷静に考えると「佐久間が追いかけてきます」という言葉のおかしさがじわじわこみ上げるので困る。

想像してみるとどう考えても可笑しい。そんな光景、ある???

手を振りながら追いかけてくる佐久間くん。

真顔で追いかけてくるわけがないからきっといい笑顔だろう。下手したら「健くーん!」なんて叫んでいたかもしれない。どう想像しても情景が二次元。

 

これはマンガですか?アニメですか?いいえ、佐久間です。

 

滝沢「渡辺が最初健くん健くんって言ってたのに佐久間に押され渡辺は引っ込んでしまい。」

三宅「あいつは本当に諦めたよな。一切来ないもん(笑)」

滝沢「次の口上で自分の思いをぶつけてくれるはずです、それに負けじと佐久間も。」

後半になるにつれ目立った滝沢座長による口上への無茶ぶり。

これを受けて両名は

渡辺「~結局何が言いたいかと申しますと、本当は誰よりも健くんを愛している!渡辺翔太!」

佐久間「~助太刀致す!…渡辺(そちらを見て)、すっこんでろ!佐久間大介!」

えっ、なにこれ?

 滝沢歌舞伎で何が起こっている?

このノリもなんだか若い男の子たちのひしめき合う滝沢歌舞伎ならではであるなぁと思った。アイドルしている。

 


5/1(日)夜 三宅「息の根を止めてやるよ」

佐久間「健くん、健くん!佐久間です!!」

三宅「何だよ。」

佐久間「佐久間が蚊だとします。健くんのどこなら吸い付いていいですか?」

三宅「えーどこでも…あっ、吸い付いていいよ。」

佐久間「いいんですか!どこがいいですか?」

三宅「どこでもいいけど、ただ吸い付いたらグッて血管に力入れて動けないようにして、動けなくなったところをにスパーン!ってやるから。息の根を止めてやるよ。

佐久間「一緒にいられるなら嬉しいんでお願いします!!

殺る気である。 

しかも甘んじて受け入れる佐久間くんの返答、もはや狂気。

 


5/3(火)昼 「佐久間と一緒にディズニーランド行きましょうよ!」

(共通質問「GWに1日オフがあったらどこにいきたいですか?」

三宅「ディズニーランドに行きたい。」の流れから) 

佐久間「健くん!健くん!佐久間です!」

三宅「(左手で目を覆う)」

佐久間「健くん?」

三宅「…はい。」

佐久間「GW中に1日休みがあったら佐久間とどこに行きたいですか?」

三宅「それ佐久間限定なの?」

佐久間「はい!僕と2人でどこに行きます?」

三宅「どこにも行きたくないです。」

佐久間「えぇ~!佐久間と一緒にディズニーランド行きましょう!」

三宅「いやだよ。お前いるとうるさいからすぐ見つかっちまうだろ。

佐久間「あぁ~、それは否めないっすね!

いや、否めないんかい!!! 

佐久間くんは黙れないタイプなのでしょうか。どちらかといえばはしゃぎっぷりを抑えられないタイプの気がしてならない。

 


5/3(火)夜 「佐久間が女の子です」

(共通質問「自分が女の子で相手へ告白するなら?」からの流れ)

佐久間「健くん、健くん!佐久間で~す!健くん!あれ?佐久間です!こっちですよ~?」

三宅「なんだよ。」

佐久間「佐久間が女の子です。どうやって告白されたいですか?」

三宅「…。」

佐久間「健くんは!佐久間にどうやって告白したいですか?」

三宅「(告白する側と告白される側が変わっているので)お前グダグダなんだよ!

深澤「落ち着いてから言えよ!さがれ!」

佐久間「えぇ~~!」

告白されたいのかしたいのか、どちらにしても強い。

 

ちなみにこの日はSnow Man結成4周年だったそう。

滝沢座長からの口上指示は「親への感謝の気持ち」で、これが爆笑モノだった。

「お母さん!タッキーが大好きなお母さん!

いつも歌舞伎を見に来てくれて『僕どうだった?』って聞くと、『あんたなんて家でいくらでも見れるんだから見てないわよ!タッキーと健くんしか見てないわよ!』って言われるけど…それでも大好き!佐久間大介!」

お母様まで、さすがです。

 


5/4(水)昼 2ショット写真集を出すとしたら?

佐久間「健くん健くん!もし滝沢歌舞伎の新しいグッズで、健くんと佐久間の2ショット写真集を出すとしてぇ、山と海どっちで撮影したいですか?

滝沢「どっちでもいいわ…。」

佐久間「なんで滝沢くんが!どっちに行きたいですか?」

三宅「どうでもいいよ。」

佐久間「ええ~っ!!!」

2ショット写真集ってなんやねん。

 

‥と、一瞬思ったもののそんな感じのものがすでに過去に存在したことを思い出した。

三宅健&今井翼真夏の少年「ネバーランド」 (集英社TVブック)

こういうことだろうか。しかもこれ、海…。

 


5/4(水)夜 三宅「そのまま逝ってくれ」

(共通質問「ここにいるお客さんが全員熱を出しました。どんな言葉をかける?」からの流れ)

佐久間「健くん、健くん!佐久間が熱を出してしまったら健くんはどんな優しい言葉をかけてくれますか?」

三宅「そのまま逝ってくれ。

佐久間「喜んで!

逝ってくれ、よりも喜んで!のほうがおそろしく感じるのはなぜだろう…。

 

佐久間くんの怒涛のポジティブは多少キツめの言葉でも軽やかに弾き飛ばしてくれるため、相手の言葉が強くても不思議と重くならない。

笑いの場に1人いてくれると非常に重宝するタイプ。

 


5/5(木)昼 佐久間の子どもっぽいところは

佐久間「健くん、健くん!」

三宅「はい。」

佐久間「佐久間で~す!」

三宅「はい。」

佐久間「健くんは、佐久間のどこが子供っぽいと思いますかぁ〜?」

三宅「ふっ(笑)…すべてです。

佐久間「えぇ~~!?」

せやな。

 


5/6(金)昼 リミテッド関係

佐久間「健くん健くーん!!佐久間です!!」

三宅「何だよ。」

佐久間「今朝健くんがおっしゃってたように…今佐久間、スッピンで出てます!!

三宅「だから何だよ(笑)」

滝沢「どうでもいいわあああ!!

佐久間「まっさらな状態で聞きますけど、そろそろ本当に連絡先教えてもらってもいいですか?」

三宅「だから嫌だって言ってんだろ。」

佐久間「もう終わっちゃうじゃないですかあ!!」

三宅「何が。」

佐久間「滝沢歌舞伎!」

三宅「いいんだよ!俺とお前らの関係はこの滝沢歌舞伎だけのリミテッド関係なんだから

突然のスッピンアピール。女子なの?

とりあえずどういう話の流れでそういうことになったのか謎すぎる。

電話番号を教える気はさらさらない三宅さん、付き合いはこの滝沢歌舞伎期間限定だと、リミテッド関係だと言い切る。

 

※長野博さん・岡田准一さん観劇

 


5/7(土)昼 相変わらず嫉妬の鬼

佐久間「健くん、健く~ん!佐久間です。」

三宅「はい。」

佐久間「佐久間を動物に例えるとなんですか~?」

三宅「 …ん~…なんでもいいけどな…」

佐久間「えぇ~、なんでですかぁ!」

 

この日のフライングでは三宅さんがスタンバイ中ジェシーくんにがっつり絡んで(首に手を回して急接近して)話しかけていたそうで、すかさず佐久間くんが指差してダメ!!とバッテンしていたそう。嫉妬の鬼。

 


5/7(土)夜 三宅「佐久間はお掃除ロボットルンバ」

(共通質問は「お互いを電化製品に例えるなら」)

滝沢「(健くんを電化製品に例えると)電気ストーブ。遠目から見るとクールで近寄り難い感じだけど近づくとポッと暖かい。後輩の面倒見もすごくいい。」

佐久間「(会話割り込み)めっちゃわかります!

滝沢「はぁ!?お前入ってくんなよ!お前と話してないから!」

佐久間「健くん健くん!健くん?佐久間です!」

三宅「はい。」

佐久間「じゃあ質問しますねっ!佐久間を電化製品に例えると何ですか?」

三宅「お掃除型ロボットルンバ。」

深澤「なんでですか?」

三宅「動き回ってウザいのと、頼んでもないのに充電に戻ってくるところがね。

一同「おお~」

佐久間「(嬉しそうにニヤニヤしながら前へ出る)」

深澤「佐久間下がれ!よかったな!」

連日の「どうでもいい」「なんでもいい」「無い」の返答を見ていると、きちんと回答してもらえているだけでもよかったね佐久間くん…!と思えてしまうくらいになってきた。

三宅さんの例えが秀逸、ではあるのだが改めて考えるとこれは果たして褒めているのかけなしているのか。

 

三宅「宮舘がさ、いっつも髪の毛遊ばせてんじゃん。あいつ亀梨に憧れてるとかでいつも髪セットしてくるから

『今日も髪の毛遊ばせてんなぁ』

ってからかったら、さっき楽屋に来て

『月曜日、髪切りに行こうと思うんですけど、どうすればいいですか?』って聞きに来て。

知らねぇよ!

宮舘くんとも仲良く絡んでいるようで微笑ましいエピソード。

髪の毛を遊ばせているのが亀梨くんリスペクトによるもの、とラジオ内で知った時にもキャッキャしていた三宅さん。

かっこつけてる人だったりキメてる人をいじるの本当に大好きなのだろうなと思うことが度々あるのだが、いやあなたもなかなかですよ…と内心ツッコまずにはいられない。

 


5/8(日)昼 三宅「佐久間はごま団子」

佐久間「健くん!健くん!佐久間でーす!」

三宅「はい」

佐久間「じゃあ質問します!健くんが好きな食べ物に佐久間を例えるとなんですか?」

三宅「えー好きな食べ物?…ごまだんごかな。」

佐久間「おぉ~!」

三宅「1つ食べたらもういらない。

佐久間「えぇ~そこぉ~!?」

1つ食べたらもういらない、それに加えておそらく「頻繁には要らない」という意味も含まれていそうな回答「ごま団子」。

きっと自身を好きな食べ物に例えてもらうことで間接的な「佐久間=好き」をいただこうと思ったのだろうが、こんなところでまで突き放されるとは

  

滝沢「始まってみればあっという間で」

三宅「うん…(泣きまね)」

滝沢「あれスイッチ入っちゃった?(笑)残りあと今日入れて10公演ですよ。」

三宅「うん…(泣きまね)寂しいよ!」

滝沢「寂しいですよね。」

三宅「お前はそんな思ってないだろ10年もやってんだから。」

滝沢「また一緒にやりたいですね。」

三宅「淡々としてる(笑)本当に思ってる!?お前、佐久間なみに嘘くさいぞ!

滝沢「ええぇ~嫌だああ!」

三宅「これからお前のことさっくんって呼ぶ…あっ違う!たっくんって呼ぶわ!(笑)」

いよいよ嘘くさいキャラ認定。

嫌がられているがめちゃくちゃおいしいポジションである。

 

滝沢歌舞伎も後半に進むにつれ、一部ではなく全体的な雰囲気として「佐久間の健くんへの猛アピールがすごい」を立てるような展開が多くなってきた。

佐久間くん本当にキャラが立っているなあ、とそろそろ親心的な何かが芽生えてきてしまう。

 

このトークを受けて、この回の佐久間くんの口上は

「~助太刀いたす、"さっくん"こと佐久間大介!」

 三宅さんから「さっくん」が出たのが嬉しかったんでしょうね…。

 


5/8(日)夜 腹筋太鼓中も三宅を見つめる佐久間

佐久間「健くん、健くん!健く〜ん!佐久間で〜す!健くんに質問です。

健くんは、踊ってる佐久間と腹筋太鼓をしているときの佐久間、どっちが好きですか?」

深澤「すみませんねぇ」

三宅「腹筋太鼓…っていうかお前さあ、俺たちがぐるぐる回ってる時チラチラ見てるだろ。

佐久間「目合いましたね!

三宅「合ってる場合じゃねえんだよ、仕事しろよ!

そんな時まで見てるんかい。

佐久間くんにとっては目線もらったー♡くらいの気持ちなのかもしれない。ファンか。

 

いよいよ何キャラなのかわからなくなってきたこの日の口上は 

「~助太刀致す!健くんに僕の愛、届け!佐久間大介!」

すごい。

 


 

5/10(日)夜 滝沢「佐久間のフィギュアプレゼントします」

(共通質問「この回が555回公演。それにちなんで555万円あったら相手にしてあげたいこと」)

佐久間「健くん健くん!佐久間です!質問しますね!もし555万円あったら、佐久間に何を買ってあげたいですか?」

三宅「ケンタッキーのいいとこどりパックを555万円分買って、たらふく食べさせて太らせて、二度と踊れなくしてやる!

佐久間「ええ~?!(嬉しそう)」

 

深澤「滝沢くんは?」

滝沢「健くんが佐久間を太らせるなら、今の状態の佐久間のフィギュアをたくさん作ってプレゼントします。忘れないように、思い出として。」

三宅「いらないいらない。」

佐久間「それは今の佐久間1人で十分ってことですか!?

三宅「違う!!

ここへ来て滝沢座長の「佐久間を泳がせる」手法が目立ち始める。 

滝沢さん・三宅さん・佐久間くんの三者三様のよくわからないおもしろコメントが炸裂しだし、それが絶妙にマッチしているようなマッチしていないような空間が生まれ、その化学反応たるや…小難しく言いたいものの結局のところ私が何を言いたいかというと「何これ???」だ。

佐久間のフィギュアをたくさん作るってなに。

それだけでも斜め上なのに、そこへ輪をかけて佐久間くんが乗っかってくる。出た、鬼ポジティブ。

意味はわからないが、座長もなんだか楽しそうでなによりである。

 

※井ノ原快彦さん観劇

 


5/11(水)昼 三宅「今すぐ日本から出てってください」

佐久間「健くん、健くん!556万円あったら佐久間に何してあげたいですか?」

三宅「生活費としてあげるので、今すぐ日本から出てって下さい。

佐久間「ええぇ~!」

 

滝沢「556万円の良い物件を買って、健くんと佐久間2人で住んでください。」

佐久間「ええぇ~~!!!(嬉しそう)」

この日の座長も全力で乗っかる。

 

滝沢歌舞伎がはじまってツイッターにはいろんな方のレポートが溢れ出し、回ってくる佐久間くんの話。

それを、彼がどんな人物なのかまったく知らない状態で文字面として眺め始めた頃の私の素直な感想は

「オネエかな??」

だった。もちろん冗談半分ではあったが、ここに謝っておく。

いや、三宅さんに対する好意がすごすぎて、そしてストレートすぎて。

 

若いアイドルたちの絡みを見て「キャー!」と盛り上がる、これは特有の文化だ。

それはアイドル自身も自覚していたりして、わざとそういった絡みを見せてくれるようなプロっぷりを見せつけてくるタイプもいる。

 

しかし、佐久間くんはどうだろうか。

それを見せつけてファンを盛り上げるタイプなのか、はたまた自分が楽しいから絡んじゃうタイプなのか。

 

「ビジネス」と称される絡みはきっとこの前者であったり、ファンの前でわざと絡むことによって自分を目立たせたい、あわよくばファンを取ってやろう、もしくは先輩と仲良くすることでその権力にぶら下がり恩恵にあずかろう、というタイプだろう。

 

私は滝沢歌舞伎全編を通して「佐久間くんはどういった感情でここまで三宅さんに絡んでいるのだろう?」「この絡みにオンとオフはあるのだろうか?」と疑問を抱きながらレポートを追っていた。

 

そして出てくる情報はといえば、稽古中から待ち伏せしていた・舞台上でもめちゃくちゃ絡む・楽屋に本人より先にスタンバイする・楽屋にひんぱんに行く・乗っている車を手を振って追いかける。

どれもこれもおかしい。

オンとオフどころの騒ぎではない。ずーーーーーっとオン。

ファンを盛り上げるというよりも自分が一番盛り上がっている。

 

いまだに佐久間くんが三宅さんに抱いている感情は把握しかねる。すごすぎて手に負えない。

序盤にSnowManの面々も「僕らには手に負えない」と言っていたが、これはもう端から見ているだけのこちら側としても手に負えない。

「いいぞもっとやれ」なんて思っていたけれど、その「もっと」を超えてくる。

 

そして、佐久間くんのこの日の口上はこうであった。

(滝沢さんが三宅さんのアリ地獄にすっかりはまってる、という流れを受けて)

「〜助太刀致す!既に健くんのアリ地獄にはまっております!佐久間大介!」

 アリ地獄にはまってるんならもう納得である。そっか…と生暖かい目で見守りたい。

 


5/12(木)昼 漢字一文字で表すなら

(共通質問「お互いを感じ一文字で表すと?」

滝沢さんから三宅さんへの一文字は 「川」)

滝沢「川。川の字になってね、健くんと僕と佐久間で。そろそろ僕が間に入らないと。」

佐久間「佐久間が真ん中でいいじゃないですかぁ!」

佐久間「健くん、健くん!!佐久間を漢字一文字で表すと何ですか?」

三宅「敵。

佐久間「えっ!えぇぇ~~っ!?」

深澤「佐久間、下がれ!」

佐久間「そんなぁ~~!」

深澤「敵、下がれ!」

敵、て。

ザ・三宅健ともいえる回答に爆笑してしまった。

 


5/12(木)夜 KFCの意味を知らない佐久間

佐久間「健くん、健くーん!」

三宅「なんだよ!まだしゃべってんだよ!」

佐久間「えぇ~!聞いてくださいよ~」

三宅「はい。」

佐久間「好きか嫌いかで答えてくださいね!ケンタッキーフライドチキンは好きですか?」

三宅「好きです。」

佐久間「ファンの皆さんのことは好きですか?」

三宅「好きです。」

佐久間「ではぁ、佐久間のことは好きですか?

三宅「どちらでも……ない。」

佐久間「えぇ~!!」

深澤「佐久間、下がれー!」 

どんだけ好きって言ってもらいたいねん。

 

 

(当時の振付なら完璧に踊れるから、V6のバックで踊りたいと言う滝沢さんに)

佐久間「はい!はーい!僕も一緒に踊りたいです!」

滝沢「あ、勝手にどうぞ。

佐久間「えぇ~!」

三宅「お前には思い出とかないだろ!」

佐久間「これから作ってくんですよ!」

滝沢「これから作ってくんですか?もうすぐ滝沢歌舞伎終わりますよ?」

佐久間「これからもずっと健くんとは仲良くしたいです。」

三宅「だから滝沢歌舞伎だけの関係だからな!」

佐久間「えぇ~!?この先も健くんとは~」

三宅「お前のポジティブを、全部ネガティブに変えてやるよ!!

佐久間「えぇ~!!」

で、出たー!!

三宅さんは以前にもアウト×デラックスに出演した際に「ポジティブな人って打ち崩してやろうと思う。お前のポジティブを全部ネガティブに変えてやろうか、と思う」という発言をしていた。

変えてやろうか、から変えてやるよ!に進化している。

 

「健くんにもっとジュニアを知って欲しい」という話から、このあとの口上に対する無茶振り。

滝沢「あとはー、SnowManを知ってもらいたいですね。滝沢歌舞伎とSnowManをかけてもらいましょう。佐久間に!」

三宅「大丈夫?あいつ日本語知らないよ?KFCの意味知らないからね?俺36年生きてきてKFCの意味知らない人に初めて出会ったからね。『KFCって何ですか?ケンタッキーなのになんでTがないんですかっ?』って(笑)」

滝沢「大丈夫ですよ(笑)でも焦って来ると顔真っ赤になってきちゃいますけどね。

三宅「今日はKFCの人も来てるからね」

滝沢「まぁ滝沢歌舞伎とSnowManをかけてね。」

三宅「あいつ大丈夫か?言葉知らないからなぁ。まぁあいつが自爆した所で俺は知らないから。」

KFCを知らないことを暴露される佐久間くん。

これは私の勝手な見解で偏見極まりないのだが、顔が真っ赤になっちゃう人には基本的に悪い人はいないと思っている。

 

果たしてKFCを知らない佐久間くん、SnowManと滝沢歌舞伎をうまくかけることができたのか。

 

口上に入るまでもそわそわ、始まってからもうろうろしながら頑張った口上がこちらである。

佐久間「こんにちは~!えっと~そうですね~、滝沢歌舞伎とSnowManは似てるところがあると思うんですよ。例えば滝沢歌舞伎はいろんな演目をやる、SnowManはいろんな種類のアクロバットをやる、あと…えっとぉ……

頑張ってる!!

佐久間大介!」

  


5/13(金)昼 とんでもない2択

佐久間「健くん健くん!!」

三宅「はい。 はい。」

佐久間「2択質問しますね!2択ですよー!好きな方はどっちですか?

①佐久間 ②さーくーまっ!

いよいよ答えがどっちも佐久間。

果たしてこれを2択と言っていいのか。

そして三宅さんはなんと答えるのか。

三宅「どちらでもない!」

佐久間「どっちかです!どっちか!!」

三宅「どちらでもないんだもん

佐久間くん必死すぎるし三宅さんどっちも選んでくれないし何この2択???

 


5/14(土)昼 「佐久間ロス」を起こそうとしている

佐久間「健くん、健くん!健くん?健くん!佐久間ですよー!!(前へ出てくる)健くん!健くん?!」

三宅「お前、何回呼ぶんだよ。」

佐久間「そうじゃなくて!そろそろもういい加減!番号教えてくれません?!」

三宅「やだよ」

佐久間「だって、もう滝沢歌舞伎終わっちゃうんですよ?」

三宅「うん。」

佐久間「僕と会えなくなっちゃうんですよ?」

三宅「うん。」

佐久間「僕と毎日一緒にお昼ご飯食べれなくなっちゃうんですよ?!」

三宅「別にいいです。」

佐久間「ええぇ~?!」

深澤「下がれ!」

佐久間「は~い…(拗ねる)」

<口上>

佐久間「~助太刀致す!健くん!今日もお昼ご飯一緒に食べましょうねっ!佐久間大介!」

滝沢「昼夜公演ある日は毎回ね、健くんと僕とSnow Manの深澤と佐久間と。ジャンケンして負けた人がご飯奢るっていうのをやってましたよね。健くんよく負けてますけど…」

三宅「違う。あれはほら、やっぱ俺が払わなきゃいけないから…(先輩なので)」

滝沢「いや、毎回一発で負けてますよね?!」

三宅「それは読んでるんだよ、毎回。Jr.もいるし俺が負けなきゃって潜在意識で。無意識的に負けてる。」

滝沢「でもこの前佐久間が負けた時『よしっ!!』って喜んでましたよね?」

三宅「彼に対しては恨み辛みがあるからさ、ついね…。」

滝沢「あ~なるほど、そういうのがあるんですね!(笑)」

 

三宅「でももうルーティンだもんね。毎日新橋演舞場に着いて『健くん!健くん!』ってさぁ…朝イチの佐久間ってツライ。

滝沢「でも終わったらその当たり前の佐久間も、当たり前じゃなくなっちゃいますからね。」

三宅「あいつ、ほんっとこわいよ。なんか衣装さんたちに、俺にこんだけ押し付けて押し付けて佐久間ロスを起こそうとしてる、って漏らしてるらしくて。こんだけ言ってりゃ終わったあともなんかあるんじゃないかって。」

滝沢「(笑)でもわかりませんよ、佐久間を欲しがるようになっちゃうかもしれませんよ?」

三宅「いや、そうは問屋がおろさねえ!」

ロスを意図的に起こそうとする佐久間。

一生懸命かよ。

毎日演舞場に着いたら「健くん!健くん!」と寄ってきていたのかと思うともう元気なワンコのように思えて仕方がない。

 


5/14(土)夜 「健くんへ♡」

佐久間「健くん、健くん!」

三宅「なんだよ。」

佐久間「本気でガチで電話番号教えてください!終わっちゃいますよ!」

三宅「今日もさ…さっき楽屋にこんなものを置いて行きやがったんですよ。(「健くんへ♡」と書かれた手紙が出てくる)」

佐久間「あっ!!なんで持ってきてるんですか!」

三宅「これさ…(笑)」

佐久間「もう健くんが教えてくれないなら、僕のを教えておこうと思って!」

三宅「今から佐久間の番号言いまーす!佐久間ファンの方必見ですよ!『ゼロ』ー、」

佐久間「うわぁあダメ!それ本当の佐久間のですよ!」

三宅「下4桁言ってやるよ(笑)」

佐久間「ダメですって!!」

三宅「まぁ、この時点で前の人とか透けて見えてるかもな(笑)」

佐久間「長妻!健くんからその紙取って!」

三宅「(長妻くんに)それ処分しといて(笑)」

あまりにも三宅さんが番号を教えてくれないので自分の番号を手紙にしたためて渡す作戦へ。ここまで教えてくれないとさすがにそうなるわな。

 

宛名の最後にハートマークまで付けた渾身のお手紙を渡したのに、まさか舞台上に持ち出されるとは。

というか、なんでハートマークとかつけているのか。女子か。この子、強い。

 

いじりにいじられ、なんだかんだでかわいがられているのが伝わって来る。

 


5/15(日)昼 千秋楽、佐久間から三宅への手紙

佐久間「健くん!佐久間です!」

三宅「また来た(笑)」

佐久間「健くん!今日で最後なんで、いい加減番号教えてください!」

三宅「え?それはさ、お前の今日の頑張り次第で考えるよ。」

佐久間「え!やったー!ほんとですか?」

三宅「でももう始まってるからな!」

佐久間「はい!はい!」

三宅「ちゃんと見てるんだから。俺は後ろにも目が付いてるから後ろのお前も見えてんだよ。 

佐久間「わぁ~めっちゃ見られてる~照れる~!

三宅「お前はどこまでポジティブなんだよ(笑)」

長かった49公演もいよいよ千秋楽。

最後の最後まで鬼ポジティブ。

普通は「後ろのお前も見えてんだよ」とくれば「頑張ります!」の返答が妥当だろうになぜ照れる??

 

口上では三宅さんへ手紙を書いてきて読み上げた。

佐久間「健くんへ。

健くん!いつも僕、佐久間を構ってくれてありがとうございます。

朝一番に楽屋に行くと健くんの第一声は『帰れ!』ですよね

でも優しい笑顔で言ってくれる健くん。そういうところが大好きです!2人でご飯を食べに行った時、お仕事の話をしてくれてその時に健くんからもらった一言があります。それは『何事も全力でやれ。引かれるぐらいまでやれ。それでやっと普通だ。』この一言は僕の宝物です。ずっと大事にします!

 

そして滝沢くん!滝沢くんには感謝しかないです。

そして今年一番の感謝は…滝沢くん!一言言わせてください!

僕と健くんを出会わせてくれてありがとうございます!僕たち2人、これから末永く幸せになります!

健くん、2人仲良くごはんに行ったり、ディズニーランドに行ったり、お家に遊びに行ったりしましょうね!電話待ってます!佐久間大介!」

うん???結婚するの???

さすが三宅さんから「勘違い野郎」の称号を得ただけある。もう免許皆伝だ。

しかも読み終えて舞台上からはける際、佐久間くんは懐に挟んでいた手紙を落っことしてそのまま行ってしまったらしい。

感動させたいのか笑わせたいのか丁寧なのか雑なのか、こちらの感情は振り回されっぱなしである。おおいに笑った。

 

その一方で、深澤くんは滝沢さんへの感謝のお手紙を半泣きになりながら読み上げた。

「Snow Manの名を守っていけと言ってくださった滝沢くん。僕達は出来ていますか?これからは守るだけではなく、とことん攻めていきます。Snow Manのためなら僕はなんだってやってやります。」

こんな感動的な内容に加え「恩返しの気持ちを込めてモノマネやります!新幹線のトイレの音!」と強引に持っていった深澤くんもおもしろすぎる。

グループを大切にする人間が私は大好きだ。素直にSnow Manがデビューできたらいいなあと思った。

 

京本「健くんのこと勝手に仲間と思ってました」

三宅「なんだよ、仲間仲間ってワンピースじゃないんだよ!」

 

佐久間「健くんと親友になれたことが嬉しかったです!」

三宅「はぁ?なんなんだよ!仲間って言ったり親友って言ったりこいつら〜。」

佐久間「あっ、親友じゃなくて彼女ですね!」 

結局彼女に落ち着いた。それでいいのか。

最後の最後まで熱烈アプローチの手をゆるめなかった佐久間くんに拍手。

 

結局携帯番号がゲットできたのかできなかったのか、まぁさすがにこれだけ絡んでいればゲットしているだろうな…と勝手に完結させていたのだが、すでに後日談が少し届いたのでそれをふまえつつもう少し綴ろうと思う。

 

長々と滝沢歌舞伎関連の記事を書いてきたが次回総括して終了とする。お時間があればもう少しおつき合いいただければ幸い。

 

 

 

 

「滝沢歌舞伎2016」が終わって思うこと

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長々と滝沢歌舞伎に関する記事を書いてきたのだが、ようやくこの記事で最後になる。

最後は、三宅さん・佐久間くんの関係の後日談と、この1ヶ月ほどで知った滝沢座長とSnow Manの絆のこと、トニセンがラジオで語った滝沢歌舞伎2016感想の文字起こしをしてみる。

最後なのでもう書きたいこと全部盛りにしてみた。

 

もくじ

 

 

三宅健と佐久間大介の関係がおもしろい件〜後日編〜

三宅さんは滝沢歌舞伎が終了した翌日に放送された「三宅健のラヂオ」冒頭で、さっそく「佐久間ロス」を彷彿とさせるような言葉を放っている。

相変わらずどんな流れが求められているかをわかっている人だなあとつくづく思った。

三宅「2016年5月16日、月曜24時を回りました。

さあ、というわけで三宅健のラヂオ。始まりました。

おい佐久間!佐ー久間!ああ、そうかもういねえのか。そうだ。昨日で滝沢歌舞伎終わったんだった。いないんだ。」

(中略)

三宅「滝沢歌舞伎も無事終了。Snow Man佐久間とも無事卒業ということでね、えー、これからは平穏な日々が続いていくと思います。

いやー解放されたぜ!本当に。なんかもうしつこさを通り越したからな。なあ?」

マネージャー「そうですねえ…」

三宅「お前よく知ってるんだろ、あいつのことを。」

マネ「はい(笑)」

三宅「Jr.についてた時期があるわけでしょ?あれすごいなアイツねぇ。何者なのかね、彼は。」

マネ「昔とだいぶ変わったとは思います。

三宅「あ、あんな子じゃなかったの?」

マネ「あんな子じゃなかったと…どこでどう変わったんですかね(笑)」

三宅「そうなの。前はどういう子だったのちなみに?」

マネ「前は……でも、あそこまでグイグイ来るような子ではなかったです。」

三宅「そうなの?」

マネ「はい。」

三宅「どこで誰が教えたんだよそういうの。」

マネ「(笑)」

三宅「いい、もうあいつの話はやめよう。」

マネ「(笑)」

(「三宅健のラヂオ」2016年5月16日放送)

 

これはおそらく滝沢歌舞伎がまだ終了していない段階で収録されたものだろう。

 

では実際のところ滝沢歌舞伎の全日程が終了したあとで佐久間くんの猛アピールはどうなったのか。

佐久間くんは毎日電話していた。

三宅さん、ではなく三宅さんのマネージャーに

 

公演中、あれだけ「番号は教えない」と頑なだった三宅さん。

本当の本当に電話番号を教えなかったそうだ。

「そんなこと言って、結局教えてあげるんでしょう…?」なんて思っていた方。というか私なのだが、びっくりである。

 

毎日マネージャーさんに電話をし、Snow Manのコンサート(ジャニーズ銀座2016公演、シアタークリエにて4日間)が始まっていること、いつ来るんですか?といった内容を伝えてもらっていた。

 

その甲斐あってか三宅さんは5月19日公演に来場。

その場で「しつこいんだよ。うちのマネージャーはそれで精神的に参っています。もうやめてください。」と言われたのだが「やめるなら健くんの番号教えてください!」

と食い下がる始末。

 

その公演内のとあるコーナーで「名前に漢数字の入っているジャニーズタレント」を答える際に、深澤くんが佐久間くんより先に「三宅健」を答えてしまい、佐久間くんは「それどう考えても俺が答えるやつじゃん!チッ」と舌打ち。

 

さらに「みやけけんを漢字で書け」の問いに佐久間くんがフリップに書いたのは

♡ ♡ ♡

 三宅健

♡♡♡♡

と、ハートで囲まれた「三宅健」だった。

強火っぷり衰えず

 

ちなみに佐久間くんのソロはV6の「蝶」である。

それに対して「どうでした!?」と聞かれた三宅さんの返答は、

「佐久間お前はさあ、アゴさえ上げてりゃーいいと思ってんだろ。

お前そのうち顔見えなくなるぞ

 

…うん、あまり佐久間くんのことを知らない私でも最近いろいろ見ていて思っていた。

確かにアゴめっちゃ上げている。

でもだからといってそのうち顔見えなくなるぞ、なんて言葉が思いつくまでの発想力はなく、ましてや真正面からそこをバッサリ斬っちゃうあたり本当に三宅さんらしい。

しかもここはSnow Manのホームとも言える単独公演の場である。

三宅健すごい

 

ちなみにやっぱりこの日も電話番号は教えてもらえず。

 

佐久間くんはクリエ公演中に三宅さんのことをストレートに好き、すごい興味津々、惹きつけられるものがあるといった言葉で表現していたが、私が圧倒的に気になったのはこれである。

「俺にとって健くんは二次元に近いのかも」

わかる。 

 

私からすれば、佐久間くんだって「あちら側の人」なのだが、なんだろうかこの「いよいよこちら側に来よったぞ…」という感じ。

以前文字起こししたラジオの中でも

「V6ファンのみなさんと健くんのファンのみなさん!ぼく、みんなと、おなじです!!!」

という、お、おお…そうなん…?とどういうことなのかこちらが戸惑うような発言をされていたのも記憶に新しいのだが、あながち間違っていないのかもしれない。

 

果たして佐久間くんが三宅さんの連絡先を教えてもらえる日はやってくるのだろうか。今後の続報に期待している。

 

ちなみにこの記事を書いている最中に更新されたジャニーズWeb内の三宅さんの連載がやばいことになっていた。

最初の2行を読んで思わず「佐久間くんにハッキングされた?」もしくは「私は三宅さんのページを見ているつもりで佐久間くんのページに飛んでいたの?」と大混乱してしまった。 

とにかくなんだかんだ言って三宅さんは佐久間くんのことを相当気に入っているのは確かだ、ということがわかる冒頭2行だった。

 

 

滝沢座長とSnow Manのこと

Snow Manは元々6人よりも多いメンバーで「Mis Snow Man」として活動していた。

活動していく中で人数が減り、やがてMis Snow Manとして結成された時の原型はなくなっていく。一時は5人にまで減り不安も抱く日々も過ごした。

 

そんな中、彼らは2012年5月3日から「Snow Man」として活動を開始する。

その発表は2012年の滝沢歌舞伎内で行われた。

 

翌2013年渡辺くんが読み上げた滝沢さんへの手紙の中には、その時の事がこう綴られている。

僕たちはいろいろ人たちと、いろいろなグループで活動していました。
そうしているうちに僕たちは6人になり、
不安に思いながらも先輩たちの背中を見てただがむしゃらに励んでいました。
そして、1人が受験で休業して、気づいたら5人になっていました。
それでも数々の仕事をしながら毎日を過ごしていました。

2012年の春、休業を終えた1人が復帰して、また6人になった僕たちを
タッキーは滝沢歌舞伎の舞台で以前よりも重要なポジションで出演させてくれましたね。
それでも僕たちの不安が消えることはありませんでした。
 
そんなある日、タッキーは僕たちを楽屋に呼び、こう言いました。
「君たちのグループ名が決まりました。Snow Manです。」
僕らが耳を疑うと「お前らがグループ名を守ったんだよ」と言ってくれましたね。
何気なく言ってくれたタッキーの言葉に、それまでの不安が自信に変わり、ここから僕たちの新生Snow Manとしての活動が始まりました。

 

今年、一連の滝沢さんのインタビューを読んでいて度々「Snow Manには厳しくしている」という内容に出くわした。

滝沢秀明とSnow Man、そこにはどんな繋がりがあるのだろう?と思っていた。

 

2014年の滝沢歌舞伎の千秋楽で、滝沢さんからSnow Manへ宛てた手紙が読み上げられた。その中で印象的だった言葉がある。

この間、SnowManのとあるメンバーがステージでこんなことを言っていました。

「Jr.のトップになる」

そのとき、胸が痛くなりました。

思いっきり怒ってやろうかと思いました。

この数年、どうやったらSnowManが大きく見えるか、どうやったらいいグループになるかをすごく考えてきました。

今の目標がJr.のトップ、それは違うと思う。

目標にすべきことは、デビューをして、本物のSnowManになることが目標だと思う。

時間はあるようでないかもしれないから。

心で思っていても口に出せない恐怖があるのかもしれないね。

かつてJr.のトップにいた人が語っているからこそこの言葉はより一層重みを増す。

 

ここ数ヶ月で滝沢歌舞伎関連のことが掲載された雑誌を何冊も購入したのだが、その中にはケンタッキーの後にSnow Manが載っているものがいくつもあった。

そんな姿を見ていて私は、彼らがバックの中でも重要なポジションを担っているのだろうなあと思った。言ってみれば2列目、主役を支える上で重要なところにいるのだろうな、と。それくらいに実力のあるグループなのだろうなとなんとなく思ったのだが、実際そうだった。

 

しかし、はじめからそんなに達者だったわけではなかった。

 

先ほどの滝沢さんからSnow Manに宛てた手紙、その中には各メンバーへ当てた内容もある。その文面を私は涙なしにはたどれなかった。

印象的だったものをいくつか抜粋する。

佐久間へ。
君はすごく魅力があると思う。
芝居をもっとやらせたい、もっと踊らせたい、色々思ってるよ。
でも、佐久間はなかなか前に出ようとしないよね。
岩本と深澤が前へ出たりすると、いつも遠慮がちだよね。
それは良くないと思う。
自信を持って、もっともっと前へ出てください。

 

渡辺へ。
渡辺は、怒っても怒っても何度言っても忘れてしまうことがあるね。
ここ数年、本当に悩んでいました。
こんなJr.初めてだ、俺が諦めたらダメだと思いながらも、今回言うのは最後にしようと決め、稽古中にみんなの前で"もっと真剣になれよ"と言ったのを覚えていますか?
その一言には色々な意味がありました。
その答えを今言うつもりはないけど、いつか自分に後輩ができたときに答えが見つかると思います。
それからの渡辺はもっと変わると思うよ。
どんなに時間がかかっても俺は諦めないので、大きな渡辺になってください。

 

岩本へ。
普段、岩本と話すことはあまりないけれど、言いたいことがあっても、芝居がちょっと違うなと思っても、実はあえてあまり言わないようにしています。
それは、岩本の感性をみたいから。
これからものびのびやってください。
演舞場に入ってから初めて2人だけで話をしたよね。
時間としてはあまり長くなかったけど、心の目と目を合わせて初めて話せた気がする。
体が大きい割には、落ち込むと凄く小さくなる岩本。
大丈夫、君にはSnowManもいるし、俺もいるよ。
そして、皆がいる。

 

佐久間くんが遠慮がちでなかなか前に出ようとしなかったこと。

渡辺くんが座長がさじを投げたくなるくらい何度言っても忘れちゃう子だったこと。

岩本くんが体が大きいのに落ち込むとすごく小さくなっていたこと。

阿部くんが「もっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかな」と座長に言われるくらい頑固なこと。

宮舘くんが自分の意見を前に出さない、おとなしいタイプだったこと。

深澤くんが過去に何度も座長とぶつかり合って、楽屋で泣いたこともあったこと。

 

そこには私が知らなかったSnow Manの姿があった。

 

滝沢さんはSnow Manに期待しているからこそもっとクオリティの高いものを要求する。Snow Manはそれをしっかり受け止めて応える。

その中で生まれた信頼が、今の関係を築いているのだと知った。

 

長い時間をかけて作ってきた滝沢座長による舞台は、その中でSnow Manをぐんと成長させてきたのだろう。

こうして後ろにつく彼らがしっかりと育ってきたことも、もしかすると今年の「三宅さんをキャストに加える」という新たな試みにつながった1つの要因なのかもしれない。

 

今年の稽古でのこと。
人見知りする三宅さんが自然に仲良くなれるようにと、稽古場でのそれぞれの配置は滝沢さんによって組まれた。
 「おまえはいつもこの辺にいろ」と指示されるのは異例のことらしい。
直接その理由の説明はされなかったが、そこからSnow Manは「健くんがどこにいってもJr.が対応する体制を作っておくこと」「雑談だけではなく稽古についてもフォローすること」という意を汲み取ったそうだ。
多くを語らなくても意思疎通がはかれていること、言われたことをただやるだけではなくその先をきちんと読み解き実行しようとする姿勢。これはおそらく滝沢座長が厳しく教えてきたことで得られた成果の1つなのだろうなと思った。
 

今年滝沢歌舞伎2016の千秋楽で深澤くんが読み上げた滝沢さんへの手紙には、こうあった。 

Snow Manというグループは最初は本当にどうしようもないグループでしたが、滝沢くんに出会い、本当に少しずつではありますが形になり、必死に前を向いて進んでいくこと、みんな切磋琢磨し自信を持つことができました。
「Snow Manという名を守っていけ」と言って下さった滝沢くん。
僕たちはちゃんと出来ていますか?
これからは守るだけではなくとことん攻めていきます。
Snow Manのためなら僕はなんだってやってやります。

私はグループを大事にする人が好きである。深澤くんめっちゃいい子やん…!とホロっときてしまった。

 

どのタイミングだったか忘れたのだが、私はある時、ふと思い出した。

いろんな雑誌でSnow Manを見かけ、滝沢歌舞伎のレポートをたどる日々の中で毎日のように名前を聞いていたからかすっかり頭から抜けていた。

 

彼らはまだあくまでジャニーズJr.であってデビューしていないのだ、と。

 

「ジャニーズJr.」としっかり表記されるとあぁこの子たちはデビュー前なんだな、と認識できるのだが、グループ名だけの表記になるとなんだかもうデビューしているように錯覚してしまうのだ。 

 

こんなにしっかりと「Snow Man」という形を持っているようでいて、まだ未来は約束されていない。

そのことを改めて思い出した時、なんだかとても心もとなく切ない気持ちになった。

 

彼らの最終目標は支える側で終わることではなく、ゆくゆくは中心に立ち、支えられる側になることだろう。

そして、きっと支えられる側になった時に今こうして叩き込まれていることの1つ1つが大きく活きてくるのだろう。

 

大成したその姿を見ることを誰よりも心待ちにしているのは、もしかすると滝沢座長なのかもしれない。

 

 

しかしまあ、いろんな情報を調べているうちにたどり着く滝沢さんの言葉の1つ1つの深いこと。

以前記事を書いた頃はこのことに感動していた。 

河合郁人さん・有岡大貴さんがJr.時代、舞台でふざけていて滝沢さんに怒られたことがあるらしい。

「誰の舞台だと思ってるんだ?」と聞かれ「タッキーの舞台です」と答えたところ、滝沢さんはこう答えたそうだ。

「違うだろ!これはみんなの舞台なんだ」

「滝沢歌舞伎2016」に今感じていること - ループ ザ ループ。

 

その視点の角度は様々だ。

時に俯瞰から。でもまたある時にはすぐ隣で同じ目線で語りかけるように。

ある時は先輩として。ある時は後輩として。

広い視野を持っているのがわかるし、厳しさの裏には誠実さと優しさがにじみ出ている。きっと「滝沢秀明・名言集」が作れるくらいに名言があるのではないだろうか。

 

 

トニセンのラジオで3人が語った「滝沢歌舞伎2016」感想

5月28日放送のトニセンのラジオ「V6 Next Generation」では、滝沢歌舞伎の感想が話題にあがった。

内容はケガをした三宅さんのこと、滝沢さんのこと、そしてJr.のこと。

井ノ原「滝沢歌舞伎にうちの三宅くんがね、出てて。骨もおったりなんかしちゃったんですけど。最後までやりきったということでね。お二人は、坂本くんも長野くんもそれぞれバラバラで観に行ったの?」

長野「バラです。俺、でも岡田が一緒でしたね。」

井ノ原「あー、そうか。」

長野「横で見てましたね。」

井ノ原「坂本くんは1人で?」

坂本「1人で。」

井ノ原「僕もたぶんメンバーの中で最後に。1人で行きましたけどねー。どうでした?たぶんその時と俺、違うのかな?健も怪我してたし。だいぶ俺は治ってきた頃だったから。(※5/10に来場)

坂本「あーそうかそうか!なるほどなるほど。」

井ノ原「違うのかもしれないけどね。」

長野「そうだねえ。でも俺見たタイミング(※5/6に来場)でもう、まぁ折ってるのはね、見てる人もみなさん知ってるんですけども、全然普通に。うん。そう感じさせない、っていうのも言わないほうがいいくらい普通にやってた。わぁすごいなあよくやってるなー…」

井ノ原「すごいよくやってたよねー、俺もすごい踊りもキレッキレだったし。健のところでコーナーだけでもやっぱ三宅健ワールドになってて、俺はすごく好きでしたけどね。」

長野「うんうん。」

坂本「俺ね、まだ、まだちょっと。若干…後半の殺陣とか。ちょっと足を引きずってるっぽい、ことあったんだけど逆に知ってるから、踊ってるシーンが普通すぎてドキドキしちゃってたの。(※4/24に来場)

井ノ原「そうかそうか。」

坂本「これ絶対無理してるなとか思っちゃって。」

井ノ原「そっかー。」

坂本「そのうちちょっと親心じゃないけど心配しながら見ちゃってたんだけど。でもやっぱり、もちろん健はちゃんとやってるし滝沢も滝沢でちゃんとやってる。何がびっくりしたかっていうとやっぱりJr.のみんなのその、役割?自分たちがやる役割をちゃんとこなしてるっていうのが。ちょっとねえ、なんか昔のJr.とは違うなっていう(笑)」

井ノ原「んー…昔のJr.は(笑)」

坂本「(笑)」

井ノ原「お芝居できなかったからねぇ(笑)」

長野「(笑)」

井ノ原「『だんごになるな!』って言われてたからね。かたまっちゃってみんな。」

坂本「みんな怖いからさ(笑)」

井ノ原「怖いから、見られたくないから後ろ隠れちゃって(笑)」

坂本「そう、意外とみんな前出てくんの苦手だから(笑)」

井ノ原「そうそう(笑)」

長野「全然だめだね(笑)」

井ノ原「そうだね。ちゃんとみんなしてるよね。どっかから役者さん連れて来たんじゃないかってくらいちゃんと声出てる子もいるしさあ。」

坂本「そう!」

井ノ原「ねえ。」

坂本「歌もうまいし踊りもうまいし。」

井ノ原「もうちょっとだからねえ、ジャニーズの作品に出るのもいいんだけどもいろいろ羽ばたいてね。いろんな現場でやったらいいのになあって思う。」

坂本「そう、京本くんみたいにね。」

井ノ原「佐久間くんはねえ、俺びっくりしたね。佐久間くんあの殿様役みたいなやっててさあ、あの小判取られちゃう…」

長野「渡しちゃうやつね(笑)」

井ノ原「あーいつ、達者だよ!」

坂本「あのスッとした顔の子ね。」

井ノ原「そうそう!あの子は達者だね。で、『佐久間いいなあ!』って健に言ったらさ、『あいついいでしょ!?』って言ってた。で見に来る役者さんとかみんな「あの子いいね」って言うって言ってたから、あーやっぱそうなんだなーって思って。」

坂本「彼オールマイティーになんでもできそうだね。」

井ノ原「オールマイティーだねえ。」

坂本「ねえ。」

井ノ原「あの、Snow Manってグループの子たちはねえ。ほんとにあの、仕切りもいいしね。飲み行った時も。(笑)」

坂本「そうなんだ、行ったことあるんだ?」

井ノ原「仕切りめちゃくちゃいいよ。」

長野「あの子たちが?」

井ノ原「うん。」

長野「へー!」

井ノ原「タッキーにすごい鍛えられてるっていうか。」

長野「あー、なるほどねぇ。」

坂本「なるほどねぇ。」

井ノ原「もう終わった後、どんだけ騒いでもゴミ一つなく。」

長野「(笑)えらいね。」

井ノ原「ナイス!って言っとくけどね、いつも。」

長野「もーいろんな意味で鍛えられてるんだね。舞台の上でもそうですし、プライベートでも鍛えられてるっていうね。」

井ノ原「んー。」

坂本「やっぱでも滝沢が素晴らしいんだよねまたね、あれ。」

長野「素晴らしいね。座長として。」

V6のメンバーそれぞれが滝沢歌舞伎を鑑賞し、当然なのだがやっぱり五者五様の心配があったのだとわかる。

森田さんは森田さんで、三宅さんがケガをしたことを知りなるべく早く行きたいな、と思いメンバーの中で一番早く来場した。

そしてかけた言葉が「お前の踊りを見に来たんだから踊れよ」である。

この言葉をかけられるのはきっと森田さんだけだろう。心配しながらもあえてこの言葉をかけるあたりに剛健コンビの関係性があらわれていると思う。

 

話を戻す。

井ノ原さんはSnow Manと飲んだことがあり、その場での仕切りがめちゃくちゃよかったと絶賛している。舞台に立つ姿勢だけではなく、もはや処世術までも座長から学んでいるようだ。

 

なかでも特に絶賛されているのが佐久間くん。

その話の中にはなんだかんだで評価している三宅さんの姿も見えて微笑ましい。

できれば佐久間くん本人にトニセンが絶賛していたこと、三宅さんが「あいついいでしょ!?」と言っていた事実が伝わることを願うばかりである。

 

さらに話題は続く。

井ノ原「健の居場所っていうかさ、それがなんか、なんつーのかなあ。やっぱり一緒に、共に頑張ってるんだけど、やっぱり誰か一人締めてくれる人が必要になってくるじゃないですか。そういうポジションに今まではいなかったんだけど、あの中に入ると最終的にしめるのが健になるっていうか。きゅっと締まってたから、それはなんか自分の中でもいろいろ考えて、例えばギャグ的なものには一切のらないとか。そういう決め事をちゃんとこなしてたというかちゃんと守ってたんじゃないかなあっていうか。」

長野「そうだねえ。だってあのSnow Manの子がアドリブで話すところ、化粧しながらね。そういうシーンもあるんですけれども、そこで振ると『ああ?(ぶっきらぼうな声色)』」

井ノ原「ははは。(笑)」

長野「うわあ三宅健だぁ…って(笑)あまりにも三宅健だ!って思う瞬間もあったりとかね(笑)」

井ノ原「(笑)いいよいいよそれでいいよ!って思ってたけどね。」

長野「そうそうそう(笑)」

坂本「あそこは健だったね。」

長野「健だったよね、そのまま。」

坂本「滝沢が振っても『え?(ぶっきらぼうな声色)』」

長野「(笑)」

井ノ原「『何が?(ぶっきらぼうな声色)』」

長野「(笑)『あー、そうっすねえ。』(笑)」

坂本「『今メイクしてるから』、いやそらそうだろ!そういうシーンだから!」

3人「(笑)」

井ノ原「いやまあまあ、とにかくやりきったなというか。」

長野「そうですね。」

井ノ原「いろいろあったけど、やっぱりね、足折れてなかったらどうだったんだろうとかって思うこともあるけど」

坂本「あるけどね。」

井ノ原「逆にね、もしかするとそれでなんか一つになれた部分もきっとあったと思うし、うん。」

坂本「何はともあれお客さんの答えがね、一番ですからね。」

井ノ原「そうですよね。大事にいたらなかったんでそれはそれで1つの経験としてね。彼に残ったんじゃないかと。」

坂本「ね。」

長野「はい。」

井ノ原「素晴らしかったですよ。お疲れさまでした。」

 

あまりにも三宅健、と長野さんが称した場面の1つが、私もしつこいくらいにまとめた佐久間くんとの絡みである。

そう、あまりにも三宅健だった。

「うわあ三宅健だぁ…」という長野さんの言葉と同じことを思った、なんていうのもおこがましいのだがとにかくそういった感情を抱いたのは確かだった。

 

その「あまりにも三宅健」がキレイに活きるような突撃をかましてくる佐久間くんは見事に空回りしていて、というかさせられていて、それも坂本さんが言う「自分たちがやる役割をちゃんとこなしている」の1つなのだろうなぁと私は解釈する。

 

 

「滝沢歌舞伎2016」が終わって感じていること

滝沢さんが各々に役割を与える、その裏にはこんな思いがある。

「といっても僕は、別に”後輩の面倒を見ている”というつもりはないんですよ。劇場は色んな人が集まる場所だから、僕ひとりで全員を100%喜ばすことは不可能。だったらキャスト全員を輝かせて、お客さん全員を笑顔にしたいというのが僕の目的であって、後輩のために頑張っているわけじゃない、というのはぜひ言っておきたいです(笑)。」

(「STAGE SQUARE」vol.19/2016年2月27日発行)

「僕は育ててないですよ。みんなが自分で育たなきゃいけないから、「やろうぜ!」と言ってるだけで。彼らに「君には代わりはいないんだよ」と伝えて、「俺がこの作品にいなきゃダメなんだ!」という意識に変えていく。だけど実際は僕が変えているようで、自分たちで変わっていってるんですよね。じゃなかったら、僕、大変ですもん(笑)。」

(「TV navi SMILE」/2016年3月28日発行)

前にも言ったが何度でも言う。最高にかっこいい。

 

この言葉たちを雑誌で読んだ時、すごい言葉だなあと思った。

こう言えるようになるまで積み重ねてきたものがあるのだろうなあとぼんやり思った。

この1ヶ月ほどの間で出会った過去のお話、そして今年の滝沢歌舞伎の公演レポートを読み漁っているうちにその言葉たちはさらに深みを増していった。

 

正直三宅さんが滝沢歌舞伎に出演すると決まった時、手放しで喜べなかったところがあった。

それは後輩でもある滝沢座長がメインとなる舞台に出演することで、どこかから疎まれる結果になりやしないだろうかという不安も感じたからだ。

 

滝沢座長がメインになり過ぎれば三宅さん側のファンは物足りないかもしれない。

逆に三宅さんを立てすぎれば滝沢さんのファンから見れば満足できるわけもなく。

 

後輩が座長で先輩がゲストで、果たしてどういったものが出来上がるのか。

おそらくそのなんともいえない微妙なバランスの中で均衡を取るのはとても難しいだろう。双方のファンみんなが納得するようなものなんてあるのだろうかと、そこがとても不安だった。

 

そして滅多に絡むことのないジャニーズJr.に囲まれた三宅さんはどういう立ち振る舞いをするのか。

 

まったく想像のつかなかった滝沢歌舞伎が幕が上がってみれば…

いや、幕が上がる前からか。

本屋へ行けばケンタッキーが表紙の雑誌が並び、ケンタッキーフライドチキンのCM出演も決まり、幕が上がってから聞こえてきたのは「凄いステージになっている」という感想。

そこにあったのは、お二方がいたからこそ出来上がったと言えるような滝沢歌舞伎だった。

それぞれのファンが「もっといろんな人に伝わればいいのに」と常々思っているような魅力がたっぷりと詰まった、キラキラした世界だった。

 

三宅さんはJr.とも想像した以上にコミュニケーションをとっていた。

滝沢歌舞伎終了後、シアタークリエに足を運んだのは1度ではない。Snow Man、They武道、SixTONESと3回も観に行っているのだ。律儀というか几帳面というか、とにかく思っていた以上にJr.との距離が近づいたのだなあと思った。

 

その陰には体制をしっかりと整えた上で「身1つで来てくれれば」とまで発言していたくらいの滝沢座長の気遣いもあった。

三宅さんは三宅さんで、その思いに応えながら「自分が今回参加する意味を考えた上で、自分にしかできないこと」を模索する。

 

V6の最新コンサートDVDに収められた特典映像の中に「みんなで足つぼマッサージを受ける」という企画があった。

それぞれ体の中で悪いところが指摘されたのだが三宅さんの悪いところはまさかの「頭」だった。

頭が悪いといっても、頭の使いすぎ、という意味である。

いつでもファンの心理を読んで、先回りして望むものを用意してくる三宅さんのプロアイドルぶりには驚かされるばかりだ。頭の使いすぎを指摘されたところで納得しすぎて困る。でしょうね…」という感想を抱くしかなかった。

 

「Maybe」では手話を取り入れたダンスを披露したが、その手話ひとつにしても作詞家さんに直接会って話をした上で手話をつけた。

歌詞の意味を忠実に再現するために。

解釈のズレで本来の意味から遠のいてしまわないように、それでいて要約しすぎて説明的になりすぎないように…と、かなり複雑な気遣いがあったそうだ。

あまりにも楽曲に対して真摯すぎる。

そこまで考える?というところまで考えている。

そりゃあ頭も疲れるだろう。使いすぎである。

 

とんでもない難易度になったという「MASK DANCE」は、三宅さんが滝沢歌舞伎について考えた上で「滝沢歌舞伎をずっと見てきた人たちが見たことのないようなダンスを」と思いオーダーした振付だ。

振付をされたYOSHIEさんについては以前書いたのでこちらの記事参照。

 

 

滝沢歌舞伎が終わったあとのジャニーズWeb内の連載で、三宅さんは出演者それぞれにあてたメッセージを綴った。Jr.に対しても1人ずつ、全員に。

そのどれもが凝った言葉ではなく素直な言葉で、しっかりと自分が接する時間の中でそれぞれに思ったこと。

名前はくん付けであったりあだ名であったり呼び捨てであったり、そこからも本当に飾らずに書いていることが伝わる。

そして全員へのメッセージの最後を締めくくるのは、佐久間くんへのとても短い文章だった。

 

何も知らなければ短いその文章はとても抽象的で、もしかするとこれまでの佐久間くんと三宅さんの絡みを知らなければ「当たり障りのない文面だなあ」と思うかもしれない。

でもこれまでの一連の流れを見てきて、私はこの短い一文を最後に据えたことにとても意味があるような気がしている。

 

当然、三宅さんは「ファンが求めているもの」を先読みした上でそれ以上のものをこちらに提示してくるようなプロアイドルでいらっしゃるので「佐久間へのコメントを最後に置くこと」がどんな意味を持つかもしっかり理解しているだろう。

わかった上でわざとやっている、それを念頭に置いた上で、私はこう思う。

 

ケガをしてもなお公演に全力で挑む中で、気に病むところが全くなかったということはきっと無いはずだ。

まわりにも負担をかけてしまったのは事実で、演出は一部が変更になってしまった。

そんな中で佐久間くんは日増しにグイグイ来ていた。

 

そりゃあもうウザいくらいのテンションで毎日毎日ものすごい濃ゆい発言をし、楽屋でもピッタリとマークし、奇想天外な行動をかましてはバカみたいに空回っていた。

 

でも、もしかすると、そのウザいくらいにグイグイ来る姿に救われた部分もあるのではないかなあ、と思ってしまうのだ。

 

天真爛漫でまっすぐででもほぼ全部空回っていて、それでも毎日毎日同じ事を繰り返す。

 

実際気持ちがしんどい時に救われるのは、しんどく思っている自分がバカバカしく思えてきてしまうくらいのしょうもないことで大笑いしている瞬間だったりする。

 

もしかすると、佐久間くんのあの空回りっぷりはそういった類のものだったのではないか。

そこまで考えてようやく、私自身もその姿に元気をもらっていたのだなぁと気付いた。

 

 

公演の中で、三宅さんは「俺はお前を笑顔にするためにやっているんだから」と滝沢さんに言っていた。

それはどこまで本気でどこまでネタなのだろうかと思っていたが、それについても滝沢さん宛てのメッセージとして改めて綴っていた。

 

全てを背負って強くあるだけではなくて、時にはJr.の頃のような無邪気な笑顔を見せてほしいこと。

今回は年上の自分がいることで少しでもそんな時間ができればいいな、と思ったこと。

そんな思いを抱きながら、2ヶ月間に及ぶ稽古と本番をやりきった。

 

その文章に感動していたら、すぐに滝沢さんもそのメッセージへの返信を「公開恋文」なんて称して綴った。

「ケンタッキー」コンビという名称から「おいしい関係」とたびたび表現されていたお二人の関係は、想像以上に結びつきが深いものになったのではないか。

 

 

期待をはるかに上回る化学反応を見せてくれた滝沢歌舞伎2016が終わってしまい寂しさを感じている一方で、とんでもないものを残してくれたことに私はいまだに感動している。

情報を追う間に出会えた感情もたくさんあった。

知らなかったこともたくさん知ることができた。

 

結果的にしつこいくらいに滝沢歌舞伎関連で何記事も書きつらねる自分がいて、そのことに一番驚いているのは私自身だ。

ようやく大体書きたいことは書ききったと思うので、これにて滝沢歌舞伎関連の記事は終了にしようと思う。

 

これからも「おいしい関係」が続くことを期待しつつ、あわよくばケンタッキーでCDデビューしてほしいと願いつつ、Snow Manがデビューできることも願いつつ。

とりあえずは撮影はされている映像たちがDVDとしてきちんと発売されることを心待ちにしていようと思う。

 

発売された暁には、またやいのやいの言わせてもらうことになるだろう。

その日を楽しみにしている。

 

 

 

ヒメアノ〜ル感想 ー強者と弱者は誰なのか?ー

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【!ネタバレ描写を含みますのでご注意ください!】

 

先週「ヒメアノ〜ル」を観に行ってきた。 

この1週間ほどは自分の中での感想がまとまらず「一体私は何をどう感じたのだろうか?」をぐるぐると探す日々だった。

 

そもそも怖がりで怖がりで本当に怖がりな私は、この映画を観るか否か、むしろ私に最後まで観られるのか?という点と戦うところからスタートした。

 

観たい。観たくない。

でも絶対大スクリーンで観たほうがよいのでは?観ないときっと後悔する、でも最後まで観られるの?途中でしんどくなるのでは?

私の中で賛成派と反対派が散々議論を交わした結果、出した答えは「とりあえず観て途中でダメだったらその時はその時」だった。

 

結論が出た時に1つだけこれだけは絶対に守ろうと決めた約束事がある。

それは「明るいうちに観て、日が沈まないうちに帰宅すること」。

 

夜道で思い出して怖くなる系の映画だということは重々承知していたため、これだけは譲れなかった。

ヘタレな私は、映像を見ている時の恐怖よりもそのあとにフラッシュバックされる映像に必要以上に怯えるのだ。

 

これだけは守ろうと決め、お昼14時頃からの上映回に臨んだ。

 

99分間ヒメアノ〜ルの世界観にどっぷりと浸かり、薄暗い映画館を出ようとした私は日光に驚いてしまった。

そうだった、まだ夕方だった、と。

あれだけ固く「日中にしか観ない!」と決めていたはずなのに、映画の世界観に引きずり込まれてすっかり忘れてしまっていた。

 

それくらい「ヒメアノ〜ル」に漂う仄暗さにあてられてしまっていたらしいとそこでようやく気がついた。

16時台の日差しはまだ強く、心がどんよりとしているところへ降り注ぐ日光はあまりにも不自然に感じられた。

 


『ヒメアノ~ル』予告編

 

 

目次

 

森田は「最強」の殺人者ではない

映画を観ていてつくづく思ったのだが、どうやら私は「じわじわと迫り来る恐怖」が苦手らしい。何かが起こりそうな気配と、その「何か」にたどり着くまでをじっとりと見せられるのが苦手なのだ。

 

そういう意味でも、ヒメアノ〜ルは耐えるのがツラいシーンも多かった。

 

というのも、「森田」は最強ではない。

いとも簡単に軽々と人を殺せるような力は持ち合わせていない。

中でも印象深かったのは頼りなくも見えるその細い足。シリアルキラーに似つかわしく無いようなその細さがより一層恐怖感をあおった。

 

森田は殺し方に美学を抱いているようなサイコキラーでもなく行き当たりばったりとも言える殺人を次々と重ねていくわけなのだが、それが衝動的であるかと言えばそうも言い切れない。

 

森田にとって「殺し」は目的ではなく、手段だ。

手段としてのこだわりがあるわけでもないので隙も多い。

必要以上に刺したりするが、かといっていたぶるためにやっているわけでも無い。

 

美しい画としてフィクションとして完遂させるのであれば急所をドンとひと突きでもいい。でもこの映画は決してそうさせない。

殺るほうと殺られるほうの力が拮抗する様子に全力でハラハラしてしまった。

なかでも警官とのシーンは本当に、見ていられなかったくらいだ。

 

この映画のポスターには「めんどくさいから殺していい?」というコピーが添えられている。

 

森田は次々と凶行を重ねていくがそれらは意図的に連なっていったわけではない。

「殺し」自体に理由はあまり無く、コピーの通り「めんどくさいから」殺す場面がいくつもある。

 

女性を強姦し、殺す。

怪しまれたから、殺す。

情報を聞き出すために、聞いた後で殺す。

 

そこにあるのは「殺したい」という体を突き動かすような衝動ではなく、ただ単にごまかしたりだとか取り繕ったりといった手順が「めんどくさい」というぼんやりとした感情。

犯行の流れに重きをおいているわけでもないので手加減が無い。

「相手を消す」ために全力を注ぐ。決して最強とは言えないその身体能力で。

 

「殺人者」が出てくる物語にふれる時、私は一体そこに何を期待するのだろうと考えた。

それはきっと、ギリギリ理解し得る程度の感情の流れ。

人として手を出してはいけないタブーでありながら、かろうじてほんの少しだけそこにある「殺人への流れ」が想像できるような動機や意味がわかるもの。

 

つまり理由があるということ。

 

だからといってそれは「緻密に練られた計画的な犯行」である必要はなくて、「快楽殺人者による衝動的な犯行」であってもいい。

そこには「快楽のために人を殺す」という理由が一応はあるからだ。

納得はできない。でも、それは1つの理由になる。

そこから感じる恐怖を、自分がわかるような感情として理論付けて納得してしまえれば恐怖を遠ざけることができる。

 

 

クライマックス、殺されるかどうかの瀬戸際で岡田が「あの時のことを怒ってるんだよね」と直接森田に聞くシーンがあった。あの時、とは岡田が森田がいじめられる様を傍観している場面である。

 

それに対し森田は本当なのか嘘なのか、「お前いたっけ?」と答える。

今まさに犯行に及んでいる中でのこの会話はとても浮いていて印象に残った。

 

岡田は森田の凶行に理由を探したのだろう。

何をどうすれば止められるのか。それには理由を知り「殺す」という感情を取り除いて回避しなければならない。

そこで思い当たったのが「高校時代に間接的にいじめに加担してしまった」こと。

 

映画を観ていて、岡田の言動にはなんだか違和感があった。

おそろしい出来事が自分に降りかかってきてようやく恐怖感を抱き始めたような、そんな感覚だ。

 

いじめに加担し、その様子がトラウマになるほど脳裏に残っていたならばきっと最初からもっと森田を恐れていたはずだ。

申し訳なくてたまらなかったのなら、森田と再会した時にもっと動揺したはずだ。

それくらいに岡田にとってその「事件」は薄れていたのではないか。

 

後半になり切羽詰まったところでようやく岡田もいじめに加担してしまった事実が吐露される。

森田が自分に恨みを持っているとするなら…と考えた末にたどり着いたのが「あの時のこと」であっただけ、という印象を抱いた。

 

きっと岡田はそこに理由がほしかったのではないか。だから記憶を手繰り寄せて捻出した。

 

だが森田はそれを「お前いたっけ?」といつも簡単に突き放す。

本当に忘れていたのか、知らなかったのか、はたまた平然と嘘をついたのかはわからない。

だが謝る猶予など与えない。

この時の岡田の感情を想像すると、「そうだよ」と認められるよりもよっぽど怖い。

 

感情の流れが想像できない時、そこに感じる恐怖ははかりしれない。

 

ヒメアノ〜ルは狂気を狂気として振り切って表現しない。

「こいつは頭のおかしい奴だ、だから人を殺すんだ」と決めつけてしまえればラクなのに、決して簡単にはそうはさせてくれない。

 

 

ガラッと空気が一変するタイトルシーン

先ほど「衝動的であるかと言えばそうとも言い切れない」と書いたのだが、めんどくさいと思ったあとに「殺そう」と判断し即行動に移しているのだから衝動的といえば衝動的な殺人とも言える。

 

でも私は、森田がそこに至るまでの感情があまりにもぬるっとした空気をまとっていることが気持ち悪かった。

「これは衝動的だ!」と言い切っていいほど勢いのある感情の切り替わりがそこには感じられなかった。

全力でありながらどこか淡々と進むその凶行には得体のしれないものへの恐怖を感じた。

 

唯一その切り替わる瞬間を感じられたのが、劇中に挟み込まれたタイトルが出るシーン。

とたんに感覚がざらつき出すようなあのシーンには鳥肌が立った。

最高に不気味で最高に奇妙で、最高にかっこよかった。

 

森田が激しく感情を表すかといえばそうでもない。

引き続き淡々とした日常の動作のような雰囲気を醸し出しながら、しかし確実にあの場面から画面の空気が一変する。

 

そうだった、この映画は森田の映画だったのだ、と、ハッとさせられてしまうような、まるでこの映画が今始まったのだという気持ちにさせられる巧妙なタイトルシーンは本当に見事だった。

 

そこにあったのは性的な描写と、殺意が生まれる瞬間の交錯。

 

この映画はそういったシーンの織り混ぜ方が絶妙で、なおかつ最高に気持ちが悪い

あたかも表裏一体であるかのような気持ちにさせられる。

 

暴力的なシーンだけではなく、パンフレットの言葉から拝借するなら"セクシャルな描写"もなかなかにドギツイ。

非常に生々しく、おおそんなところまで見てもよろしいんですか…?という気にさせられる。濱田岳さんに関してはある意味「国民の弟」的な目線で見てしまっているのでなおさらだった。

 

このタイトルシーンに至るまでに映画が始まってからある程度の時間が流れていて、物語の中心を濱田岳さん演じる岡田に据えるとするならば、あのシーンはある意味ゴールでもある。端的に言うと、森田がつきまとっていたカフェ店員のユカと結ばれる。

 

しかしその一方で、森田の凶悪な感情がうごめき始める。

彼は同級生の和草に電話をかけ、まるで世間話でもするかのようにこう言う。

「高校の時にさー、岡田って奴いただろ。

そいつをさぁ、今から殺して山に埋めようと思うんだけど。」

 

 

「強者」と「弱者」は誰なのか?

タイトルにもなっている「ヒメアノール」というこの言葉の意味はこうだ。

"アノール"とはトカゲの1科である。イグアナ科アノール属に含まれるトカゲの総称。165種ほどがある。

(ヒメアノール=ヒメトカゲ)となるが、"ヒメトカゲ"とは体長10cmほどで猛禽類のエサにもなる小型爬虫類。

つまり、"ヒメアノ〜ル"とは強者の餌となる弱者を意味する。

(公式サイトhttp://www.himeanole-movie.comより)

 

強者の餌となる弱者。

これだけではわかるようでわからないようで、その言葉にはっきりとした輪郭を捉えきれなかったのだが、もっとはっきりと書かれている文言が公式サイトにはでかでかと掲載されていた。

 

「捕食者と被食者。この世界には、2通りの人間しか存在しない。」

 

森田の心の根底には「高校時代に受けたいじめ」がある。

そのシーンは回想として、陰湿ないじめとまったく似つかわしくないような透き通るような色彩の映像として描かれている。

 

森田はいじめを受け一旦は登校拒否となる。

しかしいじめの主犯格から頼まれた岡田が、デタラメの理由で森田がまた学校へ来るように促す。「謝りたいんだって」、と嘘をついて。

 

いじめはどんどんエスカレートしていき、映画としては「そこまで描くか」と思ってしまうような行為にまで及ぶ。

 

この時点での森田は言ってみれば完全に「被食者」だ。捕食者の前でなすすべもなく、ただいたぶられるだけ。

まさに強者の餌となる弱者、だ。

食うか食われるか、そのどちらかしかない。

絶望的な日々は森田にその真理を刻み込んだのだろう。

 

高校を卒業する直前に森田はいじめの主犯格を誘拐して殺し、埋める。

被食者であった森田が、この事件を境に捕食者となっていく。

 

「ヒメアノ〜ル」において強者と弱者は一体誰なのだろう。

あらすじだけ見ると強者=森田、弱者=岡田と感じた。だが果たしてそうと言い切れるのだろうか。

森田もかつては岡田と友達で、なんら変わりの無い普通の男子だった。

 

 

ラストシーンはぐっさりと突き刺さった。

あの光景に懐かしさを感じる方もいると思う。

 

私には弟がいるのだが、あの景色は昔よく目にしていた「弟が友達とゲームする姿」そのままだった。

カメラアングルもゲームをする森田と岡田の背中から。当時の情景、それを見ていた私の目線とおそろしく重なってぞくっとした。

 

そして切なくて切なくてたまらなくなった。 

凶悪な森田も、平凡でいたって普通な岡田も、紙一重なのだ。

 

どこにでもあるような光景と、どこにでもあるような友情と。

そこから2人の辿る運命は哀しいほどかけ離れ、まったく違っていく。

 

疎遠になっていたがひょんなことから再会しまたその運命が交錯した時、森田は岡田にこう言った。

俺もお前も人生終わってんだよ。

何も持ってないやつが底辺から抜け出すことなんか無いんだぜ。

 

高校時代にいじめを受ける中で宿った絶望感やあきらめの感情はどれほど深かったのだろう。

救いを求めても救われない。逃げても逃してもらえない。

 

それまでの森田の生い立ちの中に殺人者になりうる要素がすでにあったのかはわからない。

しかしこのいじめで彼に刻まれたのは圧倒的な絶望感だ。

主犯格を殺しいじめから逃れたあともその傷は消えず、時折襲い掛かるのは当時の幻聴である。

 

私たちはストーリー上に現れる殺人鬼を、自分や周りの人物とかけ離れた部分を見つけて日常から遠ざけようとする。

 

でも森田は最強の殺人鬼ではない。遠くて、近い。

リアリティを追求した先にあるものがこんなに哀しいものであるなら、私はどこに救いを求めればいいのだろう。

 

 

ヒメアノ〜ルの公式サイトには、こうも書いてあった。

捕食者と被食者。この世界には、2通りの人間しか存在しない。

平凡で幸せな日常が、いつまでも続くとは限らないー

 

 

ラストシーンに救われたのは誰なのか?

クライマックスでユカを襲う森田。岡田が助けに入るももみ合いになり、駆けつけた警官を振り切って逃走を図る。

停まっていた車を無理やり奪い岡田を後部座席に放り込み、逃走する森田は目の前に現れた犬を避けて衝突。

直前には無残に人の頭を轢いていたのに、犬は守ろうとした。

 

重傷を負い、意識が朦朧とした中で彼が岡田に語り始めるのは頭の奥底にあったのだろう、高校時代に友人として交わしていた日常の会話。

 

「借りてたゲーム、返さなきゃ」と車の中でごそごそと探しはじめる。

最後に「またいつでも遊びに来てよ」とやさしい声で、風貌とそぐわない笑顔を添えて岡田に語りかける森田の姿は、直前までずっと続いていたシリアルキラーのものではなかった。

 

この映画を観るにあたり、そこに「森田剛」はいなかった。

私はこのシーンでようやく役者としての森田剛の存在にハッとしたのだった。

 

なんとも形容しがたい「日常」と「狂気」が交錯した人間の顛末。それを、文章としてはおかしいのだがそっと叩きつけられた気がした。

 

 

 

最後の最後、高校時代の「どこにでもいそう」な森田の姿の回想は果たして観る側にとって救いになっただろうか。

 

あのシーンには、なんとも言えないやるせなさを感じた。

 

それまでの緊迫した空気から解き放たれて繰り広げられる、やわらかで穏やかな情景。

戻ることはできない過去と、まだ闇に染まりきっていない少年の姿。

 

気が合う仲のよい友達としてテレビゲームに熱中する、森田と岡田。

庭には、犬がいる。

 

人間は次々と殺していったのに、とっさの判断で守ったものは彼の記憶の中のこの犬だったのだろう。

 

「救われないなあ…」と思った。

 

森田は救われるべきではないほどの大罪を犯している。

倫理として、殺人者に共感してはいけない。

 

でもその一方でラストシーンには思わず「うわあ…」と言ってしまいたくなるほどのやさしさが詰まっていた。

やさしくて、やさしすぎて、もうやめてくれと思った。

 

殺人者に共感してはいけない。許されない。許してはいけない。

そんな感情とたたかいながら涙目になりつつスクリーンを見つめていると、最後に森田は、こう叫ぶ。

 

「おかあさーん!麦茶2つ持ってきて!」

 

透き通るような回想から暗転し、流れるエンドロールに添えられていたのは涙をこらえきれなくなるようなやさしい音楽だった。

とびきりやさしくて、残酷だった。

 

そのコントラストに「なんというラストだ!」と称賛したい気持ちと「なんでこんなことをするんだ…」というなんともやりきれない気持ちが同居して、さらにファンとしてはエンドロールの最初に流れてきた「森田剛」の文字への特別な想いもあって、感情がひしめき合ってただ泣いていた。

 

どれだけ「森田だってどこにでもいる普通の人間だったんだよ」と優しく包み込むような画で語りかけられても、結果がシリアルキラーであることに変わりは無い。

 

救われない。

 

森田のことを考えると救われない。

 

感情をどこへやったらいいのかわからなかった。

 

やさしさは時に相手をズタズタに傷つける。

寄り添うような、表面上は「なんてやさしいんだ!」と思えるような行いが、深く考えると実はそうでないこともある。

逆に突き放すやさしさというものもある。

 

映画を観た観客として、こわがりとしての私はあのシーンに救われた。

 

ラストシーンは、それまでの狂気が渦巻くおそろしい光景を浄化する。

あの流れでホッとした自分もいたのは確かで、やさしすぎるあのシーンは鑑賞後にわかりやすく「恐怖を感じる映像」の後味を薄れさせた。

 

犬をよけるシーンには心のどこかで「なんてベタな…!」とツッコむ私もいた。

人間には心を開かないのに動物には心を開く。わりとありふれた展開だ。

 

それまでは「見てはいけない映画」を見ている気がしていたのに、一気に「映画的な映画」に着地してくれた気がした。

でもそれとは裏腹に心のなかに残った「感情」としての後味の悪さはより大きくなった。

 

99分間、その中で私は森田を「凶悪な殺人犯」として突き放したかったのだろう。

日常とはっきりと切り離された狂気の塊として置いておきたかったのだろう。

 

でもそうさせてくれなかった。

 

日常の延長線上にあの森田があるのだと、やさしく闇を置いていくような映画だった。

 

やさしくてやさしくてやさしすぎるラストの画を観たあとで、映画館から出ようとした私の心に強く残っていたのはやっぱり闇だった。

ラストが凄惨な画でわかりやすく闇を提示してくれていれば、「怖い……でも帰り道はまだ明るい!やったぜ安心だぜ!なんて能天気に思えたかもしれない。

 

最後にやさしく光が注ぐ画を用意された分、私の心には簡単に片付けることのできない複雑な感情が残った。

やさしいようで、ひどく爪痕を残すラストシーンだった。

 

 

「森田」になってしまう可能性は私にだってある。

そして周りの人がそうなる可能性もあるし、いつ降りかかってくるかわからない。

捕食者になる可能性も、被食者になる可能性もあるのだ。

 

帰りに電車から見た風景は当然ながら行きに見た風景と同じだ。

でもその街並みはなんだか不穏に見えてしまって、「どこでいつ事件が起こって青いビニールシートがかけられるような現場になってもおかしくはないんだな…」と思ってしまった。

 

ヒメアノ〜ルの劇中には事件現場がビニールシートで覆われている様子を引きでとらえたアングルがあった。

それはまるで実際に起こった事件を追うワイドショーの中継映像のように感じられた。

手ぶれを生かしたカメラワークは、つくりものである映画をまるで実際にあった現場を映し出しているかのように錯覚させた。またある時は「これは森田の視点で、もしかすると今まさに様子を窺っているところなのではないか?」というようなおそろしささえ抱かせた。

 

 

観終わったあと、私はこうツイートした。

 

観終わる前と後とで私自身は何も変わらない。見える景色も変わらない。

でもその後味に支配され、いたって普通の日常風景にさえ不穏に見えてしまう。

目に見える恐怖ではなく、目に見えないところに潜んでいるのかもしれない凶悪なものへの恐怖だ。

 

 

 

映画を観ながらモヤモヤと思い浮かんでいた言葉があった。

ニュアンスでしか浮かばなかったというところに自分の知識の浅さが感じられて情けなかったのだが、よくよく調べてみるとニーチェの言葉だった。

 

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。 

 

ヒメアノ〜ルを観ながら、私は深淵を覗いているような気持ちになっていた。

見てはいけないものをこっそりと覗いているようだった。

 

でも途中から、「果たしてこれは深淵なのか?」と思い始めたのだ。

 

遠くかけ離れた世界を覗いているような気でいたが、もしかするとこれは深淵ではないのではないか。

もっとずっと近く、すぐ隣でも起こりうるのではないか。

 

安全圏で覗いていたつもりがいつの間にか距離を詰められる。

なんとか距離を取ろうにも、うまくつき離させてくれない。

 

パンフレットを開いてみれば、ストーリー説明のページには大きくこう記載されていた。

 

「あなたの心は耐えられるか?」

 

ヒメアノ〜ルは、R15+指定がつくほどに過激な「ヴァイオレンス&セクシャルな描写」が注目されている。

だがこれはけっして、視覚的にインパクトを与えるだけの映画ではない。

 

心をえぐるような人物描写と、殺人犯を突き放しきれない世界観。

 

 

「あなたの心は耐えられるか?」

この言葉の指す本当の意味は、きっと観ないとわからない。

 

 

昔のラジオ音源をカセットテープからパソコンに移す日々

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最近ひたすら昔のラジオ音源をカセットテープからパソコンに移している。

カセットテープ自体が場所も取るしなによりテープの劣化が心配で、以前から「いつかはやらないと…」と思っていたのだが、このほどようやく取り掛かることにした。

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目次

 

 

MP3変換プレーヤーを使ってみた

音源を取り込むにあたり方法を調べたのだが、手っ取り早く簡単に変換できるというこちらを購入することにした。

お値段3,480円。(2016年6月18日現在)

安い。あまりにもお安いので少し不安を覚えつつ購入した。

自分自身も買う時にいろいろと悩んで最終的には勢いで購入したので、電気製品に疎い者なりにレビューしておく。何かのお役に立てれば。

 

まずはこちらをご覧いただきたい。

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「えええ、質素ー…」と対面した瞬間心のなかで言った。少し不安を覚えるパッケージである。

 

箱を開けると中身はこんな感じ。

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プレーヤーとUSBケーブル、ソフトウェアのCD-ROMと説明書。以上。

 

ソフトウェアはWindows対応のもので、私は不使用。

この機器を使い、カセットテープを再生しながらパソコンに音源を取り込んでいく。

 

一応操作ボタンのアップも撮ってみた。シンプル。

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不安要素があるとしたらこのパカッと開く部分だろう。

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蓋というかカバーというか、これが心もとない。

普通にやさしく扱えば問題なさそうだが、扱っていくうちに雑になりそうで、やさしくやさしくと肝に銘じながら取り扱う日々だ。

 

頼りないところはあるが、今のところラジオ音源を変換する分にはなんら問題はない。

というか、これまでそのすべを持っていなかった者からすると音源化できるだけで御の字

文明は進んでいる…!と感動している。時代についていけてない。

 

 

 

ラジオ番組を録音して見出しをつけていた暇人の話

ようやく重い腰を上げデータ移行へ動き出したきっかけの1つはこれである。

「いや漢字で書けよ!」というツッコミは自分自身が一番感じているので何卒ご容赦願いたい。

 

詳細は覚えていないが、もう大体内容の想像がついてしまうのが三宅健という男のすごいところである。

誰が投げても曲がるボールが三宅さんが投げるとなぜか曲がる、という話なのだろう。まだ中身を確認していないので確認後追って報告したい。

 

こんな感じで、保存したカセットテープのいくつかには自分で記入した見出しが書かれていた。

いかに私が時間を持て余した中学生だったかがよくわかる。

 

しかしながら、これが2016年の私にとっては非常にありがたい。

もちろん実際に聞いてみるとここには書ききれなかったのか他にも珍事が巻き起こったりもしているのだが今の私にはこの見出しは新鮮だ。

それでいてツボはあまり変わっていないのでチョイスがなんと私好みなことか。

今となっては「なんで全部のテープに書いておかなかったんだよ!お前暇だろ!?」と過去の自分を叱責したい。

 

このラジオというのはV6が毎週3人ずつ(のちに2人ずつに減るが)出演していた22時から2時間生放送されていた関西ローカルラジオである。

どんな番組かというと以前に書いていたのでこちら参照。

とにかくもう私が好きで好きでたまらなかった番組だ。

 

 

たとえば、この放送回の見出しをさらして言及してみる。

2001.9.11 MBSオレたちやってま〜す(長野・森田・三宅)

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三宅さんの奔放さが際立つ2001年9月11日放送「MBSオレたちやってま〜す」。

 

軽くコーナーを説明しておくと「おくちに出してよ」はムチャぶりお題におもしろ回答で答えるというコーナー、「WAになってしゃべろう」は久本朋子さんが席を外してV6のメンバーのみ男性リスナーのお便りでトークをするコーナーである。

この回は途中で特番が入り放送時間が縮小。日付を見てお分かりの通りアメリカ同時多発テロが起こったのがこの日、この時間帯だった。

末にある「カミセンミュージアム」はまた別番組で、カミセン3人が登場し10分という短さではあったが月〜木まで放送されていた帯番組。

 

ここから見出しに沿ってお伝えする。

◆「健くん、最初からまちがってます…。」

番組冒頭から番組名およびコールの仕方を間違う三宅さん。

番組名も微妙に変わっていったので仕方ないといえば仕方ないが(「オレたちXXXやってま〜す!」から「MBSオレたちやってま〜す」になったり)それにしたって。番組名大事。

 

◆「健くんのムカつく話」

「ムカつく話」をなぜ見出しに書いたのだろう?と思って聞いてみると三宅さんが炸裂していた

先に言っておくがただただ三宅健がプンスカしていてその様子に爆笑する3人という和やかなムードのお話である。

三宅「こないだね、うちのばあばのうちに行ったわけよ。駅で写真撮られたの。『すいません写真撮らないでください』って言ったの。そしたら最初なんか……ちがう、最初来たんだよ!『写真撮らせてください』って。『ダメです』って言ったんだけど、振り返った瞬間に撮ったの。んで『写真撮らないでくださいって言ってるじゃないですか!』って言ったら、『別にファンでもねーのによ!』って。撮んじゃねーよ!!!

長野「(笑)とりあえずだ(笑)」

三宅「すっげーむかついた!」

久本長野「(爆笑)」

三宅「このっ…このっ、娘がっ!と思って。」

久本「(笑)」

三宅「この小娘!と思って。ファンじゃねーんだったら撮んじゃねえこのやろー!」

全員「(笑)」

三宅「フィルム出せこのやろー!!」

全員「(笑)」

三宅「したらまたねえ、口が減らないんだよこれが。『いろんな思い出が入ってるんで』って言って。」

全員「(笑)」

森田「そいつ相手にするからだよ!(笑)」

三宅「すっげーむかついた!でちょっとねえ、ちょっと駅の中で大変なことになっちゃってねえ、いろんな人に囲まれたの(笑)」

長野「(笑)バレちゃったバレちゃった」

三宅「『あれ三宅くんじゃないの?』

長野「『目立ってるわ、絡んでるわよ』(笑)」

三宅「うちのばあちゃんが駅に迎えにきてて『ほら!ほら!早く来なさい!』つって(笑)おばあちゃんに…助けてもらって(笑)」

全員「(笑)」

長野「『うちの孫がすいません』つって(笑)」

全員「(笑)」

久本「隠してもーて(笑)」

三宅「まあ、そんな厄介がありました…」

長野「(笑)お前おもしろいな!!」

三宅「いや俺ほんとむかついたんだよ」

長野「今の聞いて声かける人いっぱいいると思うよ、逆に(笑)」

三宅「すっげーケンカしたんだよ」

長野「『三宅に声かけるとおもしろい』って話になって」

全員「(笑)」

(次の話題へ移ろうとするもじわじわおもしろくなったのか、三宅さんがハガキを読み上げる隣でボソボソ喋る森田長野)

森田「「ケンカしたんだよ」って…(笑)「ケンカした」って、ケンカすんなよ(笑)」

長野「『撮んじゃねえよ!』(笑)」

森田「女の子に…(笑)」

内容をまとめると「2001年、三宅健が写真を無断で撮られて怒った話」である。

15年後、今の私も「おもしろいなー、これを見出しの1つに置いているあたりやっぱり私のツボ変わってないなー」なんてのほほんと思っていた。

 

偶然にも「2016年版・三宅健が写真を無断で撮られて怒った話」、文字起こししてた。

 

人間の笑いのツボというのは時間を経てもあまり変わらないらしい。

ブレない自分にゾッとした。とはいえ過去と現在の同じ話題を比較できたので結果オーライ…と言っておきたい。

時が経って対応が大人になった姿と相変わらず奔放な姿を垣間見ることができた。

 

◆「顔のことで言われてショックだったこと」

 

つぶやき損ねたが長野さんがさらっと「"鼻がでかい"とかは普通だしなぁ」とつぶやいていたのも笑った。それ普通なの?みんなあんまり言うてなくない?

それと眉が薄い、と。

ライトが当たると眉が無いと言われたことがある、とのこと。

 

なんと言えばいいのだろうか、下手くそに訳すなら「私たちは心のどこかでそれをわかってはいましたが、私たちの多くはあえてそれを口にしません。」というところだろうか。

それを長野博自身がさらっとぶっ込んできたものだから私の心は翻弄されっぱなしだ。

忘れてはならないがこれは2001年の話で今は2016年である。時をこえて翻弄されている。

  

◆「健くんは超気分屋。」

長野「お前食いしん坊だもんなー」

三宅「食いしん坊じゃない!」

長野「人の分まで食べるもんなー」

三宅「んなこたない!」

森田「あっ!こいつこの前!」

長野「うん」

三宅「何?」

森田「人のこと焼肉に誘っといて『やっぱ行かない』とか言って。

長野「(笑)」

森田「ひどくねえ?」

三宅「なんだよそれー!」

森田「飯食いに行こうって話になって、『焼肉がいい』っつって。」

長野「言ってた言ってた!(笑)」

森田「で『お前おごってよ』って。そしたら『ああ俺おごるよ』

長野「言ってた言ってた」

森田「で俺がイノッチに『健なんか今日焼肉行くらしいから一緒に行こうよ』って言ったら『行く行く!』つって。3人で行くって話になったら急に『やっぱ行かない』って。」

三宅「(笑)」

長野「それは何、増えたから?」

三宅「井ノ原よけいだった。

長野森田「(爆笑)」

長野「井ノ原だったんだ、他の人だったらいいの?」

三宅「そうそう」

長野「俺もさあ一緒に仕事、終わって帰るときに今日飯食いに行こうかなって話になって『もしも行くなら誘って』って言って(たから)、電話したんだ。

タクシーでワンメーターくらいの場所なの。ほいで『長野くん何で行くの?』『車。』って言って。『ふーん…』って言われてさあ。『お前はタクシーでくる?』って『んー…迎えに来てくんないの?』

森田「(笑)」

長野「『あぁ、だって近いからさーそのまま来いよ。』まあ帰りは送ってあげようと思ってたんだけど。『うん直接行くよ』って言ったら『あー…今日はやめとこうかな…』

森田「(笑)どんな気分屋だよ!!

三宅「(笑)」

長野「誘ったんだよ俺(笑)電話して」

森田「こいつからでしょ!?」

長野「そう!『行くなら誘って』って言われて電話したわけだよ俺。」

三宅「(爆笑)そんなこともあったね(笑)」

長野「あったろ(笑)」 

気分屋というか自由人というべきか。

 

余談になるがこちらはアルバム「HAPPY〜」の大阪キャンペーンで出演していたラジオ音源を聞いた時のつぶやきである。

昔から自由な方だなあとは思っていたが、 年を重ねていない頃の若かりし自由具合もすごかった。というよりひどかった。

現在「三宅健のラヂオ」をやっておられるが、その奔放さについては以前書いた。 

若かりし頃の音源を聞いたあとだと「三宅健のラヂオ」がまた違って聞こえてくるのが不思議だ。

 

 

くだらない話こそ最高におもしろい、の原点 

データを変換する際は、再生している音源がそのまま録音される。

再生しているとどうしても耳を傾けてしまう。

録音中は途中で停止させることはできない。

興味深い話に感情が昂ぶったところで「ちょっと待って今のところもう一度!」というわけにもいかず、目が点になるような言動や行動も多いのにとまどっている間に話題は次々と移っていく。

 

記憶に残っている話もあれば、完全に忘れていた話もある。

「これは…!」と思ったものは勢い余ってツイッターに投下したりしているが、なにせ急に放り込むので 「お前は一体西暦何年に生きているんだ?」と思われても仕方ない。

 

説明が抜けてしまっているが電車でのお話。誤字があるのは気にしないでいただきたい。お恥ずかしい。

この頃の井ノ原さんときたら、本当にもう…!という感じだ。

こういうことばっかり言っていた。

そういうところが大好きだった私も大概である。

 

 

3人という組み合わせがトニセン・カミセン関係なく、というところも私が大好きだった点だ。

この番組のおかげでコンビ・トリオ問わずなんでもいけるクチになったことは否めない。「なんだこの人たち、どの組み合わせでもおもしろいじゃねえか…!」と気付いてしまったのだ。

 

そしてその日ラジオに不参加のメンバーを話題に出すことも多く、そんな距離感も好きだった。

 

中身があったか?といえばあまり無かったかもしれない。

それでも毎週入れ替わりのメンバーでお届けしてくれる2時間のおしゃべりタイムはとても楽しくて、私はそのくだらない話を毎週爆笑しながら聞いていた。

 

AMラジオならではとも言えるような下ネタも豊富だった。

ネタコーナーで頻繁に採用されるハガキ職人はラジオネームがもう下ネタである。それが普通に採用されるのだからすごい。AMの自由度怖い。

 

 

 

音源を聞いている中、久本朋子さんが言った言葉が刺さった。

番組中によくメンバーから年齢のことでいじられていたのだがある時、

「まだ36やっちゅーねん!!!」

とつっこんだのだ。

 

当時聞いていた方、ゾッとしないだろうか。

 

あんなに年齢のことをいじられていた久本朋子さんの世代に、いよいよカミセンまでもが追いついているという現実。

朋ちゃんも自ら「関西人丸出し・コテコテな厚かましいキャラ」でグイグイきていたせいもあり、時にはカミセンから「おばちゃん!!」と言われたりしていた。

そりゃあ自分たちのことをおじさんおじさんと言うはずだ、と妙に納得してしまった。

…もちろんそれをリアルタイムで聞いていた私も着々とそこに近づいているのだが。

 

しばらくはラジオ音源と向き合う日々が続きそうなので、また何かおもしろいことがあったらお伝えしたい。

 

2000年頃のラジオ番組のプレゼントが豪華すぎる件

最後にひとつ。

番組内で時代を感じるスペシャルウィークの告知があったのでぜひお伝えしたい。ただただビックリしたので残しておきたい。

 

以下2000年秋にAMラジオ・MBSオレたちやってま〜す(月〜金の帯番組)内で行われたスペシャル企画の告知、長野さんが読み上げた内容。

ラジオを聞くだけで現金ゲッチューよ!毎日リクエストで現金1万円×50人、&BSデジタルテレビ売り切れ必至の猫型アイボ&最高級牛肉が…。

クイズに答えて録再DVD、PDA(手のひらパソコン)、プレステ2など商品総額30万が20人に大当たり!さらに20万円の欲しいものなんでもあげちゃう!

こんな豪華なプレゼント最近ではとんと見かけない。

全国ネットならまだしも関西ローカル・毎日放送がこれをやっていたというのだからなんだかんだであの頃は景気も良かったんだなあと思ってしまった。

アラサーは大変ショックを受けている。

 

 

 

「アイドルが踊る姿を見て私が抱くイメージ」を分類してみた

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アイドルグループが踊る姿を見ているといろいろなポイントにグッとくる。

 

単純に技術力の高さに魅かれることもあるし、時にはあまり上手くはないんだろうなーと思うのになぜか目が離せなくなるような場合もある。

 

自分自身が一体なにを基準にして、なににどうグッと来ているのか?と不思議に思ったので、少し考えてみた。

 

これまでは「良い!」「なんかよくわからんけど好き!」とえらくざっくりとしたニュアンスでしか捉えてなかったのだが、どういうポイントで見ているのかを追求してみると思い浮かんだのは6つの要素だった。大きく分けると。

 

必ずしもひとつのタイプに分類されるわけではなく、この要素の組み合わせでなにかしらを感じ取っているようだ。

あくまでずぶの素人がダンスを見ていて感じているニュアンスを自分勝手に分類してみただけのものなのでさらりと読み流していただければ幸いである。

 

 

 

【忠実】型

文字通り基本に忠実、丁寧。クセがない。

なぜか基礎を知らない人が見ても「これが原型なんだろうな」と思わせられる。

よい意味で「踊ることが仕事である」という印象。職人型。

 

【応用】型

「もともとの振り」に自分が持っている技術を乗せてくるタイプ。

他のジャンルのダンスの要素を応用して組み込んできたり、備わっている基礎技術から引き出してくるため動作が自然。レベルが高い。

足さばきが華麗であったり、指先のふとした所作が美しかったり、重心の置き方が綺麗

「しなやか」「キレイ」「美しい」と言いたくなるタイプ。

 

【追求】型

基本をしっかりと体に入れた上で自分のかたちに作り上げていくパターン。

鏡の前でたくさん練習したんだろうな、と感じさせる。

納得できるかたちまで追求したあとが見える努力型。

追求したものを出してくるのでそれに基づいた自信が見える。

 

【憧憬】型

それまで自身が見て憧れてきたもの、がカゲになんとなく見えるパターン。

追求型と似ていてでもそこにもう少し「目標にしているもの・ひと」が足されているイメージ。

環境によって根っこに備わったものなので常に一定、何に憧れて歩んできたかが見える感じ

 

【パワー】型

ダイナミックなダンス。

体が大きい・手足が長いなどの体格を生かしているパターンと、動きを激しくして大きく見せるパターンがある。

ノリと勢いでしゃかりきに踊る場合も含む。

 

【独創】型

何がどう上手いのかはよくわからないがぱっと見で「この人ダンスが上手い人だな」と思わせられるタイプ。

「自分の体の動かし方」を自分が一番理解していて、それを活かしきっている印象。

基本に忠実でなくてもそれがオリジナリティであると納得させられてしまう。

なんでもそうだが、本当に上手い人は足し算だけではなく引き算が出来る。「力の入れ方」というよりも「力の抜き方」がわかっている感じ。

素人目に見ていても気持ち良さを感じる。

 

 

…と、ざっくり分けるとこんな感じだろうか。

 

V6で例えるなら

坂本さん…応用型(所作が美しい)

長野さん…忠実・憧憬型(誠実・漂う昭和の香り)

井ノ原さん…パワー型(身長と手足の長さを生かしつつ動きも大きい)

森田さん…独創型(力の加減が絶妙・活かし方を感覚的に知っている感じ)

三宅さん…追求型(頭に描いているものを体現しようとしているイメージ)

岡田さん…忠実型(1つ1つの動作が丁寧・パキッとしつつ柔軟性がある印象)

というイメージである。長くなりそうなのであえて一言で止めておく。

 

大まかに分けてみたが、実際はいろんな要素が複雑に絡み合って「その人」のダンスが出来上がっている。

忠実型でなければ忠実に踊ってないというわけでもないし、独創型でなければオリジナリティがないのか?といえばそういうわけでもないのでその辺りは先回りして言い訳させていただきたい。

 

 

 

そもそもなぜ分類してみようと思ったかというと、先日NMB48劇場に行ってきたからである。16人の女の子が目の前で歌って踊る様を見てそれはもういろんな要素を感じた。 

「その子がこれまでどういう道を歩んできたか」を深く知らなくてもダンス1つでこんなに考えさせられるものか、と思った。

 

同じ振りのはずなのに違って見えるし伝わってくるものも違う。

「上手い」と言われるにこしたことはないのだろうが、そこには上手い・下手という技術面だけでは片付けられないものが詰まっていた。

あらためて「踊るグループっていいなあ…」と強く思った。

 

違っているからこそ生まれる対比も楽しい。

一糸乱れず揃ったシンクロ具合に感動するのも楽しい。Perfumeなんかはこのタイプだ。

 

分類してみるうちに、結局のところ私が楽しんでいるのは「いろんな要素が集まって出来上がった集合体」なんだろうな、というのも改めて感じた。

 

単体で見るのもいいが、どうやら私は「踊るグループ」を見るのがとても好きらしい。

 

 

 


Perfumeに限界は訪れるのか 〜年齢と「女性アイドル」の期限〜

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4月にPerfumeのニューアルバム「COSMIC EXPLORER」が発売されてもうすぐ3ヶ月が経つ。

アルバムの発売にあたり特別プログラムが放送されたり、各雑誌にもいろいろとインタビューが掲載された。

 

世間へ向けての露出は少し落ち着いている今日この頃ではあるが、現在彼女たちはアルバムを引っさげて国内ツアーを開催中で、私もようやく明日そのステージを体感してくる。

国内ツアーが終われば次はそのアルバムを引っさげてアメリカへ。北米ツアーを開催し、秋には国内3カ所のドームで追加公演も決まった。

 

アルバム発売に絡んだメディア露出の中で、私がいちばん印象に残ったのはのっちがインタビューで語ったこの言葉だった。

 

「ここまでいろんな人生のルートがあったけど、その中でPerfumeとして生きる道を選んできて、今、27歳の私はここにいるけど、小さいときの私は、若いお母さんになって、子供の授業参観に行きたかったよな、って」

ー女としての夢が。

「そうそうそう。今から頑張って婚活しても、たぶん授業参観に行く私は若いお母さんじゃない(笑)。そういう人生の選択肢はもうないんだなって思ったら、凄く寂しくなったんです。でもその選択肢がない分、またいろんな選択肢が増えたんだなって、今は思っていて」

(「音楽と人」2016年5月号)

音楽と人 2016年 05 月号 [雑誌]

音楽と人 2016年 05 月号 [雑誌]

 

 

 

インタビュー全体を通して読んでみるととても前向きな内容なのだが、私にはこの部分がぐっさりと刺さった。

 

アイドルを選ばなかったら…というのは「Perfumeののっち」ならではの悩みだ。

でも、

「もし今と違う道を進んでいたら、どうなっていたのだろう?」。

今と違った世界線を歩む自分を想像する、そんな瞬間は誰にでもある。

 

「そういう人生の選択肢はもうないんだなって思ったら、凄く寂しくなったんです。」という発言はこの年代になると抱きがちなものだ。 

軌道修正してたどり着くことができそうな「もしもの話」は希望がある。

でも、今の年齢からだとどう足掻いてもたどり着くことができない「もしも」は、とても寂しい。

20代の後半になるとそんな「寂しくなるもしもシリーズ」が増えてくるのだ。悲しいことに。

 

それがのっちの話でいうところの「若いお母さんになって子供の授業参観に行く」。

お母さんにはこれからだって十分なれる。

でも、「若いお母さん」にはもうなれない。

 

アラサーである私にとってはこの話題は年齢的にもぐっさりと来たのだけれど、それ以上にこの「世間一般の27歳が抱く、いたって平凡な憂い」を「Perfumeののっちが語った」というのはなかなか衝撃的で、改めて考えてしまった。

 

アイドルだって1人の人間である。

そして時間には限りがあって、それはアイドルだって一般人だって同じだ。

「1つの道を選ぶこと」は「別の道を捨てること」なのだから。

 

 

目次

 

 

「アイドル」に期限はあるのか?

Perfumeが「チョコレイト・ディスコ」や「ポリリズム」で世間に認知され始めた2007年、彼女達はまだ10代だった。

あの時点で今現在の「27歳になったPerfume」を想像できた人間がいただろうか。

のっち

「中学生ぐらいの、ほんとに上京したてぐらいの時は、こんなに続くと思ってなかったんで、大学生っていうものがすごい大人に見えてて、その頃には髪の毛ロングにしてるのかな、みたいに想像してて」

ーそれはPerfumeが続くかわからなかったからですよね?

「はい。本当に続けていきたいと思ってるし、解散とかまったく、Perfumeが終わるだろうなとは思ってないんだけど、なんとなくこう、そこまで行ってないんだろうな、みたいなふうに思ってたのか、大学生になったら髪伸ばそうって思ってて。」

(「ROCKIN' ON JAPAN」平成28年4月30日発行)

Perfumeは外見的なそれぞれの特徴をずっと保ってきた。

その1つが髪型で、のっちはずっとショートヘアを維持している。

大学生になったら髪を伸ばそう、そう漠然と考えていたことからも10代半ばののっちの中には「27歳になってもPerfumeでいる」という未来は想像出来る範疇にはなかったのだろう。

 

順風満帆に歩んできたわけではなかった彼女達は、活躍しはじめてからも足場がいつ崩れるかという不安も常に抱いていたように見えた。それが謙虚な姿勢にもつながって、もはやそれは彼女たちのキャラクターを語るのに外せない姿でもある。

不安定な芸能界の中で、一発屋で終わるか否か。その危機感は彼女達が一番感じていたのではないか。

ご存知の通りそこからPerfumeはステップアップとジャンプアップを積み重ねながら今日の活躍にいたっている。

 

アイドルという存在は私の中で長い間、「いつか無くなってしまうもの」という位置付けだった。

加齢によって失われていく若さと、ピークを過ぎて少しずつ下降していく人気と。

そしてその先にいずれ待ち構えているであろう「解散」や「引退」。

そこにおそろしさを感じながら愛でる対象だと思っていた。

 

最近になってようやく「アイドルにリミットはないのかも?」と思い始めた。

アイドル、特にアイドルグループの寿命は格段に延びた。

大好きなアイドルがいる身としては良い時代になったなあとも思う。

 

しかしながら女性アイドルが、アイドルとして長く活動していくことは男性アイドルのそれとは比べものにならないほど難しい。

そこにはパフォーマンスとしての体力的な若さと共に外見的な可愛らしさ・若さがより一層求められるからだ。

 

 

長く続いているグループのほとんどはメンバーがどんどん入れ替わっていくかたちをとっている。

もはやアイドルグループは「唯一無二である人物の集合体」という概念だけではなくなってきた。

 

例えば、誰かがいなくなってもグループそのものは無くならない。

この子がいなければならないなんてことはなく、その「様式」が継承されていく。

 

特定の人物だからこそ成り立つパフォーマンスやその人間模様でアイドルグループを成立させるのではなく、「スタイル」としてのグループを成立させる。そしてそれを次の世代と継承していく。

箱は同じで中身は少しずつ変わっていくような感じだろうか。

 

そんな形が生まれたのも時代に合ったプロデュースを追求した結果なのかなあと思う。

 

話が逸れたが、Perfumeはというとその類のアイドルではない。

メンバー3人と、いわゆる「チームPerfume」と呼ばれる彼女たちを支えるスタッフが絶妙なバランスで作り上げる世界はけっして他の誰かにはできないことだ。

 

だからこそ私はその完璧なPerfumeの姿に、「いつかは見られなくなるものなんだ…」という切なさを常に抱えてきた気がする。

 

Perfumeの活動状況に特に危機感を抱いているわけでもない。安定した活動状況とその活躍ぶりに、もう流行り廃りに振り回されることはないのだろうな、という安心感すら抱いている。

 

それでもそれとは別の次元で、「年齢」という概念でアイドルを見た時には、どうしてもこんな感情を抱いてしまうのだ。

あと何年見られるんだろう、と。

 

過ぎていく時間はあっという間で、Perfumeの姿を通して感じる「1年」は短い。

でもそれを何度も何度も繰り返してきて今の彼女たちは27歳。今年度の誕生日を迎えれば3人とも28歳になる。

アラサーの域に入ってきていることがいまだに信じられない。

 

若さを失ってしまえば「Perfume」は無くなってしまうのだろうか?

これは私がここ数年ずっと抱いてきた不安である。

 

 

年齢と共に進化するアイドル

彼女達の振り付けを担当するMIKIKO先生はこう語る。

「日本はまだ、女の人が若さを失うことはマイナスだという世の中ですよね。でも本当はそうじゃなくて、年を重ねることは楽しくて、自分自身の財産が増えていくということ。表現にだって幅ができていきます。年相応がすてきで肯定したいことだというメッセージは、Perfumeのパフォーマンスを通して、伝えていきたいことの一つです」

(「装苑」2016年5月号より)

装苑 2016年 05月号 [雑誌]

装苑 2016年 05月号 [雑誌]

 

 

年を重ねるアイドルを、同じ状態で維持するのではなく「年相応」をまとわせていく。

そんな意思を持ちながらMIKIKO先生はダンスを変化させてきている。

 

高校生、大学生の頃はなるべく直線的に、ラインを出さない振付けを心がけていたのですが、今は、3人の変化に合わせて品のいい曲線のラインも加えての表現を追求していますね。

 

これからも、彼女たちの年齢に応じて、その時がいちばん輝く見せ方を作っていけたらいいなと思っています。それは例えば、かわいさであったり女の子であること、性別を売りにしない表現ということ。それが、3人の自信にもつながっていってほしい。

(「装苑」2016年5月号より)

 

 その試みは、最新曲の「FLASH」でも明白に表れている。

"今"の3人がいちばん輝く見せ方。

これは確かに女子高生・女子大生の頃には出せなかったであろう「27歳のPerfume」だから出せる美しさだ。


セットはいたってシンプル。周りをそぎ落としてそぎ落として、なおかつ体のラインが最高に活きる振り付け。

派手な映像効果が付加されているかといえばそうでもない。

体のラインに合わせシンプルに「線」と「面」を追加するような控えめなCGと、最後に登場する「棒術」を思わせる振りに光の演出を加えた程度だ。

光と影、線と面。

ただそれだけなのにこんなにも目が離せなくなってしまう。

 

私はPerfumeの積み重ねてきたいろんな楽曲・パフォーマンスも年齢と共に成立しなくなっていくのだろうか、というところに危機感を抱いていた。

でもそうではないのかもしれない。

 

年齢と共に成立しなくなっていくのではなく、「その瞬間」に成立する最高のカタチを常に更新していく。

それは決してレベルを下げるとかそういう次元のお話ではなく、年を重ねるからこそ出せるものを最大級に追及することが結果的にレベルアップへと繋がっていく。

 

 

アイドルとしての使命と責任 

そもそもPerfumeはアイドルなのか?と思う方もいるのかもしれない。

パフォーマンスを見ていると玄人達が集まって作り上げるその完成度は「アーティスト」寄りであると思う。思わず「アーティストだ!」と言い切ってしまいたくなる時もある。

だが、彼女達は自らアイドルである旨を度々発言する。

押し付けるようなものではなくて、本当にさらっと「アイドル」という言葉を使う。

それは彼女達にとっては当然であることで、そこには自覚や強い意志を感じる。

だからこそ私は彼女達を「アイドルだ」と言い切る。

 

アイドルであり続けるということは「アイドルとして生きる」という使命を受け入れていくことなのかな、と最近ふと思う。

 

ある程度の年齢を重ねてそれでもなお「アイドル」であり続けようとする人というのは、それなりに「アイドル」という職業と向き合う時がくる。

それを乗り越えた上で「"アイドル"をやる」という決意を背負った人というのは強い。

 

2013年、ROCK IN ON JAPAN FES.の大トリをつとめた後のインタビューで「この曲Perfumeだなあって一番強く思う曲は?」と問われたかしゆかは「Dream Fighter」と答えた。

アンコールでこの曲を歌った時、かしゆかは「ああ、こうやって生きていくのが私の使命なんだな」と思ったそうだ。

 

「Dream Fighter」は、彼女達がはじめて武道館でライブを行った時期にリリースされた楽曲だ。

夢を追い続けてきたPerfumeが「武道館ライブ」という夢を叶えた、その瞬間に添えられた思い出深い曲でもある。

 

Dream Fighter - Perfume - 歌詞 : 歌ネット 

このままでいれたら って思う瞬間まで

遠い 遠い 遥か この先まで

最高を求めて 終わりのない旅をするのは

きっと 僕らが 生きている証拠だから

現実に打ちのめされ倒れそうになっても

きっと 前を見て歩くDream Fighter


[MV] Perfume「Dream Fighter」

 

当時この曲に「夢にたどり着いたけどまだまだ進み続けるPerfume」を感じた。

まだまだ上がある、もっともっと先がある、挑戦していく、そんな意思を強く印象付けられた。

かしゆか

「『乗り越えたい!』みたいな気持ちはすごく強いです。その先に、今まででは味わえなかったような喜びとか達成感が待ってるってわかってるんで。手が震えるほど緊張しても、そこを乗り越えた先にまた違うものがあるって、15年間やってきた中で、何度と無く味わってるから。見たことないことに挑戦したい、そしたらそこからまた見えてくるものがあるって。そういう楽しみがもう、たぶん癖になってると思いますね(笑)」

(「ROCKIN' ON JAPAN」平成28年4月30日発行)

ロッキング・オン・ジャパン 2016年 05 月号 [雑誌]

ロッキング・オン・ジャパン 2016年 05 月号 [雑誌]

 

 

いろんな挑戦を繰り返してきた結果が今の自信につながって、さらにまた次のステップに挑戦していく。そうしてもっと繰り返されていく。

 

1つ越えても、まだ次がある。

達成してもすぐにまたその先を目指していく。

 

 

「Perfume」を追求しそのスタイルを確立するべくがむしゃらに突き進んでいたブレイク直後からすると、その姿は少しかたちを変えた。

けっしてマイナスな意味で言っているではない。

「Perfume」というアイコンを守る、そのイメージを崩さないことに重きを置きながらレベルを上げてきた。

それはきっと「作り上げなければいけないもの」であったように思う。

 

本人がそこにいるだけではなくてそこにいくつかの特徴を上乗せする。

もちろん3人がそこにいることも大事ではあるが、何人もの職人が集い「プロジェクト」のような形で進行することで「Perfume」の人気は不動のものとなった。

 

そして今の彼女達を見ていると「Perfume」はもう「作り上げなければならないもの」ではなくなったのではないか、と思うのだ。

 

スタイルを貫かなければならないのではない。

1つのアイコンを確立し、その姿はもう揺らがないだろう。

「Perfumeらしいことをしなければならない」のではなくて、「彼女たちがやることがPerfumeらしい」のだ。 

今の彼女たちなら、歩いていく道そのもの、生きていく姿そのものが「Perfume」になるのだと、私は思う。

 

 

アイドルとは、その成長過程を一緒に歩んでいく存在である。

アイドルについて考えていると「アイドルって何なんだ?」というところにいつもたどり着く。何度も何度も考えて、その度にいろんな考えにたどり着く。

 

あらためてwikipediaで調べてみると、こんなふうに記されていた。

日本の芸能界における「アイドル」とは、成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す。キャラクター性を全面に打ち出し、歌・演技・お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必用はなく親しみやすい存在であることが多い。一方で、はっきりと目には見えない「華」や「人間的魅力」が強く求められるため、一流のアイドルは手が届きそうで届かない存在となる。

( wikipedia「アイドル」)

「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する」という記載には唸ってしまった。

その語源から「アイドル」とは偶像のことである、と一言で片付けられてしまうことも多い。

でも私たちはその偶像が成長していく姿に勇気をもらい、その魅力的な姿に元気をもらう。近いようで遠いその存在にいろいろな感情をもらう。

 

「挑戦し続け、成長してまた新たな一面を見せてくれること」は、アイドルがアイドルでいつづけるための条件なのかもしれない。

のっち

「過去を吹っ切って、夢だと思っていた場所にたどり着いたら、目が覚めて、スーッと幕が引かれるのかなあ、って思ってたけど、違ってた。きっとそれって、自分たちで引くものなんですよね。」

(「音楽と人」2016年5月号)

のっちは、昨年デビュー10周年と結成15周年の集大成を見せるライヴを行って、そのあと感じたことをこんな風に語っている。

冒頭に述べた言葉もそうなのだが、彼女の言葉はとても率直で共感してしまう。

 

「スーッと幕が引かれるのかなあ」という表現もまさしくそれで、私の中で「アイドルが終わる時」の印象そのものだった。

 

でも、のっちがたどり着いた答えは「幕は引かれるのではなくて自分たちで引くもの」。

つまり「ここで終わり」と決めるのは自分たちで、限界を決めるのも自分たち。

足を止めるか、次の一歩を踏み出すか。

それを決めるのは「アイドル」自身だ。

  

 

最新アルバムの「COSMIC EXPLORER」に収録された楽曲には「旅」というワードが何度も登場する。

中でも私が大好きなのは「TOKIMEKI LIGHTS」だ。

最近は聴くたびに毎回泣いている。曲調こそポップで可愛らしいのだけれど、その歌詞がグッときて仕方がない。

 

ずっと 流れない 時の中で

こんな世界に 囲まれたいけど

いつか 失ってしまうのが

こわいものほど美しい きっと 

TOKIMEKI LIGHTS - Perfume - 歌詞 : 歌ネット

 

ときめくものに出会った時、私たちはずっとそれに触れていたいなあと思う。

ライブなんてものはその典型だ。

この時間が終わらなければいいのに!と思うし、この瞬間を静止してそこにとどまることができたならどんなに幸せだろうと思う。

 

でもこの歌詞に含まれているのは「有限であるからこその美しさ」。

儚いからこそ、より美しい。

永遠ではなく不安定だからこそ、もっと尊い。

 

これはアイドルを愛でるすべての人が感じていることなのではないか。

アイドルの寿命が延びたとはいえ、やはりそこにはいろんな「有限」がある。

「永遠に同じ」であることはない。

 

いつか失ってしまう、そのことをきちんと受け止めた上で今をまっとうする。

それを嘆くのではなくて「だからこそ美しい」と肯定して前に進み続ける。この曲のそんな世界観がとても好きだ。

 

歌詞に登場する、

「光のように ときめくままに 旅してたいよ」

という部分も合わせてPerfumeそのものだな、と思う。

 

なんにでも限りがあって、どんなことにも終わりがある。

でも「終わり」をそのまま「始まり」に直結させるかのように変換してしまうPerfumeの進み方は、「章」の終わりこそ感じさせられても「物語」の終わりは感じさせない。

 

余談だがどうしてこうもピンポイントな歌詞を書き上げてくるのか、楽曲を担当する中田ヤスタカ氏の頭の中を覗いてみたいと心の底から思う。

 

 

 

「アイドルであることを選ぶ」ことは「別の何かを捨てる」こと

冒頭で引用させていただいたのっちの話にも「選択肢」というワードが出てきた。

そしてその言葉を使い、もっと端的に表している文章がある。

「ROCKIN' ON JAPAN」で、3人は10年後の自分たちに向けた手紙を書いている。

その中で、のっちはこう書いている。 

(のっちの10年後のPerfumeへのメッセージより抜粋)

「これまで色々ありました。これからも色々あるね。

目の前にある選択肢から選んで選んで、同時にたくさん捨てながら共に進んできた人生でした。

今、選んで進んでいるあなた達の人生が幸せなものであると信じています。」

(「ROCKIN' ON JAPAN」平成28年4月30日発行)

 

「アイドル」という道を選んだからこそ、増えた選択肢があること。

でも同時に「アイドル」を選んだからこそ、捨てなければならなかった選択肢もあったということ。

そしてそれはこれからも続いていく。

そこには夢があって、同時に切なさもある。

 

Perfumeは、私たちとは懸け離れた偶像である。

 

でも27歳としての彼女達は「違う道を歩む自分」をふと想像してなんだかセンチメンタルな気分になってしまうような、等身大の女性でもある。

 

いろんな選択肢を捨てながら「今」を選んだ27歳の女の子たちにもっともっとステキな景色を見てほしい。

「アイドルを選んだ」からこそ叶えられる大きな夢をもっともっと叶えてほしいし、私たちにも見させてほしい。

 

自分勝手ではあるがファンとしての私はそんなふうに思ってしまう。

 

決意とともに真摯に歩む。その先に彼女達にとっての幸せがたくさん待っていると、私も信じている。

COSMIC EXPLORER

COSMIC EXPLORER

 

 

 

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三宅健というアイドルについて

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「私が今一番気になる人物は三宅健である。」

という文章から始まる記事を、書き始めてすぐに放置していた。今年に入ってすぐのことだ。

 

書き始めてすぐ放置することになったのはなぜかと言えば、はじめましての方以外には多少お分かりいただけるかと思うのだが文章が長くなりすぎるからだ。

あまりにも収拾がつかなくなりそうだったため早々に断念し、とりあえずは少しずつ、その時々で思ったことを整理しながら少しずつ消化することにして過ごした上半期だった。

 

 

以前、「岡田准一の反抗期」についてまとめた。

出戻ってきて「自分の中で消化しなければいけない」のがこの「岡田准一の反抗期」であったとするなら、「追究してみたい」と一番強く感じたのは「三宅健のアイドル性」である。

 

それについて考えだすとどうしても一番に浮かんでしまうのが、岡田さんが反抗期だった頃に三宅さんが言ったというアイドルとしての誇りを持ってくれ」という言葉だ。

久しぶりに自分で書いたこの記事を読んでちょっと泣いてしまった。

私が書く記事は結果的に自分が泣きやすい動線に収まりがちなので、読み返してはちょくちょく泣いている。

 

当たり前のことが、当たり前じゃなくなること。

V6でいることが、当たり前じゃなくなるかもしれない。いつかは終わるかもしれない。

漠然とした危機感を抱えながら過ごした2005年の10周年。そんな中で三宅さんがやろうと思ったことが「メンバーをポラロイドで撮影する」だったのだから、泣かせる。

「テクニックがあるわけじゃない。でも、僕が撮りたいのはプロのカメラマンが撮るようなカッコいい作品ではなく、ある意味、プロのカメラマンには取れない写真。被写体への愛情、そう、照れくさいけど、V6への愛情だけで成立するような写真。きっと、メンバー同士だからこそ撮れる写真があるはずだ。」

(2005年ツアーパンフより、三宅さんの言葉)

 

メンバーが好き。ファンが好き。

自らが自分の所属するグループの大ファンで、ファンの目線でものごとを考える。

 

「とにかく、この"6人"というのが好き。そして、いいコちゃん発言にとられたらイヤだけど、V6を応援してくれるファンのみんなが好き。だから、実はかなり激しいV6ファンであり、V6メンバーでもある僕が、ファンのみんな(当然、自分も含む)が喜ぶ顔をイメージしながら考えると、どんどんやりたいことが湧いてくるというわけ。」

(2005年ツアーパンフより、三宅さんの言葉)

20周年を迎えてからのV6の2ヶ月間、まとめ。 - ループ ザ ループ。

「ファン」としての目線で考えた時に一番私たちに温度が近いのは三宅さんのような気がする。

握手会を発案したのは三宅さんらしいし、企画する時の目線がとても近いような気がするなあと感じる時が度々ある。

10周年を迎えた後、V6に何があったのか。 - ループ ザ ループ。

    

「みんなファンの人が求めている物を何で分からないかなっていう、もちろん近くに来てくれるっていう気持ちも凄く分かるし、それもあると思うの。
でも基本的に自分たちが「これ以上いったら吐いちゃうんですけど」っていうくらい踊って、そのぐらい踊ってファンの人にはちょうど良いというか、満足度が満たされるっていう事だと思ってるんですよ僕は。

だから僕はいつも踊ろう踊ろうってとにかく踊りまくって、極力ね。

もちろん外周に行って近くに行ってあげるのも大事だけど、歩いたりとか、お手振り曲を減らしましょうっていうのが僕の思いなんですよね。

(「三宅健のラヂオ」/2011年6月6日放送)」

 

ダンスが好きなのはもちろんだが、その裏にあるのは「見せる」ことへのこだわり。

「求められているもの」を確実に届けようとするその気持ち。

私が三宅さんを「プロアイドル」と言うことの理由のひとつはこれだ。

「滝沢歌舞伎2016」に今感じていること - ループ ザ ループ。

 

(20周年当日のアニバーサリーコンサートを終えた翌日ジャニーズweb内の三宅さんが綴った文章を見て)

ざっくりと中身を説明するならば「代々木組」「家で留守番組」「デビュー時からのファン」「新規」と、すべての人にコメントをしていた。

私が1番びっくりしたのは「出戻り組」に対してまでもコメントしていたこと。 

本当に、この人は。

呆れてしまうくらいにアイドルで、呆れてしまうくらいにファンの目線をよくご存知で。三宅健という人に、私は負けっぱなしだ。

20周年を迎えてからのV6の2ヶ月間、まとめ。 - ループ ザ ループ。

 

V6の最新コンサートDVDに収められた特典映像の中に「みんなで足つぼマッサージを受ける」という企画があった。

それぞれ体の中で悪いところが指摘されたのだが三宅さんの悪いところはまさかの「頭」だった。

頭が悪いといっても、頭の使いすぎ、という意味である。

いつでもファンの心理を読んで、先回りして望むものを用意してくる三宅さんのプロアイドルぶりには驚かされるばかりだ。頭の使いすぎを指摘されたところで納得しすぎて困る。でしょうね…」という感想を抱くしかなかった。

「滝沢歌舞伎2016」が終わって思うこと - ループ ザ ループ。

 

(WOWOWでV6のコンサート映像が放送されることになり、その編集に三宅さんが関わったという話題から。わざわざ足を運び6時間ほどつきっきりで作業に立ち会った。)

ここまで来ると私はもう、三宅さんがコワイ。

「アイドル」が、「アイドル」たる部分を追求することのおそろしさ。

そこにはまだまだ可能性を感じさせてくれる。

何をやってくれるのだろう。何を見せてくれるのだろう。

20周年を越えてなお「アイドル」としての未来を見せてくれそうで、私はやっぱり期待してしまうのだ。

20周年を迎えてからのV6の2ヶ月間、まとめ。 - ループ ザ ループ。

 

「V6」にとっての三宅さんの存在ってなんなんだろう、とよく考える。

まだしっくり来るうまい例えは見つけられていない。

 

誰一人欠けてもV6ではないが、その中でも人一倍グループについて考えていて、常に先を読んでいる。かといって1人で前を歩き一方的にグイグイ引っ張っていく、というわけでもない。

 

「三宅健」というアイドルだ、という認識よりは「V6」というアイドルグループの中の「三宅健」である、という事柄を優先しているように感じる。

それくらいに「グループの一員としてのアイドル」としてやるべきことを模索してきたプロであるし、ため息が出てしまうくらいファンに極めて近い目線からグループプロデュース、および自己プロデュースをする。

 

さらにそれを実現するために努力を惜しまない。そこまでわざわざ苦労しなくても、と思ってしまうことすらあるほどだ。

 

 

 

緻密に練られたようなプロデュースを活動の端々に感じる一方で、狙ってるんだか狙ってないんだかはかりかねるような事案も多く発生する。

 

ファンの要望がわかっているからこそあの、三宅健らしいあざとさMAXな発言や行動が出たりするのだろう。何度、「くっ…!」となったことか。

悔しい。狙ってやっているのがわかっているのに術中にはまることほど悔しいことはない。悔しいのにいちいち反応してしまうのだから敗北感満載だ。

そのくせ、あざとさの中に天然も混ざってくるのだから曲者だ。そのいびつさが堪らないのだけども。

10周年を迎えた後、V6に何があったのか。 - ループ ザ ループ。

本当にこれが曲者で、どこからどこまで計算なのか、それともまったく計算していないのか。

手のひらで転がされているのか。

だがファンの求めるものを出そうとしてくれるということは、逆にこちらが手のひらで転がしているということにもなりうるのではないか?

深く考えだすと何が何やらわからなくなってくる。かくして事件は迷宮入りだ。

 

ものすごくストイックなアイドルという一面に加え、ツッコミどころが満載な独特な一面もある。真面目で不器用。素直であまのじゃく。狡猾で天然。

私はこの絶妙なバランスこそが三宅健の最大の魅力であると思っていたりする。

 

時には「なんなんだ、この人は…!」とそのプロアイドルっぷりに感嘆する。

でも「なんなんだこの人は…?!」と大混乱することも多い。

 

心のなかでツッコミを入れながらの三宅健のラヂオ、あぁもう楽しい。

大部分は「何それ!?」という感情なのだが同時に「三宅健すぎる」とも思うし、「出よった…!」「やりよった…!」という気持ちもある。複雑な感情が入り混じったツッコミだ。

三宅さんに関しては文字にするには難しい感情が多すぎて近頃ほとほと困っている。

「ミヤケッチは許さないよ!そんな、無断で撮るような人」ー三宅健のラヂオ2016.03.07 - ループ ザ ループ。

 

また過去のラジオを聞き返すと、もうただただ自由奔放で天然な様子が見て取れた。

外見・中身とも「昔と変わらないなー」なんて思ってばかりだったのだが、昔のほうがはるかに奔放だった。

昔の三宅さんの奔放さについてはいずれまた触れていきたいと思う。とにかくツッコミどころが満載すぎる。

昔のラジオ音源をカセットテープからパソコンに移す日々 - ループ ザ ループ。

 

 

 

 

昔々に私がV6の解散を案じていた頃、勝手に「V6だってきっといつかは解散するんだ…」と思って悲観的になっていた。

それと同時になぜか思っていたことがあり、それは「健くんだっていつかは老けておじさんになるんだ…」ということだった。

 

漠然とそう思っていた自分が今となってはおもしろい。

なぜ三宅さん限定でそんなことを考えていたのかと言えば、私にとって三宅さんは特に「変わらない外見」の象徴だったからだろう。

厳密に言えば髪型なりなんなり変わってきているところはあったが、それでも私にとっては「不変の人」、というイメージだった。

 

結局、2016年にV6は無事に21周年を迎えようとしている。

それはまあわかるとしてもおそろしいことに三宅健さん、老けていない。そんな馬鹿な。

 

私のあの頃の杞憂は本当に無駄だった。老いという概念すら覆されてしまった。

よくもまあこんな想像以上の未来を見せてくれたものである。

 

奇跡のおじさんは、果たしていつまで奇跡のおじさんでいてくれるのだろうか。

 

2016年7月2日で三宅さんは37歳を迎えた。

37歳の1年は果たしてどんな「三宅健」を見せていただけるのだろう。

三宅さんのよく使うお言葉をお借りするならば「必笑」、この1年も笑顔の多い素敵なお姿を見せていただきたいものである。

 

公式恋愛ゲームのツイッターで「いつもキュートな三宅君」なんて書かれる、そんな37歳男性。

 

 

期待すればするほどそれ以上のものをくれそうで、考えれば考えた分だけその都度答えをくれそうな気がしてしまう。

遠いなあと思うのにたまにとんでもなく近くにいるような気になってしまう。

翻弄されっぱなしの自分がお恥ずかしい。

 

引き続きそのわかりやすいようで掴みきれない絶妙なアイドルっぷりについて考えながら、何度も何度も迷宮入りさせつつ「ああでもないこうでもない…」と考える日々は続きそうである。

 

 

三宅さんお誕生日おめでとうございます!

 

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アイドルの熱愛・結婚に何を思うのか〜井ノ原さんが結婚した時の話〜

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私が「アイドルの結婚」として一番いろんなことを考えたのは井ノ原さんが結婚した時だった。

独身の井ノ原快彦で無くなってからかれこれもう9年近くになる。

もはや既婚者であること、お子さんがいらっしゃることが当たり前に感じられてしまうくらいには時間が経った。

 

ファン目線であの一連の流れを見ていた中で感じたことも色々とあった。

今回はその時のことをまとめながら、「アイドルの結婚」について改めて考えてみる。

 

井ノ原さんの熱愛から結婚までの流れ

瀬戸朝香さんとの熱愛が報道され、交際宣言をしたのは2005年4月のことだった。

この時の流れは以前まとめた。

井ノ原さんが29歳の時の出来事である。

 

そしてここから約2年半後の2007年9月28日、井ノ原さんはコンサートツアー初日にファンの前で結婚を発表する。その後2ショットで記者会見にのぞんだ。

 

その時の一問一答では、なれそめや結婚への経緯をしっかりと語っている。

プロポーズから1年をかけて結婚に向けて準備。

さらにこの記者会見の準備も1ヶ月前から進めていた。

 

翌日のコンサートでは、無事入籍を済ませたことを報告。

 

記者会見の内容などからお二人の結婚までの経緯をまとめるとこうなる。

(98年に交際発覚・その後破局)

※2年半ほどお付合いしたあと5年ほど離れていた

2004年クリスマス 再会

2005年 4月 1日 フライデーで熱愛記事が掲載される

2005年 4月 5日 井ノ原さんがエッセイ出版イベントで正式に交際宣言

2006年9月11日 プロポーズ

2006年年末 メンバーに報告

2007年9月28日 コンサートで結婚発表、その後TBSで記者会見

2007年9月29日 入籍したことをコンサートで報告

2007年10月1日 ファンクラブ会員への結婚報告ハガキ発送

2007年10月16日 「学校へ行こう!」内で結婚発表に密着した映像が放送

 

こうしてなれそめを軽く一覧にできてしまうほど本人の口からきっちり様々な経緯について言及されている。

 

2005年に熱愛報道が出た時、井ノ原さんはそれをすぐに肯定した。

それは自身のエッセイの出版イベントが行われた場でのことで、当然ファンと触れ合う場での話である。

「幸せです。それをファンの方に一番に知らせたかった。僕は誠実に生きているつもり。ウソ偽りなくラブソングを歌うので、ウソをつくと説得力がなくなってくる。」

何よりもファンを大事にしての熱愛宣言だ。

(スポーツ報知/2005年4月6日)

 

2007年、コンサートでの結婚発表について記者会見で聞かれた井ノ原さんはこんなふうに答えている。

【コンサートの初日でファンに1番に報告したのはどういう気持ち?】
井ノ原:まずは、デビュー当時から支えてくれたファンのみなさんに1番に報告したいというのを事務所、メンバー、彼女に伝えたら「それが1番いいよ」と賛成してくれたので、今日は勇気を出して報告してきた。

【感極まって泣いたそうですが?】
井ノ原:そうですねー。泣きました。(メンバーでは)三宅が泣いてました。すごく会場が温かかった。「おめでとう」よりも「ありがとう」と言われた。今まであんな歓声聞いたことないくらい盛り上がった。V6のファンは世界一でした。

【ファンに結婚を報告する怖さはなかった?】
井ノ原:怖さより不安が多かった。ずっと見守ってくれる温かいファンなので、心配させちゃうんじゃないかというのはあった。みんな笑顔でいてくれて、本当に嬉しかった。

V6・井ノ原快彦・瀬戸朝香 2ショット結婚会見「一問一答」|最新トレンド&カルチャーニュース|eltha(エルザ)

 

井ノ原さんの結婚への道のりで、何を優先していたかといえば「ファンへの報告」だ。

 

 

目次

 

当時の私の心境

私自身が「井ノ原さんがコンサートで結婚発表をした」という一報を受けたのが何の媒体だったのかはっきりとは覚えていない。

だがおそらくインターネットを介して、きっとコンサート初日がどんな感じだったのかを調べていて出会った情報だったのではないかと思う。

 

コンサートが終わった直後に2人揃って結婚記者会見をし、はじめてその映像が届けられたのは同日夜ののNEWS ZEROだった。

 

この時の私の感覚はというと、もう心の中ではやしたてるばかりだった。

 

さらりと自然にエスコートするその姿に「ヒューゥ!」と思ったし、デレデレな井ノ原さんを見てニヤニヤしていた。それはもう心の底から祝っていた。

 

当時わたしが綴った文章には、おめでとうの言葉に次いで「とにかくニヤけが止まらない」と書いてあった。

アイドルの結婚に対して嬉しさのあまり夜中にニヤニヤが止まらないなんてなんとも気味の悪いヤツである。読み返してわりとゾッとした。

 

他に書いてあったのは「まさかイノなき(ジャニーズウェブ内で当時井ノ原さんが毎日綴っていたエッセイ)で結婚発表のコメントを見る日が来るなんて」という驚き、感慨深さ。

 

そしてそれと共に自分が抱いていた感情の本質をやんわりと、でも素直に書いていた。

「簡単には結婚できないだろう現状の中で、結婚に踏み切った心意気が素晴らしいと思う」。 

これは井ノ原さんの人間性に感動したから書いた言葉だった。

でもその直後にこんな文章を添えていた。

(「ジャニーズ」として「アイドル」として正しかったかはまた別のお話なんだろうけども…)

 

そう、それなのだ。

 

私はあの時、ニヤけが止まらなくて困るくらいには嬉しかった。

でもひとしきり喜んだ後、少しずつ湧き上がってきたのはなんとも言えないモヤモヤだった。

 

 

アイドルの「誠意」はどうあるべきなんだろうか?

思えば熱愛報道から交際宣言にいたった経緯を見ても、井ノ原さんははじめから「隠す」ということをしなかった。

ご自身が雑誌で連載していたエッセイでは交際が発覚する2年ほど前に「アイドルの恋愛問題」というタイトルでこんなことを書いていた。

僕らだって恋をすればワクワクするし、楽しく仕事ができるという気持ちは変わらない。ただ、「仕事がおろそかになったね」って言われるのはダメだと思うんです。「恋愛したから、もう芝居は見ない」じゃなくて、「演技がうまいから、あの人の芝居を見たい」と言われたい。

だから一番嫌なのは「恋愛して芝居がダメになっちゃったね」って言われること。「恋愛してイメージがおかしくなったね」って言われるのもいけませんが、明らかにマイナスに影響しているのがバレちゃうのは男としてかなり考えものです。僕らは特に恋愛と仕事が直結してとらえられがちなので、いざとなったときでも、はねのけられるくらいの実力をつけておく必要があります。

(「アイドル武者修行」井ノ原快彦/P74,75)

 

アイドルだって恋愛をする。

そしてそれはどうしても仕事と直結して捉えられがちだということもも理解した上で、仕事をきっちりやる。恋愛がマイナスとして捉えられないように。

でも、もし人に聞かれても、はぐらかしたくはないです。はぐらかすってことは考えちゃってるってことだと思うし、考えるくらいなら本気じゃないと思うから。

(「アイドル武者修行」井ノ原快彦/P75)

本当に誠実でまっすぐでこれこそが井ノ原さんらしさだな、と思う。

 

 

でも、このまっすぐさは「アイドル」を職業として見た時にははたして正しいのだろうか?という疑問も抱く。

 

そもそも結婚発表の場として選んだのが「コンサートツアーの初日」だったこともおおいに賛否が分かれたところだ。

 

「あえて初日を選ぶ」。それはすごく勇気がいることで、私だったら絶対に選ばない。

それはファンの心理を考えたら云々なんていう気遣いからではなくて単純に怖いからだ。

「もしそこで受け入れてもらえなかったら?そこから始まる全国ツアーの先々で罵声を浴びることになったら?ファンが去ってしまったら?」…もしもの怖い話を想像すると恐ろしくてたまらない。

 

そこにはきっと彼なりの、彼らなりの、事務所なりの考えがあっての判断だったのだと思う。

 

ただ、ファンにとってその場は「楽しみにしていたコンサート」の場だ。

1年ぶりの待ちに待った例年通りのコンサートツアー。

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その初日となればあえてそこを狙って足を運ぶ方もいるだろう。

これから全国を行脚していく、その第一歩目を新鮮な気持ちで楽しむために。まだ誰も見ていないコンサートをいち早く目撃するために。

 

そしてチケットを購入した時点では「お客」としてのファンは「未婚の井ノ原さん」にお金を払っているわけで、「未婚の井ノ原さんがいるV6」を見に来る予定だった。そこに対してチケット代を払っていた。

 

そのタイミングでまさか「誠心誠意を尽くした結婚発表」が待ち受けているなんて、誰が想像できただろうか。

 

 

余談ではあるが、実はこの井ノ原さんの結婚と時期を同じくして私が好きなアーティストの結婚が続いた。

それも「この人たちはまだ結婚しないだろうなー」と思っていた男性ばかりで、井ノ原さんの結婚を皮切りに1年程度の間に計4人もご結婚された。謎の結婚ラッシュ到来である。

中でもスキマスイッチの大橋卓弥さんは、井ノ原さんが結婚発表・会見を開いたその直後、日付が変わってすぐ公式サイトに結婚の報告が掲載された。

たった数時間のあいだに結婚報告が2件。好きな芸能人にご祝儀を渡す制度がなくて本当によかった。

 

それぞれ結婚発表の仕方も違い、4者4様だった。

 

ファンの前で結婚発表をし記者会見をし、翌日に入籍した方。

ホームページに直筆の文章が唐突に掲載された方。

ファンクラブの会報でひっそりとファンに向けて報告された方。

まさかの交際3カ月で女優さんを射止めて結婚しホームページで発表、翌日のワイドショーはその話題で持ちきりだった方。

 

ちなみに私は全部ニヤニヤしていた。

好きな芸能人の結婚に耐えうるメンタルを持ち合わせていないタイプの人間だったら、この期間は暗黒の時代と化していたはずだ。 

 

パターンは違えどとりあえず4人ともファンに向けて報告をした。

でもファンを前にして、自分の口から発表したのは井ノ原さんだけである。

 

 

話を戻すが、私は井ノ原さんが結婚してから約1ヶ月後のコンサートに参加した。

1年ぶりのツアー。1年ぶりに見るV6。

1年ぶりに見たら既婚者になっていた井ノ原さん。

 

もちろんコンサート内容としては例年と同じようにV6がV6として歌って踊って喋る楽しいものだった。 

ただやっぱりいざ本人を目の前にして「結婚した」という事実が一瞬も頭をよぎらなかった方は少なかっただろう。

 

私にいたっては先に書いた通り結婚の発表があった時点でニヤけが止まらなかった類のファンだったため、やっぱり生で井ノ原さんを見ても「新婚さんだー!!」とあらためて思った。「家に帰ったら嫁がいるんだろうなあ!幸せいっぱいかコノヤロー!おめでとう!」、なんて思っていた。 

 

この時点ですでに、表面上は何も変わっていなくても少し何かが変わってしまったのかな、とぼんやり感じたところはあった。

 

 

ファンは「どこまで」知りたいのか、見たいのか?

ファンが求める「熱愛が発覚してしまった時の対応」って一体なんなんだろうか。

最近もちらほらと熱愛報道が続いていてそんなことを考えてしまった。

 

報道を受けてファンがどんな反応をしているんだろうかと少しネットの海を漂うだけで、そこにはえげつない世界が広がっていたりする。

情報の信ぴょう性を探るべくあらゆる特定作業が進められていたり、その上でおそろしい呪いの言葉のような恨みつらみが並べられていたり。

 

すごいなあ、こわいなあ…とそれを眺めながらふと思ったのだ。

じゃあファンは一体どこまで見たいのだろう?と。

何をどうすれば満足するのだろう?と。 

 

そもそも報道が出ないのが一番良い。

それは恋愛をするなということではなくて、できれば見つからないように上手くやってくれたらありがたいなあ…という意味である。

 

でも「それ」はいつでも突然に降りかかってくる。

 

そしてなんだかよくわからないが、そこまでアイドルを恋愛対象として見ていなかったはずの人間の心にまでも暗い影を落としたりする。

 

10代半ばの頃の私の日記には「今年ショックだったことベスト3」なるイタいランキングが書かれていて、その中に「第2位・フライデー」とスキャンダルが堂々ランクインしていた。

お前相当イタイやつやんけ。でも確かにそんな時代もあった。

 

よくわからないが「は〜あ…」と天を仰ぎながらため息をつきたくなるあの感じ。

ヤダヤダ〜!!!というわけではなくて、これからどうなるんだろう…人気大丈夫かな…という謎の心配と不安を抱えていた。

 

実際にそれが真実だったとして、報道が出た時に芸能人が取る対処は大体相場が決まっている。

お付き合いを認めること。

否定してこっそりお付き合いを続けること。

否定して別れること。

黙秘すること。(何も言わないということはほぼ肯定)

 

どれを選ぶかは本人の意思だけでは決められないところもあるだろうし、今後の仕事や契約しているお仕事の状況も関わってくる。

 

果たしてどれが一番ファンから求められている対応なのだろうか。

 

どうすれば正解なのだろうか。

そもそも肯定してほしいのだろうか、否定してほしいのだろうか。

ずっと独り身でいてほしいのだろうか。

 

ファンというのはそもそも自分勝手なものだ。

勝手に好きになって、勝手に望んで、勝手にわかった気になって、勝手に失望して、勝手に好きじゃなくなったりする。

 

ファンの心理は、なかなかに複雑怪奇で難解だ。

 

 

 

 

結婚発表から半月ほど経った頃、「学校へ行こう!」の中で井ノ原さんの結婚にともなった特別企画が放送された。

 

そこでオンエアされたのは、コンサートでファンに結婚発表した際の映像。

そして「メンバーと奥さんのご対面」の様子である。

 

今考えるととんでもない企画だったなと思う。

 

コンサート終了後、TBSでの会見を終えた井ノ原さん・瀬戸さんはメンバーと対面する。

部屋に入ってきた2人を拍手しながら「お疲れ様でしたー」と迎えるメンバー。

井ノ原「あのー、改めて紹介します。僕の奥さんです。」

改めて映像を見返してみたがこの言葉のインパクトは凄まじい。

アイドルグループの一員が結婚し、メンバーに奥さんを紹介する。

こんな場面そうそう見られるものではない。 

 

少し照れくさそうにしながら改めて奥さんを紹介する井ノ原さんと、その隣に自然に寄り添っている瀬戸さん。さらになんとも言えない嬉しそうな表情を見せるメンバーたち。

 

それを見た私がどんな感じだったのかといえば、お察しの通りだと思う。当然ニヤニヤしていた。

 

坂本「僕は初めましてですね!」

瀬戸「初めましてですね」

坂本「おめでとうございますー。

今日コンサート中に、ファンの皆さんに報告した時にファンのみんなから物凄い祝福の声があがって、僕らもビックリしたくらいの。

V6を代表しまして、こういう井ノ原ですけどもいつまでも末永く今以上に幸せになって下さい。」

井ノ原「はい」

瀬戸「ありがとうございます」

井ノ原「緊張したんだよね?大丈夫だよね?大丈夫だったでしょ?」

瀬戸「うん」

メンバー「(爆笑)」

坂本「(緊張してたのは)お前だろ!!(笑)」

見ながら書き起こしたはずなのに妄想を綴っているような気持ちになってしまったが、これらはすべて実際に交わされた会話である。

 

このVTRの最後はというと、メンバーから「岡田最後カメラに!」とカメラに向かって一言を要求された岡田さんが「主導権は嫁です」とオチをつけて終わる。

 

やっぱりどう考えてもこの映像は前代未聞だった。

今後ジャニーズ内やアイドル業界でこのような扱われ方をする方が続いて出てくる気が全くしない。

 

「ここまで見せてもらえた」ことを個人的には嬉しく思った。

だがきっとその一方で「ここまで見たくなかった」という方もいたのではないか。

 

 

私は結婚発表の場となったコンサート会場にいなかったので現場の様子は伝聞でしか知らない。

むやみやたらにあの場のムードを肯定するわけにもいかないし、かといって否定するわけにもいかない。

過剰に評価して持ち上げるのも違う気がする。

でも大げさに嘆くのもまた違う気がする。

ただわかるのはあの場がとても混沌とした状態だったんだろうな、ということだけだ。

 

受け入れられる人。受け入れられない人。

祝福する人。嬉しがる人。怒る人。悲しくなった人。

裏切られた気分になる人。応援する人。

擁護する人。心配する人。

捉え方はけっして1つだけではなく、そんな単純な話でもない。

 

とにかくもうそこに湧き上がる感情はいろいろで、私の中にあった感情が純粋な1つではなかったように心の中が混沌とした方もいるかもしれない。

 

 

 

 

井ノ原さんから届いた結婚報告の手紙

私自身が一番モヤッとしたのはファンクラブから届いた井ノ原さんの手紙だった。

直筆で丁寧に書かれた文章が印刷されたハガキである。

 

消印を見てみると10月1日になっているのでこの数日後に我が家に届いたのだろう。結婚発表があったのが9月28日、入籍したのが29日。

つまりこのハガキが発送された時点ですでに結婚は周知の事実になっていて、なんなら概要まで記者会見で知ったあとだった。

 

もうすでにこの「届いたタイミング」がなんとも微妙な空気を醸し出していた。

 

報告してくれるのは嬉しい。コピーとはいえ直筆だったのも嬉しい。

ただこれが当時傷心真っ只中であったファンにも届いたのかと思うといたたまれない気持ちになった。

 

私が一番引っかかったのは「みんなに祝福していただくことが僕の幸せ」、という内容の文面だった。

 

会場にいたすべての人が100%なんの淀みもなく手放しで結婚を祝えたわけではなかったように、これが届いたファンの中にもモヤモヤした方もいただろう。

そんな時期に「みんなに祝福していただくのが僕にとっての幸せ」という内容の文面が届いたらどんな気持ちになるのだろう。

祝福できなければファンである資格はないのかな、なんてこともぼんやりと考えてしまった。

 

きっと本意はそうではないだろう。

そんなことを言われているわけではない。はずだ。

 

400字ほどの手紙に込められていたのは、「ファンに一番に伝えたかった」ということ。

そして「自分は何も変わっていない」ということ。

「変わらずにいつでも”ここにいます”」という内容だった。

    

 

ここにいる、ってどういうこと?

あえて引用符で括られ強調された「”ここにいます”」。

これもこの手紙のなかではクセがあって、少し引っかかった部分だ。

 

正直言って「ここ」ってどこだ?と思った。

あえて引用符で切り離すくらいには重要で、きっとここが一番伝えたいことなのだろうな、というところまでは感じていたのだが当時の私には「ここ」がピンとこなかった。

 

改めて今一度それについてぐるぐると考え込んでみた。

 

ポジションなのか。

芸能界そのものなのか。

あなた(ファン)のそばということなのか。

それともV6というグループのことなのか。

 

そこまで考えて、はたと気付いた。

あったじゃないか。ここ1年の間に、「ここ」という言葉が織り込まれたメッセージ性の強いものが。

 

 

そう、昨年から今年にかけて散々泣かされた「~此処から~」だ。 

 

感謝なんてしないけど

此処からいなくならないで

〜此処から〜 - V6 - 歌詞 : 歌ネット 

 メンバー全員でそれぞれ歌詞を考えて、1曲として井ノ原さんがまとめあげたこの楽曲。

タイトルにもなっている「〜此処から〜」という言葉。

 

この「感謝なんてしないけど」の対となっている「感謝なんてしたくない」は三宅さんが出した言葉なのだ。

つまり井ノ原さんはおそらく、三宅さんのアイデアをうまく転換し森田さんの出した「いなくならないでね」に繋げている。

井ノ原さんのこの抜群の発想力から「〜此処から〜」は生まれているのだ。タイトルにするほどなので本人も手応えがあったのではないだろうか。

以前私はこう書いた。

 

三宅さんの書いた「感謝なんてしたくない」、

森田さんの書いた「いなくならないでね」。

これをうまく繋ぐ言葉としての「此処から」なのだと思っていたのだが、もしかすると井ノ原さんにとっての「ここ」は実はとても意味のある言葉なのかもしれない。 

 

「〜此処から〜」というタイトルについても、少し引っかかっていた。

 

今更になるのだがタイトルをはじめて目にした時に「なぜ"此処"が漢字?」と思った。

 

小難しい内容なのかなーと思いきや、歌詞を読んでみると実にシンプル。

だからこそ余計に「なぜ漢字に?かっこつけたの??」と思った。

 

結局そりゃあかっこつける時もあるさアイドルだもの…という生暖かい目で見守り、単に字面だけの問題かなと処理していた。

 

「此処」という漢字は、とても目を引く。

 

これがもし「〜ここから〜」だったらどうだっただろう。

なんとなく間延びして見えると同時に「ここ」という位置は強調されない。

あくまでそこにあるのは「ここから」というひとつながりの言葉だけだ。

 

じゃあ、もし「〜ココから〜」だったとしたらどうか。

「ココ」がなんとも意味深である。なんだか複数の意味をはらんでいそうだ。

下手すると「個々」なんて捉えられかねない。それはそれでなんかかっこいいが。

でも20周年にお互いに向けて、グループとしての感情を乗せるにはそぐわない気がする。

 

では、「〜此処から〜」にした理由はなんなんだろうか。

もしかすると、この「此処」という言葉こそが強調すべき重要なポイントなのではないか。

 

今思えば、井ノ原さんの手紙にあった、いつでも"ここにいます"というのは、そういうことなのかもしれない。

「"ここ"って、どこ?」とモヤモヤしていたあの日の自分の疑問に、ようやく答えをもらえたような気がしてしまった。

 

いつもと変わらない場所。自分の基準になるところ。

今も昔も変わらずに、「ここ」と呼べる現在地。 

それは誰か1人でも欠けると成り立たなくて、変わってしまえば「ここ」ではなくなってしまう。

 

自分の今いるこの場所を「ここ」と表現する。

それってもしかして井ノ原節のなかでは最上級の「大切な場所」の表現なのかもしれない。

 

大事なのは「今まで」や「これから」の話ではなくて、その中心に変わらずに据えることができる「ここ」にいること。

 

そう考えるとなんだか結婚の時に届いた手紙の井ノ原節にも、「〜此処から〜」というタイトルに私が抱いた微妙な違和感にも合点がいってしまった。

 

 

 

結婚してから井ノ原さんがまったく変わらなかったのかと言うとそうでもないな、と思う。

「ほんっとに!昔から変わらないな!!!」と少々語気を強めて思ってしまうほど、井ノ原さんの中のふざけ虫が大暴れし爆笑させられることもある。

でもやっぱりここ数年の「朝の顔」としてのイメージが定着した井ノ原さんは、変わらないけど変わったな、と思う。

 

でも確かに宣言した通り「ここ」にいるんだな、とつくづく思わされた。

 

 

アイドルの熱愛・結婚を目撃しながら応援していくことは、それなりにしんどい部分もある。

 

以前、某メンバーの熱愛報道が出た際に「どう思いますか?」という内容のコメントを丁寧な文章でいただいたことがある。

私個人はスキャンダル絡みの話に関してはとてもデリケートなお話だなと認識していて、目にするだけでも嫌悪感を抱く方もいらっしゃると思うのであまりがっつりとは触れないでおこうというスタンスでいる。

そのためにコメント自体は申し訳ないと思いながらも非公開にさせていただいたのだが、少しだけこの場でやんわりと返答させていただきたいなと思う。

(そもそもそこら辺のいちファンに過ぎない私の意見がはたして何かの参考になるのだろうか、と思いつつ…)

 

私にとってそういう局面に遭遇した時、一番大事なのは「ここにいてくれること」。

 

アイドルがアイドルとして仕事をしてくれている限りはきっと外的なものはあまり関係ない。

私は「見せてくれるもの」を全力で楽しんでいたいし、それをしっかり楽しめるファンでいたい。

我ながらヘドが出るほどの綺麗ごとだな!と思うが、キラキラした世界を見ている時くらいはそんな思考でいたっていいじゃないかと開き直っていたい。

 

対応の仕方やその後の身の振り方などを見ていて心配してしまうことは少なからずあるけれど、結局私が望んでいるのはそこなんだな、と今回考えていて気付かされてしまった。

 

あの頃はあまり理解できなかった井ノ原さんからの手紙も、今なら、少しくらい、ほんのちょっとなら理解できたかもしれない、ような気がするような、しないような。

 

 

「今ならわかるよイノッチの気持ち!」なんて言葉は、確証もないしおこがましいし何より恥ずかしくてのたうち回りたくなるので、絶対に言わない。

 

 

コンサートスタッフさんに関するよもやま話

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今年も半年が過ぎた。

おかげさまでちょこちょこと現場に足を運ばせていただき、ライブからコンサートから舞台から劇場公演までおおいに楽しませていただいた。

 

そんな中昔から相変わらずどんな場所でも毎回気になっていることがある。

各会場で出くわす、そこで働くスタッフさんである。

 

もちろんたくさんの方の力でイベントが成り立っているのは知っているが、今回言及させていただくのはグッズ販売からお客さんの誘導・会場内での警備etc…つまりはきっと日雇いの方が多いんだろうなあ、というスタッフ。

要するに大半をバイトさんが占めているであろう業種のスタッフについて。

 

目次

 

 

「グッズ売り場でメンバー名をどう呼べばいいか」問題

こんな問題を抱えているのは私だけかもしれないが、もうずっと、毎回新鮮にそわそわしてしまう。

昨年久しぶりにジャニーズの現場、V6のコンサートに行ったわけだがやっぱりそわそわしてしまった。そわそわしてしまっている自分に対して「ああここに戻って来たんだな…」と実感したほどだった。

 

それが「グッズを買う時にメンバー名をなんと呼ぶのが適切なのか?」という私の中の深刻な大問題である。

 

普段呼んでいるとおりに呼ぶべきなのか。

苗字か?名前か?

「くん」付けか?「さん」付けか?

はたまたあだ名か?

 

例えば、「井ノ原くん」なのか?「井ノ原さん」なのか?「イノッチ」なのか?といった感じだ。

普段は好きなようにその時のテンションで呼んでいるメンバーの名前を改めて「グッズ売り場」というオフィシャルな場所でスタッフさんに向けて発さなければいけないとなるとふと考え込んでしまうのだ。

 

結構な年上やのに「くん」付け?いやまあジャニーズの伝統として「くん」付けはわりとポピュラーでおかしくはない…でもここは「さん」付けのほうが適切か…

いやでも「さん付け」したらしたで「こいつw改まっておるww」とか思われないだろうか…

浸透しているあだ名で呼んだほうがむしろわかりやすい?

でも、「いきなりあだ名ぶっこんでくるなんてこいつどんだけ強気なん?みんながみんなあだ名理解してると思うなよ」とか思われないだろうか…

 

と、我ながらそこまで悩まんでも、と思ってしまうくらい毎回この議題について頭の中で大会議が開かれる。

ちなみに列に並んでいる間ずっとこんな心境である。

 

久しぶりに並んだこのV6のコンサートの物販、うちわを購入する時にはスタッフさんが「◯◯さんのうちわですね!」とわざわざこちらを向けて確認してくれていた。

寝かしてではなくしっかり立てて。

こちらを向けて下さるということは自分の後続の方にも見えるということで、それすなわち言ってみれば「後続への自担晒し」のようなものである。

2人分買うと右手と左手に持ってこちらに見せてくれた。こうなるともう「後続への推しコンビ晒し」である。

ちなみに私の2つ前に並んでいた方は三宅さんのうちわを5〜6枚買っていたがそれは寝かして確認していた。いや、そこは立てへんのかい

 

この時の私はというと、自分で買ううちわがどうしても決めきれずひとまず相方のお使いで井ノ原さん・岡田さんのうちわを買うべく購入列に並んでいた。

スタッフのお姉さんは井ノ原・岡田コンビのうちわをしっかりとこちらへ見せつけ販売してくれた。もうこれは一種のパフォーマンスである。なんだろうかこの気恥ずかしさ。

 

脱線した。

相当な数のお客さんを相手にしているのでまったく気にもとめておられないとは思うものの、私は毎回「みんな一体なんて呼んでるの?どう呼ぶのが適切?」と考えてしまう。

 

気になっていたこの問題についても探るべく、「コンサートスタッフ」を体験された方の感想について調べてみたところ、貴重なお話を載せてくださっている方がいらっしゃったので引用させていただきながらご紹介したい。

どちらもすごく興味深い内容で、その世界を知らない私からすると貴重な情報ばかりだった。

こちらの記事はジャニーズファンではない方が嵐のコンサートで物販スタッフをされた際のお話。

 

とりあえず嵐さんの人気やっぱりすごい

公演日の前々日からグッズをプレ販売するとは一体…私にとっては想像できない世界だった。

そして想像はしていたがやはりというか、現場の修羅場具合も思い知った。

 

当然とも言えるのだが、スタッフさんはメンバー名を敬称をつけて呼ばなければならない。

となるとこういった事態だって発生する。

お客さんは櫻井君を「翔ちゃん」という人が多くて、それを私たちは「櫻井さん」と言わなければいけないので、最初のほうは頭がまわっていましたが、最後のほうになると、お客さんと同じように「翔ちゃん・・・」と言いながら商品を出してしまうのです。

 

「リーダーとぉ~」と言われた時も、(リーダー?)って一瞬止まって、(ああ、大野君か)。

 

「おーちゃん1枚」と言われて、(おーちゃん!?ああ、大野君か)。

 

「ニノ1枚」と言われて、「はい、ニノさん1枚・・・」と、(もうニノさんでいい気がする)と思いました。

 

(「ライブスタッフ グッズ販売!!!!!|oneday」より)

私たちが普通にあだ名でスタッフさんにグッズをお願いすると、相手は頭の中で一旦正式名称に変換しなければいけない。

つまりはその分手間がかかるということ。

そう考えるとやっぱり苗字+「さん」付け、が一番手間を省けるのかもしれない。

 

 

さらにこちらの記事はジャニヲタさんがNEWSのコンサートで物販スタッフをされた際の体験談。

私は「『ゆうくん』のうちわください」って言われて、「『ゆうくん』って聞きなれないけど誰だ?・・・・・・・・・・・・、あ、手越祐也で『ゆうくん』か」と理解するまでに時間がかかってしまいました。
別の子は「『ひーくん』のフォトセットください」って言われて、誰のことかわからなかったから聞き返したら「山下智久の『ひー』です!!!」って軽くキレられたそうです。
『ひーくん』って山Pのことを呼ぶ人は少なくとも私の周りにはいないし、その理論で行くと増田貴久も『ひーくん』じゃないかwww
バイトの人が迷ったり聞き返したりする時間が無駄なので、ぜひとも分かりやすい表現で伝えてあげましょう。

ジャニヲタなら一度は経験すべし!コンサートの物販バイトってけっこう大変だよ - 何度も唄うよ 君を想いながら

これは私も瞬時に理解できる気がしない。

あだ名まで理解できていない人間にとってはもうこれはクイズだ。

 

そもそも「さん」付けか?「くん」付けか?の時点で迷っている私からすると、こんな強めのタックルを堂々とかませる人がいるのか…!というところにまず驚愕した。

生きている次元が違う。

私の中の大問題なんてもうそこらへんのカスくらいの小ささで、風が吹いたら飛んでいくくらい軽い。どっちでもいいし心底どうでもええ。

 

またこちらの記事では「メンバーそれぞれの人気によってあらかじめ用意されている量が違う」という実態も各メンバーごとのリアルな数量を添えながら触れられていて、それもなかなか衝撃的だった。

  

とにもかくにもただでさえ混み合う物販スペース、真夏や真冬の悪環境だったりすると並ぶ側の私たちもしんどいがスタッフさんにとってはもっとしんどい。ファンもスタッフも気遣いながらスムーズな流れとストレスのない環境を作れたらいいなと思う。

 

そのためにもスタッフさんがファンじゃなかったとしてもすぐに伝わる呼び方で、混乱させないように個人名をしっかり伝えるのがよさそうだ。

 

やはり「苗字+さん付け」がスタッフさんもオウム返しするだけで済むので優しいのかなあ…なんて考えていたが、ふと去年の物販スペースで気になったことを思い出した。

 

うちわを購入する時にふとスタッフさんのうしろを観察していると、仕切りのついた箱に各メンバーのうちわが収められそれぞれにラベルが貼ってあり、個人名がマジックで小さく書かれていた。

敬称部分の記憶があやふやになってしまっているのだが、そこには左から順に「坂本くん」「長野くん」「井ノ原くん」「剛くん」「健くん」「岡田くん」と順に並んでいて、

「えっ、剛くんと健くんだけは苗字じゃなくて名前??」

と内心つっこまずにはいられなかった。

 

「スタッフさんが把握するためのラベルなのにその2人は名前!?」と一瞬混乱したが、それくらいあのお二方については名前の印象が大きすぎるし、おそらく「剛くん」「健くん」呼びで注文される方が多いのではないか、と想像する。

でも結局確認の時には「森田さん」「三宅さん」と言わないといけないわけだろうし、逆に混乱するのでは…なんて思ってしまった。

 

 

会場内で立っている警備の方の目線が気になる

今年に入ってから行った、とあるライブでの話。

オールスタンディングの会場で端っこも端っこ、柵前あたりに陣取ることになった私の目の前にはライブ中ちょうどスタッフさんが立っていた。

 

それはもう死んだ魚のような目で。

 

オールスタンディングとは言えファンが大暴れするようなアーティストでもないのでほぼ立って見ているだけのお仕事にはなると思うのだが、もうその目は虫けらを見るかのごとき冷たさすら放っていて、なんとなく「ご、ごめんな…」という気持ちになった。

だからお願いそんな目で私を見ないで。

 

コンサートやライブで最前近くや通路横、オールスタンディングでも柵前や端っこのほうに陣取ることになった場合は自分の目の前にスタッフさんが立つ場合がままある。

 

こうなると私はものすごく気を使う。

そして気になる。めっちゃ観察してしまう。

 

開演する前には心の中で、

「ごめんやで…多分開演したらそれなりに手を挙げてみたり左右に振ってみたり手拍子してみたり身体中のありとあらゆる部位でリズムを刻んでみたり時と場合によっては飛んだり跳ねたりあるいはニコニコニヤニヤしたり泣いたりしてしまって『何こいつマジキモいんだけど〜』と思わせてしまうかもしれんけどご迷惑はかけへんさかい…少々辛抱してくれ…」と思う。

心の中で先手を打ったところで意味はないのだが、開演してしまえば目の前にスタッフさんがいようとも全力で楽しんでしまう自分がそこにいるのは想像がつくので先にこれからお見せするであろう多少の醜態について懺悔しておくのだ。ああ視線が痛い。

 

スタッフさんはもちろんお仕事でそこにいるわけで、これから2時間以上熱狂したファンたちを見ながら業務をこなさなければならない。

私たちにとっての楽しいお時間はスタッフさんにとってはお仕事の場である。

 

楽しい楽しいイベントに携わるお仕事なのだからそりゃあもう楽しいんだろうな、なんて子供のころは思っていたが、年を取るにつれてきっと大変なんだろうなと思うようになってきた。

 

もちろんお給料をいただく作業なのだから大変なことはあって当然なのだが、できれば気持ち良くお仕事をしてもらいたいしステージに立つ人に対しても、それを見に来たファンに対してもできるだけいい印象を持ってもらいたいなあ…と思ってしまう。

 

 

演出における落下物事情が気になる

ここ数年、演出で降ってくる物のクオリティが上がったような気がする。

銀テープも昔は無地であることがほとんどで、せいぜい色が何種類かある程度。

そこから少し進化してツアーロゴが入ることも多くなった。

そして今ではアーティストの直筆メッセージが印刷されていることも少なくない。

 

去年のV6の20周年コンサートではこんなメッセージが入っていた。

黒く見えるが銀色のテープである。

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1本に全員分が印刷されていた。

 

さらにポルノグラフィティが15周年を迎えた時はこんな感じだった。

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なんともご利益がありそうなテープである。

 

さらには風船なんかも降ってくる場合がある。

Perfumeドームコンサートにて。

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あ〜ちゃんの風船は心優しい方に撮影させていただいた。

そもそも私自身は風船を取れなかったのだが、取れなかったなー…と思いながら出口に向かっていたらどこからともなく風船が飛んできて、持ち主を捜したが見つからず。

そこに「次はあなたが誰かの腕を引く番 のっち」と意味深な言葉が書いてあったものだから「何これ、お告げ?啓示ですか??」とおもわず笑ってしまった記憶がある。

 

落下物はナイスキャッチできなかったとしてもスタッフさんが配ってくれる場合もあり、お仕事とは言え本当にありがたい。感謝するばかりだ。

 

貴重なメッセージがかかれているため大なり小なり争奪戦になりがちな落ち物事情。

隣近所との微妙な戦いはあったりするが、拾うために自分の席からお出かけされてしまう方もいらっしゃるという。なんともおそろしい話だ。

 

こちらの記事には実際にその「地獄絵図」をスタッフ側として目にした方の感想があった。

 

果たして奪い合いの末、もしくはズルをして得た「それ」に意味はあるのだろうか。

たとえばそこにまっすぐなメッセージが書いてあったとして、ズルをして「それ」を手に入れた自分は嬉しいのだろうか。手放しで大喜びできるのだろうか。

 

そこに意味を見いだせない自分であり続けたいものである。

 

花道に落ちた銀テープを拾ってスタンド最前の方に渡し「うしろに回して」と指示していた井ノ原さんと、その言葉を受けてしっかり回していたファンを見てウワアア…!と感動した私としては、奪い合いではなくそういう気遣いで心温まる1シーンが生まれるための小道具としての銀テープであってほしいと願うばかりだ。

 

また同じことはメンバーが客席の通路に降りてきてくれたりした時にも言える。

通路側の席にいると、客席降りの直前にはスタッフの動きが慌ただしくなったりバリケードを張るためにロープが用意されたりとその後の展開が予測できることも多い。

この時のスタッフさんの緊迫感たるや。

そんな様子を見ていれば当然自席を離れようという気にはなれない。

マナー違反をしてメンバーに近づきお触りをしたところで、そこに何の意味があるのだろう。

 

 

終演後に早々に会場を追い出される理由 

私もよくやってしまうのだが、終演後にボケーっとしているとスタッフさんに退場を促される。

それもそのはずでスタッフさんたちにはその後もお仕事があるのだから当然である。

これについても先ほどの記事で理由に触れられている。

コンサートが長くなればなるほど、解体する時間が長引く→決められた時間内に解体しなければならない→アルバイトを増やさなければならない→アルバイトの帰る時間が遅くなる→人件費(給料)が増える→スタッフ困る→公演時間に制限がある!という状況になる。
 
ジャニーズでは、コンサート会場内からお客さんが全員出ないと解体作業ができない。そこは、かなり徹底されていて、きつくいわれる。なので、スタッフが大きな声で客出しと呼ばれることをするのだ。お客さんが会場内に居座るのは、本当にタチが悪いので、やめてほしい。できるだけ会場内を早く出て、会場外などで居座ってほしい。円滑に解体、清掃を行うためにお願いしたい。

私たちの楽しい時間は終わっても、その後にはステージの解体や清掃作業が待っている。

迅速かつゴミを残さず、「立つ鳥跡を濁さず」の状態でひとまずは外に出なければならない。

  

私たちはチケット代を払って楽しませてもらう側なので忘れがちなのだがすべての事柄にはお金がかかっている。

会場を借りるのにもお金はかかっているし人を雇えば人件費がかかる。当たり前のことだ。

 

会場を借りるのにいくらかかるかご存知だろうか。

平日と土日祝でも違う。

また公演日の前日からセットを組めばその日の分も料金が発生する。

 

たとえば、私が何度も何度も足を運び勝手にホームだと思っている大阪城ホール。 

ホームページには利用料金が掲載されている。

ご利用料金 | イベント主催の方へ | 大阪城ホール

 

本番日が平日であれば1日400万、土・日・祝なら500万円。

 

設備や備品も利用料が設定されている。

私たちに一番身近なものでいえば、たとえばアリーナの椅子。

あれは備え付けのものではないので毎回毎回並べられているが、1脚・公演1回につき180円だそうだ。椅子にまでお金がかかると知った時は驚いた。

仮に横70席・縦60列だと仮定すると、アリーナは4200席。

4200脚×180円として、75万6000円だ

 

冷暖房料はアリーナ1時間3万円。

テレビ・インターネット中継料なんてものもあり、1日20万円。

 

そんなこんなで何をするにも料金が発生していることを肝に銘じておかなければいけない。

グッズやチケット代を落とすだけでなく少しのマナー向上でお手伝いできることがあるのならばぜひ貢献したいものである。

 

そしてもう1つ、会場内でのことで補足させていただくなら開演前・終演後のセットや場内を撮影するのはダメゼッタイ。コンサート・ライブ中以外も撮影は禁止なのでご注意を。

 

 

現場へ足を運ぶといたるところにスタッフさんがいる。

観る側も働く側もできるだけ気持ちよい時間が過ごせるように、ささやかな心がけを大切にしていきたいものだ。

 

 

坂本昌行というV6のリーダーについて

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 V6のリーダーと言えば、坂本昌行さんである。

 

グループ内の年齢差は最年長・坂本さんから最年少・岡田さんまで9歳。

最年長ということもありV6のリーダーは坂本さんがつとめることになった。

 

この「V6のリーダー」というポジションでの役割について、坂本さんはしょっちゅう「何もしていない」と言う。

でも決してそうではないのは周知の事実であり、デビューからこれまでを振り返るとそこにはリーダーとして奮闘する坂本さんの姿がある。

 

おおかたのエピソードは今となっては全体的に笑い話だ。

テレビやラジオで話す時にはまるで悩みやツラさなんてなかったかのようで、「ちょっとしたこと」でしかないようにすら感じる。

そこにはお涙ちょうだい要素なんて無く、デビューから20年ほど経って語られるデビュー当時のエピソードはもはや鉄板ネタと化している。

おもしろおかしく楽しそうに、笑いながらネタとして話す様子に私も思わず毎回笑ってしまう。

 

今現在の彼らが語る言葉の中に、V6の歴史はぎゅっと凝縮されている。

むしろ今語られるそれこそがすべてであってそこに補足なんて必要ない。その内容だけで十分すぎるほど魅力的なのだから。

 

しかしながらデビューから20年あまりの時間の中で「その時々の彼ら」が話していたことをさかのぼって見ていると、「なーんだ」と思う瞬間が多々ある。

「ここからちゃんと地続きで、延長線上にあるのが"今"なんだな」、と強く思わされてしまうのだ。

 

いいこともそうではないことも、いろんなことがあった。

でも全部がつながって今があって、「ああ、あの時のあれはここにつながっているのかもしれない」なんて勝手にわかったような気持ちになってしまう。

そんな「つながる瞬間」の発見が多すぎて私は何度も感情を持て余して頭を抱える。

 

何かと背負いこんでしまっていっぱいいっぱいだった坂本さんのエピソードと、その姿を見てきたメンバーのコメントなどをたどっていると、毎回胸がぎゅーっとなる。

これだからV6が好きなんだ、と思うし、これだから坂本くん大好きなんだよなー!!!と思う。

そして昂ぶった自分の感情に対して「でもそれってメンバー間ではもう笑い話の類だし勝手に過去ばっかり考えてむやみやたらと一方的にテンション上げてしまうのってどうなのよ?」とたびたび冷静な自分Aが顔を出す。

「でもやっぱり不器用なりにリーダーをやってきた坂本くんだからこそこんなに大好きなんですよ…!」と自分Bも負けじと主張する。

最終的に奴らは「まあ坂本くんが幸せそうに笑ってる今があるんだからいいじゃない」とがっちり握手して円満解決にいたる。

 

そもそも「リーダー」ってどういうポジションなのだろう。

言葉通りに取るならば「先頭となる人」のことであり、「代表者」「指導者」「統率者」なんて表現される。

 

リーダーは苦労する。

アイドルグループにもそれぞれ「リーダー」と呼ばれる位置のメンバーがいて、そのポジションはメンバーが多いほど、価値観の違う人間が集まっているほど苦労しがちだ。

人をまとめる立場はやりがいと引き換えに気苦労も絶えない。

 

相手のことを考えなければいけないポジションは真面目に考える人間にほどしんどく、頑張れば頑張るほどしんどくなってしまいそうなその立ち位置で奮闘する・してきた人というのは非常に私の心を揺さぶる。

 

そんなポジションでV6を引っ張ってきた坂本さんというのは、中学生時分から私の中では「すごい人」だった。

そしていまだに、今日45歳になった坂本さんに対して「すごいなあ坂本くんは!」と思っている。

また1つ歳を重ねてもなお素敵な坂本さんに敬意を表しながら、今回はリーダーについて書く。

 

  

目次

 

 

 

デビューした頃のはなし

ご本人が何度も「リーダーに向いていない」と言ってきたように坂本さんの性格はそもそも「俺がリーダーやります!!」というタイプではない。

また坂本さんのことをメンバーが話す時、特に登場しがちなワードが「三男坊」。

坂本さんは三兄弟の末っ子で、メンバーが可愛らしい側面を話す時には決めゼリフとして「三男坊だから!」がよく使われる。

 

井ノ原

坂本くん、いきなりリーダーを任されてしまって大変だったと思いますよ。もともと、 彼って無口なんですよ。の~んびりした人だから、「おまえこうして、ああして」って、周りに指示するようなタイプじゃなくて。みんなが思うような”リーダーのイメージ像”とは、性格的にまったく離れている人だったんです。 

(2015ツアーパンフ)

 

あまりにリーダーをやりたくなかった坂本さんは、一旦は「井ノ原、(リーダー)やってくれない?」と頼んだほどだった。

井ノ原さんも「別にいいよ」と返事をしたのだが、結局事務所の意向もあってやっぱり坂本さんがやることになった。

 

 

デビューして4周年を迎えた頃、坂本さんはデビュー当時をこんな風に振り返っている。

ホントに当時は心配ばっかりしてた。まるで親みたい。そういう義務感にかられてたって感じ。だから、楽しいとかつらいなんて感じてる暇がなかった。自分の肩に重いものがのってるなって。

(ポポロ/2000年1月号)

 

坂本さんはカミセンに礼儀だったり基本を教える。

その姿は本当に親のようで、「早く寝ろ!」といった生活態度の部分まで及ぶ。

メンバー同士の関係を家族で例える時によく「お父さん」という位置付けに納まるが、それはこういった「昔ながらの親父」のような振る舞いをしていたことも理由のひとつだ。

 

デビュー時に6人揃って出演したドラマ「Vの炎」の頃には6人とも合宿所で生活をしており、メンバーを集めて台本の読み合わせなんかもしていた。

 

この「Vの炎」というのが曲者で、それまで演技経験のなかった岡田さんは特に、まあ大方の予想はつくがなかなかの演技力。もちろん良くないほうの意味で。

 

放送から5年ほど経ってからこのドラマをはじめて見た私は「何これ!?」と爆笑した。

とにかく設定から内容からストーリー展開まで全部おかしい。

大真面目にシュールなコントをしている感じだ。これはドラマなのか?コントなのか?

 

メンバーを集めて台本の読み合わせをしていたというエピソードを知った時、正直なところ「あのドラマの!?」と思った。

全体的にぶっとんだ設定、見るものすべてを笑いの渦に引きずり込むような抱腹絶倒間違いなしの怪作。これを一体どんな感じで読み合わせしたんだ…?、とどうしても思ってしまう。

 

裏側を考えるとこの当時すごく大変だったことがわかる。

でも映像作品として残る「それ」は抱腹絶倒もの。

相反するその世界観に私の頭は大混乱だ。

 

井ノ原「リーダーがいてさぁ。リーダーが仕切ってたわけですよ、合宿所でも。」

三宅「まあでも坂本くんはねぇ…」

坂本「仕切ってたっけ?(笑)」

井ノ原「仕切ってたよ!」

三宅「まぁ、なんか親分みたいな感じで振舞ってたからね。」

長野「振舞ってた(笑)」

三宅「まぁでもやっぱ今思えば24歳っていう年齢でもう僕たち15、6のクソガキ共の面倒見なきゃいけないって、こんな煩わしいことないよね。」

井ノ原「そりゃあ荒れるよ…荒れてたもん!坂本くん、ねえ!」

長野「酒飲んでたねぇ(笑)」

井ノ原「酒量が増えてたもん(笑)」

坂本「酒量…(笑)」

井ノ原「デビューしたてのアイドルが(笑)」

長野「ビールの缶いっぱい転がってたもんなぁ。」

坂本「まずコンビニ探したもん、夜ねー。」

井ノ原「ねー、いっつもだから帰り道…6人で移動してたじゃん?車な。ワゴンボックスで」

三宅「だから坂本くんがこうなんか、厳しくカミセンのこととかをしつけするっていうかさ、礼儀のことだったりいろんなことを言って、まぁある意味悪役を買って出てくれるところがあって。やっぱこう...なんだろう、陰で『坂本くんちょっとムカつかない?』なんていうようなことを言うことによって、ここ(カミセン)が仲良くなるっていう…」

坂本「なんだなんだ?いい話に行くのかなぁと思ったらただの陰で悪口を言うだけだったっていう報告じゃねーかよ!(笑)」

(「V6 Next Generation」/2015年5月30日放送)

 

ストレスをお酒で発散するリーダー(24)とは。

 

あえて悪役を買ってでも正しい道を説いてくれる人存在は尊い。大抵それに気づくのは、その時を通り過ぎたあとだ。

その「あえて悪役になる」人が見ているのは、相手の「今」ではなくて「未来」。

 

嫌われるのは誰だってイヤだ。

だからこそ嫌われないように振る舞うし、思ったことがあってもはっきりとは言わない。「なんとなく『今』をこなしてやり過ごせればそれでいい」という流れは誰の近くにもある。

でも本当は、厳しくしてくれる人ほど一生懸命その人のことを考えてくれていたりする。

 

V6はグループが結成された直後にはもうデビューしていた。

年齢もバラバラ、キャリアもバラバラ。

当然性格もバラバラで、考えられる範囲だってバラバラだ。

たとえば、24歳が考えに考えてたどり着く答えと14歳がいっしょうけんめい考えてたどり着ける答えには差が出るだろう。

 

そんな状況でリーダーをやるとなればとりあえずやらなくてはいけないのは「メンバーをまとめる」こと。

ぎゅっと団結し、進むべき方向を指し示し、先頭を歩くこと。

 

三宅

今、思えば、デビュー当時は本当に大変だったと思う。言うことを聞かない子どもたち(カミセン)の面倒を見させられて。前半は、ライブを作るにも、坂本くんが中心となってやってくれていたし。坂本くんがちゃんと説明してくれてるのに、聞きもしないで、人の話を聞いてんだか、聞いてないんだかわからないような人たちをまとめなきゃいけないわけだったから。本当に大変だったと思います。

(2015ツアーパンフ)

 

先に引用した内容にあった、坂本さんの言うところの「自分の肩にのっていた重いもの」。

それはリーダーとしての責任であり、グループを引っ張っていかなければいけない、失敗すればグループ自体がダメになってしまうという危機感。

 

「なんとかしなきゃ!」と思っていましたね。ですが、今振り返ってみると、何をしようとしていたのか、何がしたかったのか…、当時の自分にはこうしたいという形が全然見えてなかったから、「あなたがリーダーですよ」と言われて、漠然と「ちゃんとしなきゃ!」と焦っていて、あたふたするばかりで何もできていなかったんだろうなと思います。あいさつや”遅刻しない”などの時間厳守、インタビューの受け答え、与えられたセリフはしっかり覚える…というような当たり前のことをメンバーに対して言っていただけで、それが押し付けになってしまったこともありました。反発も相当あった気がしますが、こっちも必死だったので、細かいことは覚えていません。たまに昔の振り返り映像とかを見ると、当時のカミセンは、その”当たり前のこと”が100%できていませんでしたけどね(笑)。

(2015ツアーパンフ) 

 

「"当たり前のこと"が100%できていない」…というのはどういう状態なのだろう?と漠然と感じていたのだが、 「当時のカミセンは本当に自由奔放でね。眠かったら寝る、腹減ったら食うっていう感じだったの(笑)。(ポポロ/2000年1月号)」という言葉を発見し、ああなるほど、と理解した。

三宅さんの話でいうと「ちゃんと説明してくれてるのに、聞きもしないで、人の話を聞いてんだか、聞いてないんだかわからないような人たち」

そのあたりを要約すると「眠い時に寝て、お腹が減ったら食べ、人の話を聞いてんだか聞いてないんだかわからない」のが結成当時のComing Centuryである。

21世紀が不安になる。

 

 

教えたことと教えられたこと

そんなヤングチームComing Centuryの3人と、デビュー当時はただアダルトチームと称されていて後に20th Centuryと名付けられることになった3人は順調に活動を続けていく。

そして4年目を迎えた1999年、坂本さんはカミセンに向けてこんな手紙を書いている。

Coming Centuryへ

V6がデビューして4年目。それまでいろんな事があったと思います。

初めてカミセンに会った時の印象は「こいつら、ちっちぇー」でした。

当時は挨拶もしない、朝は遅刻、ドラマの台詞は覚えてこない。

その度に3人を呼んでいろいろ話したりもした。多分3人は「口うるさい奴だな。」と感じていたと思います。

でも、ある日岡田と健からの相談の電話があった時、ものすごく嬉しかった。

 

こんなに頼りない俺をリーダーとして認めてくれた事が。

(「おしゃれカンケイ」/1999年6月27日)

途中なのだがここで一旦区切る。

この際に坂本さんが触れた「相談」について、おそらく同じ内容のことが三宅さん側からの目線だとこういったふうに語られている。

三宅

僕は基本的に悩みとか人に相談しないんだけど、前にすごく悩んだときに、坂本君に電話して相談したことがある。それが坂本君と僕のいちばんの思い出。仕事では、コンサートのことにしてもなんでも坂本君がいちばん主になってやってるんだよね。何事もいちばん考えてくれてる人。昔から、メンバーの中でいちばん V6のことを考えてくれてるのが坂本君だよね。だから、僕たちもそういう部分にもっともっと参加して坂本君をラクにしてあげたいなって思う。

(ポポロ/2000年1月号)

これはデビュー4周年・活動5年目にさしかかった頃の言葉だ。

いまでこそV6の活動の方向性について重要な部分を担っているのは三宅さんなのでは、と思ってしまう瞬間は多い。

でもデビューした頃、がむしゃらにグループをどうにかしようとしていたのは坂本さんだった。最年長だから、リーダーだからといろんなものを必要以上に背負いこんで。

 

デビューから数年は基本的な礼儀の部分にはじまって仕事への姿勢、メンバーが集まる場では仕切り、コンサートの構成を作るにも率先していて、当初は公演中のMCに関しても回し役は坂本さんだった。

 

私は2000年からV6ファンになったが、坂本さんといえばやっぱり「リーダー」で「仕切り役」というイメージが強い。きっと番組やラジオで何かと進行する位置にいた姿を見た結果だろう。

 

岡田さんは1997年12月に上演された舞台「MASK」 で坂本さん・井ノ原さんと共演したのだが、こんなエピソードがある。

岡田

(リーダーから怒られたエピソードから)

舞台『MASK』を坂本くん、イノッチと3人で一緒に出たときも、僕が熱を出してしまって舞台上で元気に振る舞えなかったことがあって…。そのとき、言われたんです。「熱があるとか具合が悪いとかは、関係ない」って。ジャニーズの教えというか、「たとえば骨折していても、してるように見せてしまうのはダメだ」って。お客さんには関係ないことを見せちゃいけない。自分の代わりはいないんだから、何がなんでもやらなくちゃいけない、みたいなことは言われていました。

(2015ツアーパンフ) 

坂本

岡田が発熱してMCで一言もしゃべらなかった日、終演後オレと井ノ原で厳しく説教したことがあった。お客さんはお前を心配しに来てんじゃない、楽しみに来てるんだ…と。それを見たJr.が、なんで中学生に大人が怒ってるの!?って感じでビビってたっけ。 

20th century 10―Toni‐ten (ぴあMOOK)/2005年7月10日発行)

ひとつツッコませていただくならば97年当時の岡田さんは高校生なのだがそれはさておいて、やっぱり率先して正論を説いて怒るその様はしっかり「リーダー」をしていた。

 

1998年、「うたばん」の中で森田さんは坂本さんにこんな手紙を綴っている。

坂本くんへ

坂本くんも、忘れてはないと思う。

V6結成一周年のあの日。俺はマネージャーからの連絡を家でまっていて遅刻。寝坊したわけじゃないのに、スタッフに叱られた。

ふてくされて「うるせえな」って言い返したらその途端、坂本くんが俺の髪をわしづかみにして「なんだその態度は!」って怒鳴ったよね。

恥ずかしいけど、そのとき俺はみんなの前で泣いた。

坂本くんまでがわかってくれないのかってそれがくやしかった。


でも今は思う。わかってなかったのは俺だった。

人に迷惑をかけた以上、素直に謝るべきだったって。それを坂本くんは言おうとしたんだって。

 

俺、坂本くんを煙たそうにしてたけど、本当はすごく頼りにしてた。

みんながふざけてるとき坂本くんが部屋の隅で頭をかかえてたのを何度も見た。

坂本くんは誰よりもホントにV6のことを考えていたと思う。

坂本くんはいつも人の長所を見抜いて「あいつはすごい」とか言うけど人を「すごい」って素直に言える坂本くんのほうがすごいよ。

27歳になったとき、坂本くんのようになれたらいいなと思う。

俺達にはたくさんやることがあるから、まだ今は「ありがとう」なんて言いたくない。
  
これからもよろしく頼むよ。  森田剛

(「うたばん」/1998年11月3日)

 

坂本さんからカミセンへの手紙の続きに戻るが、そこでもこの話については触れられている。 

でも剛とは上手くコミュニケーションがとれず、デビューして1年半程ほとんど会話もしないまま、ある事があって、剛を怒鳴ってしまった。

その時剛は涙をためて俺を本気で睨んだ。

でも、初めて俺に対して剛が本気になってくれた事が嬉しかった。

それ以来井ノ原、長野がいいパイプ役となって、とてもあったかいグループV6が出来たと思っています。

これからがスタートです。

V6・カミセン・そして個人としてお互い大きくなっていきましょう。

それからドラマ「新・俺たちの旅」頑張って下さい。

V6のルール『楽しもう』。

これを忘れないで頑張って下さい。  坂本昌行

(「おしゃれカンケイ」/1999年6月27日)

 

そもそも坂本さんの中でかっこいい男性像というのは「不言実行」の男であり、言葉で伝えるのではなく、「自分の姿勢をもって伝えること」にかっこよさを感じているタイプだ。

かっこいい男は背中で語る、ということなのだろう。 

まあ端的に言うとその「不言実行」のかっこよさを教えたのは、度々トニセンのラジオでもネタに上がっている坂本さんの父「トモジ」さんだ。

岡田

今でもあの人が文句や弱音を吐かない限り、俺なんかがうだうだ言えないってのはある。

(MYOJO/2001年12月号)

森田

コンサートの時期とかになって、なんとなく悩んだりしてる後ろ姿を見ると、やっぱりV6のこととか、リーダーとしていろいろと考えてくれてるんだなっていうのをすご~くすご~く感じます。

あるとき、俺にできることはないかなあと思って、じっと坂本君を観察してたんだけど、俺にはやっぱりまだまだです。でも、 最近の坂本君は前よりずっとよく笑うようになったと思う。そんな坂本君の笑顔が見られるのは、すごく嬉しいなって思う。

(ポポロ/2000年1月号)

この頃坂本さんはまだ28歳なのだが、すでにメンバーから「デビュー当時より若返った」と言われていた。

カミセンとも対等に喋るようになっていて、坂本さん本人が語る「V6になる前となってからの自分でいちばん変わったと思うところ」を「"笑う"ようになったこと」と答えている。

 

坂本さんがカミセンに教えたことはいろいろとある。

でもその中で、カミセンから坂本さんが教わったこともある。

坂本

うちらが6人いっしょにいるときは、ほんわかした雰囲気あると思わない?でも、そういう雰囲気を作ってくれたのはカミセンなんだよね。ある意味、俺はそれまで型にはまってたんだと思う。そういう既成概念みたいなものを良い意味で徐々に壊してくれたのがカミセンだった。そのおかげで上下関係もなくなっていったしね。

(ポポロ/2000年1月号)

 

ラジオの中で「自分を変えたい」という内容のおたよりについてトークをした際にはこんなことを言っていた。

坂本「はじめは、デビューした時は一生懸命まとめようと思ったけど『まとまるわけないんだ』って思ったね。」

長野「うんうん」

井ノ原「あー、そっか。じゃあ『なんでお前たちまとまってくれないんだ』って思ったこともあったけど」

坂本「うん。まとめることがまず無理だと。」

井ノ原「あーなるほどね。」

坂本「まとめるんじゃなくて、聞けばいいんだって。」

井ノ原「例えばどういう」

坂本「いろんな意見を聞くっていうこと」

井ノ原「ああ、『どうしたいの?』とか言って。確かにリーダーいろいろ聞いてくれるもんね。」

坂本「"みんなの100"はできないけど、"V6としての100"は近くなるんじゃないかな、と思って。」

井ノ原「それすごいなあと思うのは、やっぱり6人中一人でもなんでこんなことしなきゃいけないんだろうと思いながらやってるとうまくいかないから、できるだけいろんな人の意見聞いて、まあなんとなく『ここは我慢してね、でもこれはやるから』みたいな感じでまとめとくと、みんななんとなくこう、楽しくできるもんね。」

坂本「はじめコンサートなんてさあ、がっつり作ってたじゃない。だけどほら、みんな意見持ち始めるとやっぱねえ。操縦不能な状態に陥る可能性があるじゃない?」

井ノ原「あー、そうだねえ。」

坂本「だからそれをピックアップして一つにしてあげる、するっていうのが …うん。まあそれは勉強になったんじゃないかな。」

井ノ原「それもだから言っちゃえば自分を変えたわけだよね、リーダーがね。」

坂本「まあ"教えてもらった"だね、それは。

(「V6 Next Generation」/2014年6月7日放送)

 

年齢もバラバラ、キャリアもバラバラ、価値観もバラバラの中で、V6はだんだんと今のかたちをつくっていった。

 

  

30歳のアイドルは"なし"だと思っていた

メンバーの中でも特に坂本さんは「"30歳"を迎えること」に重きを置いていたように見えた私は、このブログをはじめた頃にこんな記事を書いた。

 

坂本

“30歳のアイドル”って、僕の中で”ありかなしか”って言ったら、昔は”なし”だったんですね。でも、それを逆手にとって「30のアイドルってことを楽しんじゃったら、面白いかもしれないな」って、ふと思ったんです。自分から「僕、30です!」と笑ってしまったほうが普通に自分も周りも楽しめるんじゃないかな、 と。吹っ切れたというか、まぁ、一種の開き直りですよ(笑)。そうしたら、今まで自分の中で凝り固まっていたものがウソみたいに溶けて、肩の荷が下りたと いうか、気持ちが楽になりました。”アイドルはずっとアイドルらしくしていなきゃいけないんだ”みたいな固定観念を取っ払ったら、無理せず、自分の歩幅で 歩けるようになったんです。

(2015ツアーパンフ)

 

この頃の坂本さんの「アイドル観」は、当時のアイドル事情とも重なる。

当時V6より先輩で新曲をリリースしながら精力的に活動していた、言ってみれば「歌って踊る」ジャニーズグループはSMAPくらいだ。

 

坂本さんが体感してきた時代の中で、30歳のアイドルは"なし"だった。

 

坂本さんがこの"30歳"という微妙な年齢に差し掛かるタイミングで、V6は節目である5周年、さらにはグループ名に「6」がついているため少し特別感のあった6周年を迎える。

 

「俺、30になっちゃいました!」と、自己紹介中に年齢を堂々とネタにしながら晴れやかな表情をしているところを目の当たりにしたのが、私にとっては初めてV6を生で見たコンサートだった。

 

中学生の私の目に映る坂本さんの姿は「理想の大人」そのものだった。

アイドルからそれを教わるのもいかがなものなのかと思ってしまうが、とにかくもう「大人」で「かっこいい」。

 

15歳の私の中ではどうもその「大人でかっこいい」ことを総じて「シブい」という言葉で表現していたようである。

当時の痛々しい日記を読み返すと、坂本さんに関しては何度も何度も「シブい」と言っている。

いろいろと間違った場面でも全体的に感想としてはとりあえず「シブい」と書かれている。

思わず「いやそれはシブいとは言わない…」と顔をしかめたくなる。中学生の私の言葉の知らなさよ。それからすればずいぶんと言葉を覚えたものだ。

  

 

「楽しもう」というルール 

V6には「楽しもう」というルールがある。

これはデビューイベントの際にリーダーである坂本さんがメンバーを鼓舞するべく言った「お客さんが1人とか2人でも関係ない、楽しもう」という内容の言葉からはじまっている。

が、それももう笑い話になっている。

その時坂本さん自身がすでにいっぱいいっぱいで、震えていた。その様子を見たメンバーは「この人がいちばん楽しめていない」と思った。

 

この時代の坂本さんは、肩に力が入りまくってガッチガチだった。

坂本

「ファーストコンサートの前なんか、 1週間くらいほとんど寝なかったり。そっか、人間、寝なくても大丈夫なんだって思ったもん。眠れないとかじゃないんだよ。深夜に帰って、コンサートのこと、もっとおもしろくできないかなとか考えてるうちに、気づくと朝になってる。あっ、シャワー浴びて出かけなくちゃ、みたいな。 でも、今、あのコンサート当日のことは、なぜか全然思い出せないの。」

(MYOJO/2001年12月号)

ずっとコンサートのことばかり考えていたからか、少ない睡眠時間の中でも寝言で「ねぇ、次の曲はさあ…」 と言っていたらしい。コンサート直後の雑誌では「満足度は25%くらい」と言っていた。

 

そんな時代からずっと「楽しもう」と言っていて、それはV6としてのルールになった。

 

 

2003年。

坂本さんが30歳を迎えてから2年が経ち、この年の夏のコンサートは、いつもと違った大胆な試みに挑戦した。

 

東京、いまやV6にとっては「聖地」と称されるほどになった代々木第一体育館。

全国は回らずにこの会場のみを使い、2週間に渡って連日コンサートが開催された。

LOVE&LIFE~V6 SUMMER SPECIAL DREAM LIVE 2003~(通常版) [DVD]

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Vプログラム・VVプログラムという違ったコンセプトの2種類のコンサートをつくり、チケットも2公演分で1セット。

2パターンのステージを連日繰り広げる、期間中の負担はもちろんだがその準備もかなり大変だったようだ。

最終日には2つのプログラムが組み合わさったVVVプログラムまで実施した。 

 

2004年。

この年も引き続きこの形式が採用された。

「OSAKA DREAM」「TOKYO DREAM」が前夜祭あつかいで行われ、その後に代々木で「SUMMER DREAM」としてVプログラムとVVプログラムが行われた。もうなにがなんだか。

とりあえずめっちゃDREAMって言うやん…と思っていた。

前年のコンサートのテーマは「LOVE」と「LIFE」。使ってくるワードがどれもキラキラしていて眩しすぎる。

 

2005年。

10周年を迎えたV6は「学校へ行こう!MAX」の企画で北海道を旅した。

ラストではキャンプファイヤーをしながら、それぞれがお互いに向けてスピーチをする。

 

坂本さんのスピーチには、2003年はじめて2パターンのコンサートを同時に作らなければいけなかった時の話があった。 

ちょっとカメラとか関係なくて、ちょっと…言いたい事があります。

10年前のこの時期にV6の話があって、その時に事務所から「坂本がリーダーで、V6をこれから引っ張って頑張っていって下さい」っていう言葉をもらった時に、正直すっごい悩みました。

リーダーをやるかやらないかじゃなくて、リーダーをやるか、リーダーをやめて事務所を辞めるか。

なんでそこまで悩んたか、というと自分がそういう器じゃないのが分かっていて、もし俺がリーダーになってメンバーに迷惑かけると同時に、自分が壊れていくんじゃないかっていうのが、すごく不安に思ってて。

色んなことに関して謝んなきゃいけないこともあります。

まずカミセンにガミガミ言ったこと。

そん時、剛とかよく衝突したけど。

あれで分かった事もあったし、逆にそれをね、フォローしてくれた井ノ原、長野にも本当に感謝しているし。

あと、ちょっと飛んじゃうけど2年前。

2つコンサートを作るっていう時にかなりのプレッシャーがあって……

坂本さんの目には涙が浮かび、ここで少し沈黙してしまう。

ごめん、と短い言葉を挟んでさらにこう続く。

コンサートの演出のタイムリミットが近付いている時に、リーダーという立場だったんで、色々悩んでいる時に、井ノ原が俺んとこに来て

「坂本くん何勝手に背負ってるんだよ」

っていう一言聞いて、俺もかなりテンパってたんでその時に井ノ原に

「お前らこそ何笑って遊んでんだよ!」

っていう…みんなの気持ちを分からず勝手に俺が突っ走ってて、そのイライラを逆に皆にぶつけてしまった事を本当に今、後悔しています。

一番先頭に立って「みんな楽しもうぜ」って言っている俺が、楽しんでいなかったなぁって思うと、メンバーに…申し訳ない気持ちしかなくて。だけどその分、メンバーが責任をもって、色んな壁を乗り越えられる力が生まれてきたんじゃないかな、と思っています。

11年目のスタートと思って、岡田、健、剛、井ノ原、長野。

これからは俺も楽しむんでV6のルール、これからもずっと一緒に楽しみましょう!

これからもよろしくお願いします。

(「学校へ行こう!MAX」/2005年11月1日放送)

感極まって思わず泣いてしまったリーダー。

これもいまやメンバー間ではネタの1つになっている。

が、そこには確かに神妙な面持ちで言葉の1つ1つをしっかりと受け止めるメンバーたちがいた。

大感動のシーンもいまや笑い話。ここがV6のおそろしいところだ。

 

 

リーダーらしさって何なんだろう?

結局のところ「リーダーらしさ」とは何なんだろう。

どういった人がリーダーに向いていて、リーダーとはどうあるべきなのだろう。

向いてないんです。テンパって、一人で一生懸命突っ走って、空回りしちゃって、そのうち自分が壊れちゃうのがわかっていました。V6のリーダーも案の定…でしたよね(笑)。自分が一番前を走っていると思ってパッと振り向いたら、後ろにいたはずのメンバーが誰もいない。「あれ?」と思って前を見たら「なんだ、みんな、ずいぶん先行っちゃってるな~」って(笑)。ほかの5人は、それぞれ自分のやりたいことをしっかり見据えて、ちゃんと自分の歩幅でずんずん進んでいました。いつの間にか僕1人だけが取り残されていた。焦りましたね。

(2015ツアーパンフ)

気付いたらみんな自分より前にいた、そんなふうに感じた時の坂本さんを想像するとなんとも寂しい気持ちになる。

ぽつん、と取り残されて本当に1人で立ち尽くしているようなこの表現はあまりにも切ない。

ただ見方を変えればそれは脇目も振らずにただ一生懸命で、まわりが見えないくらいに必死になっていたことのあらわれでもある。

 

長い長い20年以上の月日をV6として過ごしてきて、坂本さんはこんな風に言う。

ただ、今あらためて「リーダーとして何をしてきましたか?」と問われると、「俺、何をやったんだっけ?」となりますね。結局、本当に何もしていなかったんじゃないかな。

(2015ツアーパンフ)

ほんわかした空気をつくってくれたのはカミセンだ、と言う。

至らないところをフォローしてくれた長野さん、井ノ原さんに感謝している、と言う。

そして、自分はリーダーに向いていない、と言う。

 

なんでも周りのおかげにしてしまうけれど、いつもそれぞれとしっかり向き合いながら先頭を切って進んできた坂本さんは間違いなく「リーダー」に価する。

 

リーダーに必要な才能はきっと、道を間違わずに自信満々に人を引っ張っていくという部分ではなくて、いかに人を思いやれるか

坂本さんを見ていて私はそんなふうに感じるし、はじめからその才能は持っていたんじゃないかな、と思う。

私はそんなリーダーに憧れる。

 

人を思いやるからこそ信頼される。

結局のところ、「どれだけメンバーから愛されるか」が一番わかりやすいリーダーとしての評価だ。

長野

なんだかんだ言ってもやっぱり6人を引っ張ってる存在。「リーダーっていっても何もやってない」って本人は言うけど、俺たちから見たらぜんぜんそんなことなくて。しめるところはちゃんとしめてるし、やっぱり俺たちのリーダーは坂本君だよ。

(ポポロ/2000年1月号)

井ノ原

でも、あらためて坂本くんがリーダーでいてくれて、本当によかった!って痛感しています。今、こういうV6になったのも、坂本くんがリーダーだったからこそ!

(2015ツアーパンフ) 

道の示し方は器用とはいえなかったかもしれない。

でも私は、器用なリーダーではなく不器用なリーダーがつくってきたV6が好きだ。

そういう道のりで来たからこそ今のV6があって、決してスマートとはいえない、ラクはしないでまとまってきたからこそ手作りのあたたかみのようなものを感じる。

それは坂本さんがリーダーだったからこそで、よくよく考えてみると「ああこれって元々は坂本くんがつくった流れだったんだな」というものがいくつもある。

 

奇妙とも言えるあの頃の関係性は、時間が経ったからこそ後になって見えてくるものもある。

でもそれは結局「大変だったろうなあ」と慮るしかできなくて、その苦労は体感した本人にしかわからない。

けれど、わからないからこそわかりたいと思う。想像する、理解しようとする。

そこにはきっと意味がある。

井ノ原

「僕は一生をかけて坂本くんの気持ちをわからなきゃいけないなぁ」って思うくらいV6で一番苦労している人なので、感謝を込めて、これからは好きなことをやらせてあげたいです。

(2015ツアーパンフ) 

 

V6の歴史において、すべては笑い話になってゆく。

彼らは昔話をどんどん盛ってしまうし、懐古して楽しそうに笑う。

ついでに言うと同じ話を何度もする。そして毎回爆笑する。

言えば言うほどネタとして仕上がっていき、どんどん小噺のようになっていく。

 

見ているこちらはもうどこまで本気で受け止めていいのやら。

こうなるともう、おそらく30周年を迎える頃には20周年のあれこれも笑い話になっているような気がする。

 

 

 

 

ところで、私は坂本さんがセンターに陣取っていたり、ソロパートを歌っていてカメラに抜かれるとなんとも言えない嬉しい気持ちになる。

異様にテンションが上がってしまうのだ。簡単に言うとときめく。

 

それは他のメンバーに抱く感情とはまた少し違ったもので、これは一体どこから来ているものなのだろう?と考える。

思うに、どうやら私は坂本さんに対して「リーダー手当」的なものを乗っけてしまっている、という表現するのがいちばん近いのかもしれない。

 

重ねてきた苦労に、しかもそれが「だれか」に対して一生懸命なあまりに背負ったものだったことに、どうしても1つ乗せて見てしまうのだ。なんともいえない、やりようのないたまらない感情を。

 

近頃よく見かけるのは肩に力の入っていない飄々とした表情。

 

グループの代表としてだれかが話す場面は井ノ原さんが率先することも多くなった。

代表役となるメンバーのそばで、言葉は発さなくても「ん」と口を結んで度々うなずきながら聞く。そんな坂本さんの表情も、私がひそかに好きな表情だ。

 

4周年の頃にはすでに「V6になる前より"笑う"ようになった」と言っていた。

でも今はその頃よりもっと"笑う"ようになった。

メンバーとももっともっと近い距離感、やわらかい雰囲気をまといながら"笑いあう"ようになった。

 

2016年、私はそんなV6を見てニヤニヤする。

そこに流れる自然な空気感を見て勝手に嬉しくなっている。

 

先月発売になった「Beautiful World」は、そんな「たどりついた今」の平和な世界観に満ちてキラキラした楽曲だった。

デビューから数年経った頃にはすでに仲の良さはあった。

でもきっと、昔のV6にはここまでの平和さは醸し出せなかったような気がする。

 

 

2000年の記事で、こんな文章を発見した。 

坂本

V6の理想?う~ん、俺たちがそこにいるだけで、ほわ~んとあったかい雰囲気が出てくるようなグループになりたいね。「なんかいいよね、このグループ」って言われるようになりたい。俺らが勝手に騒いだり笑ったりしてるのを見て、視聴者もなんかニヤついちゃうような。そういうのは作ることはできないでしょう。作るのではなくて、そういうものが出せるグループになれればいいよね。

(ポポロ/2000年1月号) 

 

なーんだ、結局リーダーが思っていた理想通りのグループになっているんじゃないか。 

 

作るのではなく、ただそこにいるだけであったかい雰囲気を出せるような、そんなグループ。結局手のひらで踊らされたような気がしてしまうが、ここはもういっそ盛大に踊っておきたい。

だからあえてこう言わせていただく。

 

「なんかいいよね、このグループ」。

 

 

やっぱり、「今」は「過去」の延長線上にある。

 

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コンサートスタッフさんに気になるアレコレを質問してみた

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先日コンサートスタッフさんのお仕事についての記事を書いた。

その後ブログ内で言及させていただいた記事を書かれたぴぴボーダーさん(id:rrpp)からご連絡をいただき、今回ありがたくもお仕事について質問する機会をいただいた。

 

記事について、またぴぴボーダーさんについては前回も貼らせていただいたこちら参照。

 

前回の記事を書く際にもスタッフさんについていろいろと調べたのだが、その中でさらに気になったこともあった。

答えが見つからないものも当然あったわけで、「聞けば答えてくれる」という今回の機会がもうどれほど貴重なことか。ご厚意に甘えさせていただき、ど素人目線からコンサートスタッフさんのお仕事について質問させていただいた。

まぁまぁアホっぽい質問もあるが、そのあたりは残念な人だな…と思って生暖かく見ていただきたい。

自分でもあらためて読み返してみて、「これはなかなか馬鹿馬鹿しいことを聞いているなあ…」と質問のつたなさにガックリきた。

 

お答えいただいたぴぴボーダーさんの懐の深さに注目である。

  

 目次

 

 

アルバイトのスタッフさんは何人? 男女比は?

まずはお仕事内容に関する素朴な疑問シリーズ。

インターネットでスタッフさんについて調べると真っ先に出てくるのが、こういった「コンサートのアルバイトをしたいけどどんな仕事なの?」というものである。

 

Q.コンサートスタッフのアルバイトさんは何人くらいいらっしゃるのでしょうか?(連日公演がある場合は数日間通して同じスタッフさんなのでしょうか?) 

コンサートスタッフのアルバイトの人数は、会場の大きさやアーティストの方によってバラバラです。

ですが、チケットもぎりは何人、警備は何人、荷物チェックは何人と全て細かく決まってあるので、必要なアルバイトの人数を募集しているというかんじです。

なので仕事が余るという方はいません。

前の記事にも書きましたが、コンサートをするにあたって人件費が1番費用がかかってしまうと専属のスタッフの方がおっしゃっていました。なので、きっちり必要な人数を考えてアルバイトを募集していると思います。

それから男女比ですが、圧倒的に男性が多いです。やはりコンサートの解体作業はほとんど男性がするので仕方がないのかなとは思います。特にジャニーズのアルバイトは女性が少ない気がします!連日公演の場合は、通しでアルバイトに出てくださいと言われます。なので、連日出れる人から決まっていくというような形です。

人気のアーティストだとすぐ埋まってしまいます!

 

 

拘束時間とタイムスケジュールについて

Q.1回のバイトで拘束時間はどれくらいでしょうか? タイムスケジュールは?

私の場合の拘束時間は、かなりの長さです。

開場の5〜8時間前くらいに集められます。そこから説明を聞くのですが、その説明が終わったら待機時間なので、1人でアルバイトに参加している方は本当に暇な時間だと思います(笑)

タイムスケジュール的には、集合時間に集まる⇒コンサートの基本的な説明、各スタッフからの説明を聞く⇒待機時間⇒各仕事につく⇒休憩⇒また次の仕事につくというようなかんじです。すごいざっくりですがこのような流れです。

1日がかりのお仕事だ。

 

公演日の何日前に仕事に入ることが決まる? 

Q.コンサート当日の何日前くらいにバイトに入ることが決まるのでしょうか?

基本的に自らアルバイトに応募する際は、1ヵ月~2週間前くらいです。

 

仕事内容の振り分けはいつ決まる?

Q.どの仕事を振り分けられるかは当日その場で決まるのでしょうか?

仕事は当日に振り分けられます!

 

身だしなみについては厳しい?

この質問させていただいた理由はというと、インターネット上で「スタッフは控えめな格好をしてファンから目をつけられないようにしなければいけない(特にジャニーズの物販スタッフ)」というような話を見かけたからである。

えっそんなしきたりあったん…と純粋に疑問を抱いたので、これについても質問させていただいた。

言われてみれば確かに、素朴な方が多いような気がしなくもない。少なくともヤンキーには全力でビビっていくスタイルの私が「おお…」とひるむようなタイプの方には出くわしたことがない。

 

Q.身だしなみなどの指定は厳しいのでしょうか?

身だしなみの指定はあります。

ですが、髪色が明るかったりスーツ指定なのにスーツを着てない方がいてもその場で怒られたりということはありません。ただ単に、お客さんの目に入る位置の仕事が振り当てられません。

やはりスタッフとしての仕事なので、身だしなみなどはきちんとしている方がいいですね(><)

なるほど、納得である。

 

 

私の中の「もぎりのお姉さん可愛い説」

Q.個人的に場内案内やもぎりのお姉さんは可愛い方が多いな〜と思っていてひそかに憧れているのですが(笑)、配置を振り分ける際にそういうところは影響するのでしょうか?

 

これはもう完全に私の主観による質問である。

スタッフさんがお客さんを見ているように私もスタッフさんを見る。

昔からこっそりと「もぎりのお姉さんって可愛い率高くない?」と思っていたのだ。これについても質問させていただいた。

可愛い方が多いですかね?(笑)そういう基準は多分ないと思いますが、チケットもぎりは女性が振り当てられているイメージですね。

すごくアホっぽい質問にお答えくださったぴぴボーダーさんの優しさ。

 

 

もぎってもらう側のテクニック「ミシン目で折る」 

私は「チケットの半券コレクター」を自称したいくらいにはチケットの半券が好きだ。半券フェチといってもいいかもしれない。 

コンサートやライブから帰宅して愛用のファイルに半券を収める作業が好きで、そこに半券をしまってようやくクリアしたというか「現場に行く」を達成したような気持ちになる。

 

ちなみに私は百均で買ったフォトアルバムを使って整理している。

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こんな感じである。時系列で収めると自分の足跡を見るようで楽しい。

 

で、そんな半券コレクターとしては「チケットをいかに綺麗にもぎってもらうか」は大事なことなのだ。

過去にもぎってもらったものを見ているとこんなものもある。

 

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どうしてこうなった。ミシン目の存在意義とは。

まったくミシン目をなぞっていないこの切り方は新しく、面白いので逆にこの状態で保管している。

この場合はまだいいが逆に手元に残る側をえぐられていたとしたら私は大変かなしい。

 

この「ミシン目ガン無視もぎり事件」の後しばらくして、友人から「ミシン目で一回折っておくと綺麗にもぎってもらえる」というアドバイスをもらった。

それ以降はもうずっと、長い間ミシン目で折ってきたのでもうクセになっている。

だがこれが果たして「もぎる側」、スタッフさんからはどう感じられるのか気になっていた。

果たして"折る"のは有効なのだろうか?

 

Q.「チケットの切り取り部分を一度折ってから広げておくとキレイにもぎってもらえるから折っておいたほうがいいよ!」と友人に教えられて以来毎回折っているのですが、どうなんでしょう?

また「チケットを切ってもらう際にこうしておいてもらえるとやりやすいよ〜」というようなテクニックなどありましたら教えてほしいです。

それは、そのとおりです(*˘˘*)

折り目がついているのと、ついていないのでは全く違うので折り目をつけてくれることは嬉しいことです。

テクニックとは違うかもしれませんが、チケットを何枚もつなげたままチケットを出す方がいるので、やはり1枚ずつ出してくれるとスムーズに進みます。

ということで、お墨付きをいただいた。

チケットは差し出す前にぜひミシン目で一度折っておきましょう。

 

さもなくば、

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こうなるから。

 

またチケットを連番で取っているとチケットがつながった状態で手元に来るので、くれぐれも1枚ずつ切り離してから半券をもぎってもらいましょう。

これはきっと郵送で届いたものを封筒に入れたまま管理するタイプの方なのではないだろうかと推測する。

 

 

紙チケットとデジタルチケット、どっちが楽?

最近増えつつある新しいシステム、デジタルチケット。

私はまだ2回しかこの形式のライブに出くわしたことがないのだが、今後増えて行くかもしれないこのシステムについても理解しておかなければいけないなぁと思う。

ぴぴボーダーさんが書かれたこの記事も興味深く読ませていただいた。

 

個人的には先ほども述べた通り「半券コレクター」なので紙チケットのほうが好きだ。

6月に行ったPerfumeのツアーでは、事前に届くのは「チケット引換券」という名目のものだった。

当日入り口でその引換券を係員の方に渡して記載されたコードを専用の機械で読み取ってもらう。すると座席が印刷されたレシートのようなものが発券されて、そこで初めて自分がどの座席か判明する。

ようするに事前に席がわかっていると転売につながるため、それを防止するための策だろう。

が、事前にどこの席かわからないということはドキドキ感も高まる。私のような小物からするととっても心臓に悪い

そして「レシート的なそれ」を新たにいただくよりはやっぱり「チケット」として1枚で保管しておきたいなあとチケットをファイルに収めながら思った。

 

そんなデジタルチケットと紙チケット、スタッフさん目線ではどちらがいいのか聞いてみた。

 

Q.スタッフさんから見て紙チケットとデジタルチケットどちらのほうが扱いやすいのでしょうか?

正直にいうと紙の方が楽です!

理由としてやはりデジタルチケットだと、チケットが出てくる機械の操作、エラーが出た時などいろいろな対応を覚えないといけないからです。

そして、初めてデジタルチケットを扱うとなるとテンパってしまう方も多いです。

慣れてしまうと楽ですが、事務所によっても扱う機械が違ったりと対応の仕方も違うので、会場の前に練習をさせられたりもあります(笑)

私たちにもまだまだ浸透しきっていないデジタルチケット、スタッフさんにとってもやはりまだ浸透しきってはいないのだ。

当たり前といえば当たり前なのだが、今回お答えいただいてそんな当たり前の部分に改めて気付いた。しかもひとくちに「デジタルチケット」と言うが、各機械によって操作や対応の仕方が違うとなるとなおさらである。

 

私自身先日デジタルチケットを使った際にも内心とまどいまくっていたが、もしかすると対応してくださる方もまだまだとまどいの範疇にいらっしゃるのかもしれない。

 

 

もぎる時に座席まで見ている?

ここからはど素人目線のくだらない素朴な疑問を2つほど。

聞いてはみたいもののあらためて聞くほどのものか?と思うような、しょ〜もない質問までぶつけさせていただいた。

Q.もぎる時に版面を見て「うわあ良い席!」なんて思ったりするのでしょうか?

人の流れにもよりますが、2日続けての公演や1日2公演などのときは日付・場所を間違えないように見ないといけないため、あまり席は見ていないのが本音です。

ですが、人の流れが少ないときなどは、席を見たりすることはあります。

あ!この人すごい良い席だ!と思うこともあります(^^)

MCで思わず笑っちゃうことってある?

Q.MC中に思わず笑ってしまう時はありますか?あまり笑っていると怒られるのでしょうか?

MC中に笑ってしまうことはあります!アーティストによっては、こんなこと話すんだ!MCおもしろい!など思います。私だけかもしれませんが(笑)

ですが、コンサート自体がっつり見ることはあまりよろしくないのでそっと笑ったりすることが大切ですね!(笑)

 

 

「密録」に関する話

以前、いわゆる「密録」していた方がスタッフさんに連れて行かれるのを真横で目撃したことがある。あの体験はなかなか衝撃的だった。

私がそれに出くわしたのはエイベックスが主宰するフェス「a-nation」で、まだメンバーが5人体制だった頃の東方神起の出番の時だった。

ステージではヒット曲の「Suviver」を彼らが歌っていて、その曲の最中にスタッフさんがやってきて私の隣席の方に声をかけた。

会話はよく聞き取れなかったがどうやら録画をしていたようで、そのまま連行されていった。

SuviverをBGMに連行される姿に動揺しつつも私は「ヤツこそ今この会場で一番のSuviverなのではないか」「マジでSuviverやん…」と、上手いんだか上手くないんだかよくわからないツッコミを心の中で炸裂させてしまった。 

 

ステージ上では東方神起が「誰もがSuviver」と歌っている。

マジや。

誰もがっていうかまず隣がSuviverや。

 

もうこうなってくると気になって仕方がない。

決して笑っていい場面ではないのだがもとより笑い上戸な私である、えらいものを見てしまった、という感情のあとにじわじわ押し寄せてきたのは「なにこの状況?」という笑いであった。

もちろんステージでは東方神起が歌って踊り続けている。「こんなリアルサバイバーに気を取られている場合ではない、ステージを見ろ!!」と自分を奮い立たせたものの、やはりヤツの残したインパクトは凄かった。

もちろんその後ヤツが席に戻ってくることはなかった。

 

この事件は「密録サバイバー事件」として、あくまで私の中だけだが稀に見る大事件として史上に残った。

こんなにかっこいい曲の途中で退席するとか本当にありえない。

 

ちなみにヤツがコトをしでかしていた時、私はまったくそんな素振りには気づかなかった。もう記憶もおぼろげだが、頭だか首だったかに大判のタオルをかけていてその中にブツを仕込んでいたようだった。

 

そんな事件に一度出くわしたことがあるので、これもどういう体制で取り締まっているのか気になっていたのだ。

 

Q.一度隣席の方がライブを違法に撮影していたらしく、途中でスタッフさんに連行されていったことがあったのですが、そういうものも見張り担当の方がいらっしゃるのでしょうか?またご自身がそういったところに出くわしたことはありますか?

見張りの仕事はあります。ですが、見張りをするのは主にアーティストにつく専属のスタッフさんです。かなり強面のスーツを着たおじさんが目を凝らしているイメージですね。

アルバイトがそのような仕事をするのはあまり無いかもしれません。

ですが、コンサート終了後に写真撮影止めてくださいというプラカードを持ってうろうろすることはあります。

1度ありました。韓国のアーティストのLIVEでしたが、コンサート中に専属のスタッフの方に連れ出されていました。盗撮していたようで、かなり怒られていましたよ。

まさかの「韓国アーティスト」という点で一致してしまい、とにかく驚いた。

なかなかコンサート・ライブ中にどんな方が客席を見張っているかを観察する余裕まではないので、とても興味深い回答である。

コンサートスタッフさんのやるべきお仕事はその空間を万全に進行するためのものであり、密録が世に出て困るのは所属事務所・所属レコード会社だ。

そう考えると確かにそこを取り締まるのが専属のスタッフさんであることもうなづける。

 

 

余った銀テープは捨てられる?

銀テープ事情についての質問もいくつか投げかけさせていただいた。

 

Q.「余った銀テープは処分される」とよく聞きますが、実際に余った銀テープは捨てられるのでしょうか?

余った銀テープは処分されます。

正直に言うと、銀テープが放出されて会場内に残っているものは終演後にはゴミ扱いになります。。。。なので、なんとも言えない気持ちになります(´・ ・`)

 

銀テープの量って一定?

Q.銀テープの量はどのアーティスト・どんな公演内容でも一定なのでしょうか?

アーティストによってバラバラです。

ですが、あるアーティストの方が最終公演に近く「落下物が余っているからいっぱい出しちゃった!」とアーティスト自体が話していることがありました。

そのときの落下物の量は異常でしたね(笑)

落下物の量についても気になっていたのだがやはり差があるとのこと。

余っているからいっぱい出しちゃった!というエピソードは可愛らしくてほっこりしてしまった。

きっと舞台裏でそのアーティストさんが専門スタッフさんと「今日は落下物余ってるのでいっぱい出しますんで!」というような会話をしたんだろうな、と想像すると楽しい。

 

スタッフさんの目から見て「異常」ということは相当な量だったのだろう。きっと対処が大変だったと思うのだが、ファン目線で考えるとどうしても「なにそれすごく楽しそう…!」とワクワクしてしまう。

 

 

事前に「ここのファンは危ない」などのお達しはある?

Q.事前に「このアーティストのファンは危ないから」というようなお達しなどはあるのでしょうか?

一応あります。バンドだとスタンディングなので、危ないファンがいる!とか!

そしてジャニーズのときも言われることはあります。

危ないというより、銀テープの対応や、席移動をする方がいないかをよく見ろとは言われます。。。

 

 

怖かったエピソード

Q.これは怖かった!というようなエピソードはありますか?

怖かったことは、たくさんありますね。(笑)

 

最近で言うとジャニーズのあるグループで、銀テープが出た際のことです。

比較的若いファンの方が多いせいか、銀テープが出た途端に席移動する人の多さ、スタッフに向かって走って来る人、注意をしても聞かない人、しまいには終演後に外周に落ちている銀テープを自撮り棒、傘で取る方などもいて、恐ろしいなと思いました、、、、

 

そのような行動をとることで、そのアイドルのイメージが本当に悪くなるということを自覚してほしいです。

 

自撮り棒はいつから「銀テープ取り棒」になったのか。

想像すると単純に相当危ないように思う。

 

外周というのはその言葉の通り、アリーナ規模以上の会場でスタンド席前をぐるりと囲むようにある花道・通路のことである。

スタンド席にぴったりくっついて設置されることもあれば少し空間が空いている場合もある。

空間がある場合、スタンド1列目から見るとよくわかるのだがとにかく危ない。

身を乗り出せば落ちる可能性があるのは一目瞭然で、怪我をするくらいには高さがある。

柵もついていないその外周を全力で走り抜けるアイドルたちってなんて怖いもの知らずなんだ…!というのが、実際に会場で設置されている外周・花道を見た時の感想だった。

そんな高さのあるところで自撮り棒や傘を使ってでも銀テープを拾おうとする方の様子を想像してみると、なかなかゾッとした。

 

もはやこうなってくると銀テープって一体なんなんだ?という気持ちになる。

銀テープがなんぼのもんじゃいというか、銀テープを得ることで私たちは何を得ているのだろう。

降ってきたらラッキー、降ってこなかったらハイ残念でした、そういうものではなかったのだろうか。果たして席移動してまで欲しいものだったろうか。

年々過熱する落ち物争奪戦の行き着く先とは一体どこなんだろう。

 

凝った銀テープを生み出すことがこんなモンスターを生み出すのであれば、最終的には昔は定番だった「印刷も何もない無機質なただの銀テープ」に戻されかねない気がしている。

 

アーティストによっては降ってきた銀テープをスタッフさんが配って行き渡らせてくれることもあるが、ぴぴボーダーさんの勤め先の場合だとジャニーズのコンサートの際にはそれが無いそうだ。

なぜジャニーズに限りそれが無いのか。

それはきっと、"やってくれない"のではなくて"できない"に近いのだろう。

マナー違反のツケはこういう部分で回ってくる。

 

そして銀テープがもらえない→マナー違反してでも取るしかない→マナー違反をする→係員が注意してもラチがあかない→銀テープを配ると収拾がつかないので配らない→銀テープがもらえない→マナー違反する→…の負のループだ。

さきほどの回答でも「会場残った銀テープはゴミ扱いになる」とあった。

となると「ゴミになるんだったら欲しい人にくれればいいじゃん!」と思われる方もいるかもしれない。が、この負のループがある限りそれは実現されないだろう。

またジャニーズのコンサートは花道が多いため、どうしても銀テープの一部がそこに残る。かといってそれをどうにかして行き渡らせられるほどのすべは現状では無い。

 

かなしいことに、ファンが取る行動は間接的にそのアイドル・アーティストの評価にもつながってしまう。

スタッフさん間で「あの人たちのファンっておそろしい」、そんな印象がつくのは残念でならない。

 

 

そんなかなしいエピソードで終わってしまうのはしのびないので、最後にほっこりするエピソードとお客として私たちができることについての質問を。

嬉しかったエピソード

Q.逆にこれは嬉しかった!というようなエピソードはありますか?

嬉しかったことも多くありますね(^^)

県外のお客さんで、初めて行くコンサート会場の方の席案内したときのことです。

私が案内をすると何度も「ありがとう!ありがとね!ここの場所最高ね!スタッフさんも!(笑)」と笑顔で言われました(笑)

席を案内する際にお客さんと話すことが多く、やはりありがとうと言われると嬉しいものです。

 

お客さん側からスタッフさんに配慮できることは?

Q.お客さんがコンサートに行く時に「こんなことをしてくれてると助かるなあ、嬉しいなあ」というような"お客さん側からスタッフさんに配慮できるようなこと"はありますか?

やはり終演後には、さっと会場外に出ていただくことですかね。

それから、開演ぎりぎりに来て慌てるよりは少し余裕をもって行動するほうがいいですね。

ぎりぎりに来て荷物チェックなどをするときに「早く!早くしてよ!」などを言う方もいるので、、、、(笑)

そして1日2公演などのときは、前半のお客さんを客出ししてすぐ後半のお客さんの会場準備をするので、トイレなどをすぐ閉め切ってしまうこともあります。

その時に「なんで使えないの!!!」と文句をいう方もいるので、それは考慮してほしいですね

コンサート・ライブを楽しむお客のひとりとして、どこのどなたが発したかわからないが暴言の数々を恥じる

お客だからといってどんなクレームをつけてもいいわけではない。

本人は必死なのかもしれないが、こうしてきちんと文章で読むと遅く来たのはご自身であるのに「早くしてよ!」は、正直かなり笑えてしまう。

いやいや、おいおい、周りからみると内心総ツッコミ&総ドン引きだろう。

遅れるのは自分の都合、しっかり荷物チェックをするのはスタッフさんにとって正当な業務の一環である。冷静な目から見るといかに自己中心的なクレーマーがおもしろおかしい愉快な人に見えてしまうのか、ということが簡単に想像できてしまう回答だった。

 

 

今回本当にたくさんの質問をさせていただいたにも関わらず1つ1つ丁寧に対応していただいたぴぴボーダーさんには本当に感謝するばかりである。

やはりお仕事の詳細事項についてSNS等にあげるのは固く禁止されているそうでそのあたりは上手くぼかしながら答えてくださったのだが、それでもど素人丸出しの私からすると本当に貴重なお話ばかりだった。

 

そもそも「スタッフさんは一体どんなふうに考えながらお仕事をしているんだろう?」という部分は私にとっては昔からの疑問だったので、今回いろんな考えが聞けたことで以前よりもぐっとスタッフさんを身近に感じられるようになった気がしている。

 

私たちが見に行くのは「コンサート・ライブ」だが、実際にはそのステージを見るまでの過程であったり、終演後の出来事がのちに自分の思い出の一部として大きく残ることも多い。「あのコンサートを見た日、そういえばこんなことがあったな」と思い出すことも多く、本当にささいなことが強く残ったりする。

「自分 対 アーティスト」の気分になり、「○○を見に行く」という気持ちでいっぱいになりがちで、ついついそこに至るまでのアレコレやそれが終わってからのアレコレはないがしろにしてしまう。

 

でもその部分で確実に、グッズを買ったり、チケットを切ってもらったり、座席へ案内してもらったりとスタッフさんにお世話になる機会は発生する。

コンサート直前・直後に気持ちが高ぶってしまうのは仕方がないとして、でもそんな時にほんの少し、お仕事をしている方に配慮ができるような大人でありたいなと思う。

 

 

お客としてできることは第一にマナーを守ることだ。

ステージ上のパフォーマンスを楽しむのはもちろんだが、自分だけでなくあの場全体の空気が良いものになるようなそんな姿勢で今後も臨みたい。

 

自分がよければなんでもいい、そんな姿勢でマナー違反をしでかす愉快な人が増えないことを願うばかりである。

 

 

「SMAPの解散」と「ジャニーズアイドルを好きでいること」を考える

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そのニュースは確かに夢現つの中にいたはずの私の耳にはっきりと聞こえてきた。

 

 

SMAPが2016年12月31日をもって、解散する。

 

 

私はそれを深夜1時台の、おそらくオリンピック中継の合間に挟まれたようなニュースで知った。

私は確かオリンピックを見ていたはずで、たぶん男性アナウンサーの声だった。正直読み上げられた細かな言い回しであったり内容についてはあまり覚えていない。

というのもお盆休み真っ只中、普段から寝落ち常習犯である私はこの日も寝落ちしてしまっていたからだ。

 

明日は休みだ仕事もない 早起きなんかしなくてもいい、休みの前日には自然とこのフレーズが頭に浮かぶ。ゴキゲンなナンバーの歌詞が自然に頭をよぎる時は当然、私自身がゴキゲンな時だ。つまりヒッピハッピシェイクな時である。いまだに意味はよくわかっていないが、つまりは単純にそういうきぶんなのである。

 

ゴキゲンな連休、オリンピックのメダルラッシュに沸く列島。

ああなんと楽しいお盆休みか。お盆休み最高。お盆休み一生続いてくれ。

 

そんなところへ飛び込んできたのがそのニュースだった。

 

 

 

 

意識はぼんやりしているようで、でもどこかはっきりもしていた。こんなことは生まれて初めてでおそらく今後忘れることはないだろう。ちょっとした不思議体験だ。

 

ああそうか、解散か…本当になってしまった…、と、思った。

 

テレビニュースで読み上げられる情報にはなぜあんなに決定打感があるのだろう。

いまやインターネット上で文字として第一報を知ることも多いが、「声」で知る情報の重さを垣間見た。いや、この場合は垣間"聞いた"が正しい。

 

起きているような寝ているような状態で聞く、アナウンサーの落ち着いた声で発される「SMAP」「解散」という言葉。

きっと私がしっかり起きていればもっと興奮した感情にもなったのだろう。ええ〜っ!?とか、マジで?!とか、第一に来るのは驚きであったはずだ。

おぼろげな中で聞いたその衝撃的なニュースで抱いた感覚は「あきらめ」のようなものだった。

 

ああ、だめだったのか。ああ、終わってしまうんだなぁ…。

 

大きな脱力感は果たして半分寝ていたせいなのか、今後の動向について気にかけてきた7ヶ月という期間がもたらしたものなのか。飛び起きて情報を調べる気にもなれず、ようやく起き上がって最初につぶやいたのがこれである。

後々知ったがどうやらニュース速報としてテロップも出たらしく驚いた。それほどまでにSMAPの解散は日本にとって大きなニュースだった。

 

前日すでにツイッターのトレンドにはSMAP解散にまつわるものが入っていた。

その情報源は多くの人が一度は踊らされたことがあるであろう某有名サイト。ガセネタも多く、「なんじゃそら!」と思う記事も多い。主にそういった意味でネットユーザーの中ではよく知られていて、情報源が"そこ"であると知るやいなや一気に信憑性が薄れるような、そんなサイトである。

 

過去にそのサイトで散々心を揺さぶられていた私はもう慣れてしまった、というよりもイチイチ揺さぶられるのを止めたのだ。

コトが起こってから混乱すればいいのだから信憑性にかける情報にはへえー、ふーん、くらいでいい。そもそも内心動揺しやすい人間なもので、そうでもしないとものすごく疲れてしまう。情報をなんでもかんでも鵜呑みにしないようにするのは自衛のためでもある。たまに失敗もするが。

 

今回もそんな心持ちで健やかにスルーしていた。

しかしコトは起こってしまった。

 

ああそうか、解散か…本当になってしまった…、と、思った。

この場合の「本当になってしまった」は「そのサイトの情報が」という意味で、ただそれだけである。それくらいに一時の危機は脱したのだと信じきっていた。

 

今年1月の解散騒動から約7ヶ月。

彼らの活動状況から判断するなら、あの騒動が尾を引き続けているのは明白だ。

「解散もしない!事務所にも残る!ハイこの話題はここで終了でーす、これまで通りやっていきましょー!」とはいかなかった。

 

いち視聴者、いち一般人である私には事務所やメンバーの感情までを把握するのは不可能である。ましてやファンだ!と胸を張って言える位置にすらいない私は、メンバーの何を語ることもふさわしくない。ネット上に氾濫するファンの声だけを拾って「彼らはこういう人なのだよ」と一丁前に語るのはあまりにも危険で、いろいろと読ませていただいてはいるものの何度も胸を熱くさせてはいるものの、ただそれだけにとどめていた。

 

かろうじて言えることがあるとしたら「流れとしては不穏なままだなぁ…」と思ったことくらいだ。 

1月の時点で「解散しない」ということが決まった。めでたく感じた。しかしその事実はあるものの雲ひとつないような晴れやかな気持ちにはなれずにいた。あの騒動が落とした暗い影を払拭しきれず、時々ちらつくその影をたしかに感じながら。

メンバー各々が抱く心情はどんなものなのだろう。テレビだからプロだから、それなりにはこなすだろう。でもその裏側は?

いつ語ってもらえるかもわからないその内情を慮りながら複雑に見守る、そんな7ヶ月間だった。

 

 

とにかく解散は決まった。

 

いや「決まってしまった」?

それとも、「どうやら決まったようである」?

 

結局のところ解散に至るまでの詳細をつなぎ合わせ、流れを説明してくれるのは公式ではなく、ニュースサイトやワイドショーしかないのが現状だ。

今日まででジャニーズ事務所、メンバーから発表されているのは以下の書面だけである。

お盆休みで、なおかつオリンピック期間中。

なんでもオリンピック中はスポーツ紙もそちらに紙面を割くため、芸能に関する報道はかすみやすいのだそうだ。オリンピックが始まる前に芸能リポーターが口々にそう語っていた。だからこの期間中は結婚発表するにはうってつけなのだ、と。

 

狙ったとしか思えないこのタイミングでその書面は各マスコミに届いた。

28年間の活動、そしてデビュー25周年を迎えようとしているグループの終わりが、たったこれだけの文章で告知された。

 

私はまだSMAPに対して「今までありがとう」と言えるほど心の整理がついていない。

あなたたちは後輩がそのあとに続ける道を作ってくださいましたありがとうございました、なんて言える心境ではない。

かといってその道が途中で途絶えてしまうことに対して、後続のグループも同じ道をたどるのだ、と悲観的になって絶望しているわけでもない。

…というより、簡単に「今起こっていること」をほかのグループに置き換えられるような境地にまだたどりつけていないのだ。

 

SMAPが終わる。

SMAPがなくなる。

中居正広が、木村拓哉が、稲垣吾郎が、草彅剛が、香取慎吾が、SMAPじゃなくなる。

 

ものごころがついた時には当たり前のように芸能界のトップにいた「SMAP」というアイドルグループが消滅する。その喪失感が大きすぎて、これがどこに影響を与えるだとか今後アイドル界はどうなるだとか、そこまで考えが及ばない。

 

だって「SMAP」がなくなるんだよ。

来年の私よ、SMAPがない世界ってどんな感じ?

8月17日の私はSMAPがある世界にいるんだけど、もそらもう不穏よ。こっから年末に向けてまだいろいろとあれじゃろ、なんか憶測とかいっぱい出てくるんじゃろ?で、納得のいく答えは聞けたのかね?真実は語られるのかね?どうなんだね?

 

12月31日の私は、SMAPがなくなる瞬間をカウントダウンしながら迎えるのだろう。

2017年あけましておめでとう!の瞬間は、SMAPがない世界のはじまりだ。 

それはある意味解放される瞬間で、失う瞬間で、何かを得る瞬間だ。

 

 

 

と、ここまで長々と書いてきたが私は「解散反対派」ではない

 

もちろん解散してほしくはない。でも、絶対に絶対に死んでも解散しないでくれ!一生続けてくれ!とすがりつくことはできない。

それがしっかりとメンバーが納得した上で迎える終焉なのであれば仕方がない。始まったものはいつか終わるのが世の常で納得せざるをえないし、納得しようがしまいが終わるものは終わってしまう。

 

私は 1月の解散報道の後、今回同様ただ漠然と思ったことをブログに書いた。その大きな出来事にどうしても触れずにはいられなかったからだ。 

 

そして、生放送での彼らの姿を見た後こうも書いた。

彼らはこれから窮地に立たされるかもしれない。

現時点でわかっていることはごく僅かだが、彼らが「SMAPであり続けること」を選んだのは確かだ。その意味を私たちはもっと噛み締めなければいけない気がしている。

 

果たしてそこに「心」はあるのだろうか。

 

入れ物だけあっても中身が、心がそこに無ければ意味がない。

それはもはや「存在しない」ことに近いのかもしれない。

 

「SMAP」という入れ物があったとする。

それがメンバーの心で成り立っていたとして、これから訪れる窮地はその入れ物を空にするかもしれない。

 

果たしてその時、その状態を私たちは「SMAP」として認識できるのだろうか。

空っぽのその存在を、国民的スターとして愛することができるのだろうか。

現状と妙にリンクして感じる部分もあり、ああ…とため息が出た。

7ヶ月前に自分が書いた文章に「入れ物は空になってしまったのかな?」と問いかけて、無性に悲しくなった。

 

でももし空っぽになってしまったのだとしたら、私はそれをイヤだイヤだとごねて無理矢理引き止めるような言葉もかけられない。もしそうなのだとしたら、本人の喪失感はどれほどのものなのだろう。想像を絶するものがそこにはあるのかもしれない。

 

少なくとも多くのファンの方の目に「グループとしての未来を夢見ている」ように映っていたはずのその心は、どこへ行ってしまったのだろう。

休止でもなく解散という結論を出してしまうほど追い詰められた国民的アイドルは、一体今何を思っているのだろう。

 

私は1月のSMAPの解散騒動が「彼らを取り巻く周囲の状況」から派生し起こった事態だと感じていた。だからこそその「外的要因」がもたらそうとしている結末に対して納得がいかず憤っていた。

 

しかし外的要因が発端だったとしても、それが内的要因につながることだってある。

 

7ヶ月間で何があったかは明らかになっていない。でも、解散を選ぶにあたり彼らに心の動きがあったのは確かだ。もし外的なものが内的な原因へとつながり意見が行き違っていったのだとしたら、こんなに悲しいことはない。

 

心がそこに無い、本人的にはあったとしてもファンから見て「無いのかな?」と思えてしまう活動を追い続け、応援し続けるのはなかなかしんどいものである。

いや本当に、本当にしんどいものである。

グループだったりユニットだったりバンドを見ていると度々出くわす問題で、モチベーションが低い状態を見続けるのはキツイ。だがこればっかりは本人の心の問題であるのでどうにもできない。見ているほうもしんどいが、おそらく本人も相当しんどい。誰もハッピーにならない。

 

解散する、というのは結成された以上彼らにとって常に用意されている決断のひとつだ。だからSMAPだって当然解散する権利がある。

 

SMAPをやめることもSMAPを脱退することも、もっといえば事務所を辞める権利だって彼らにはあるだろう。そこばかりは誰がなんと言おうと無理矢理に続けさせることはできないし、決断するのは本人だ。

 

権利""ある。"選ぶのは本人"だ。

が、私はこうも思う。

選んだ答えは1つだとしても、選び方は1つではない。

 

以下はまた過去記事からになるが、1月の騒動の際に「独立」と「グループの存続」について書いたものである。

もし円満でなく無理やり独立した場合、何が起こるか。

まず「SMAP」を名乗れない。

「SMAP」はジャニーズ事務所の商品であり、事務所の許可なしでそれを名乗れるとは思えない。

つまり「"SMAP"の名前が使えない」→「SMAPの存続は不可能」、というバッドエンド。

 

それを強行突破できたとして、その後に彼らに待ち受けるのは何か。

想像に容易い。

ジャニーズ事務所からの猛烈な圧力。芸能界において干されるということだ。

強行突破し5人でSMAPを続けることになるとしても、これまでと同じ活動が維持できる環境が整えられるかといえばそれは難しい。

「"SMAP"をジャニーズの枠の外で展開する」→「圧力によりこれまでと同じ規模の活動ができない」→「SMAPの形がこれまでと変わり、思うような活動ができない」、というバッドエンド。

 

SMAPがSMAPらしい活動をするために、現時点で選ばざるをえなかった選択肢。

「SMAPは存在しなければいけない」。

そう判断し頭を下げてまで、あんな痛々しい姿を見せてまで選んだのが「事務所残留」という道だ。

視聴者がSMAPから一番欲しかったものは何だったのか - ループ ザ ループ。

 

事務所を円満ではない形で辞めたとしてその後も各メンバーが芸能界に残ったとする。

そこで立ちはだかるのはそれまで所属していた「ジャニーズ事務所」の壁ではないか。

悲しいながらもあえて書くがそうなった時「元SMAP」になった彼らは今以上にジャニーズアイドルと共演できなくなるかもしれない。

もし「彼を出すならうちのアイドルは出しませんよ」なんてジャニーズ事務所に言われてしまえばそれまでで、番組制作側は「ジャニーズのアイドル全員」対「元SMAP」でどちらかを選ばなければいけなくなる。

番組だけではない。もっといえば放送局単位でその選択をせまられるかもしれない。

 

その可能性を考えてまで軽々と事務所を辞められるのだろうか。オラこんな事務所いやだ〜で抜けられるような、そんな軽い問題ではけっして無い。ましてや彼らはアラフォーのいい大人であるのだから。

事務所が同じであれば再結成の可能性も考えられるが事務所を辞めてしまってはその可能性も消えるだろう。

 

芸能界で活動しながらも、方向性や活動内容、そして所属先だって選ぶ自由はある。確かにそうだが、そうでもないな、とも思う。

 

芸能界自体、へんてこな世界だ。

ブラックだといえばブラックだ。というかブラックだ。

でもそこから私はいろんな感情をもらうしそういう意味ではホワイトだ。

…言っていてよくわからなくなってきた。ホワイトって何よ?とにかく、純粋な感情を抱けるような夢をあたえてくれる世界でもあるということが言いたい。

 

芸があれば、ネームバリューがあれば、人気があれば、簡単に移籍して簡単にまた同じ活動ができる。

残念ながらそんな夢のようなお話だけで芸能界はできていないようだ。

圧力だってある。それは本来私のようなイチ視聴者にはわからないはずのものなのだが、不自然なまでにテレビには出演しないあの人や意欲はあってもテレビには出演させてもらえずにいるあの人を見ているとなんとなくわかってしまう。

ジャニーズ内でも共演するグループと共演しないグループがあったりと、派閥問題も圧力とはまた少し違うが根本にあるものは同じだろう。

 

報道だってそうだ。ジャニーズの熱愛報道は芸能ニュースでまったく取り上げられないこともある。ネット上では大にぎわいなのになぜかテレビでは不自然なまでに取り上げられず、なんで?と思った経験はないだろうか。

その妙なしがらみについて言及されている記事を読んだ。

これはあくまで可能性の話である。すべてが真実だと鵜呑みにするには危険かもしれないが、納得してしまう部分も数多い。

 

事務所に残ったからといって「事務所との確執はなく、解散はあくまでメンバー同士の問題」とするには必要な要素が欠けすぎている。「事務所と揉めながらも残留"させられている"」と判断するにも何かがおかしく、完全には納得できない。

ここまで来るときっと原因は1つだけではないのだろうなと思う。いろいろなことが複雑に絡み合って、そこにある感情もさまざまで、その中で選んだ選択肢が「解散」。

 

最終的にそれを選んだのは、メンバーなのだろう。

それが追い詰められた末の苦渋の決断だったのか、完全合意の上なのか、個人の活動としての発展性を求めたものなのか、その他もろもろの事情はわからない。

SMAPでいたくなくなったのか、SMAP的なことをやりたくなくなったのか、SMAPが嫌になってしまったのかも、わからない。

 

そもそも事務所を抜けようとして、SMAPを続けるために事務所に残って、最終的にはSMAPをやめて事務所には残ることになったのだから、最初の展開から考えると本当にだれも望んでいなかったバッドエンドだ。内情はよくわからないが、こじれにこじれた結末のようにも感じる。

事務所から離れることも叶わずSMAPを続けることさえ叶わなかったのだから、これは一体どういう展開なのかと頭を抱えたくもなる。どう展開したらこうなったのか。

 

こんなことあっていいのか、そう思ったところで決まってしまったものはもう覆らない。

本当にこれでいいのか、そんなことを思ってしまうけどそんなのは私の勝手な感情だ。

 

 

物事には常に白と黒がつきまとう。

だから私はジャニーズ事務所を「ハッピーでホワイト企業だぜ!」とは言えない。

でもそこに所属するグループたちに「そんな事務所さっさと放り出してよそへ行ったほうがいいよ!」とも言えない。

それはきっと「ジャニーさんを慕っているジャニーズアイドル」を愛でる方万人に共通する感情かと思うし、ジャニーズだから、ジャニーズだったからこそそのアイドルやグループが生まれた、という背景があるからだ。

そこに感謝しない人はいないだろう。

 

 

ワイドショーではすでにSMAPの歴史と90年代以降の世相をからめたVTRが流されていた。

バブルの崩壊、経済の悪化、大規模な被害を及ぼした天災におそろしい事件。暗い世相でもそんな世の中を明るく照らし励ましてくれるような、時代と共にあったアイドルだった、と。

平成の出来事と絡めながら流れてくるSMAPの楽曲は誰もがよく耳にしたヒット曲ばかりだ。

元気で明るくて時に背中を押し励ましてくれるような曲たち。それをバックに明るい声色で添えられるSMAPを讃えるようなナレーションを聞いていたら、涙が出てきた。

 

確かにその通りでSMAPは時代と共にあったアイドルだと思う。

でもそれを美談として「今までありがとう」と過去形にするには、私にはまだ早すぎる。明るい未来を願うけれど、時代を彩ってきたその功績に感謝はしているけれど、ありがとう!と明るく言えるほど気持ちの整理がつかない。

オリンピック中継で流れる「ありがとう」に、こんなに切ない感情を抱くことになるなんて思ってもみなかった。

 

今はまだ解散することがただかなしい。

その功績を振り返れば振り返るほど、噛み締めれば噛みしめるほど、凄さを思い知れば知るほど、かなしい。

SMAPの解散によってもたらされる後続アイドルの将来的なビジョンの変化を予測するより、今はSMAPがなくなるというその事実に目を向けていたい。

ただそれだけしかなく「SMAP」がいなくなることがショックなのだ。

 

「ジャニーズのSMAP」でいてほしかったわけでもなくて、「ジャニーズ」でいてほしかっただけでもなくて、でも「ジャニーズ」にいなければ国民がこれぞ「SMAP」だ!と言えるような活動は成り立たなくて。「SMAP」というものは「ジャニーズ」で。でも「SMAP」はなくなってしまって、でもメンバーは「ジャニーズ」のままこれからも活動していく。

そんなことをぐるぐる考えているとだんだん混乱してくる。まだ整理はついていないしうまくまとめられない。

ただ、私が求めていたのはこれまで通りSMAPらしいSMAPだった。

 

 

 

SMAPの解散についていろんな人がいろんな意見を持ち、思いを綴る。

それを見ているうちに「果たして私は"ジャニオタ"なのかな?」と改めて考えた。

 

ジャニオタの方々はよく「派閥が〜」にはじまる派閥にまつわるエトセトラを語る。いや、語っていた。

実際私が派閥について知ったのも大昔、こんな大騒動に発展するよりもずっと前にツイッター上でそれを語っているジャニオタの方々を見たからだ。

 

その当時の私は「ジャニオタ」という単語にかすりもしない暮らしをしていて、要するに卒業していたつもりになっていた時期だ。実際は卒業できていなかったようでこうして復学しているが、その「派閥」の話題は離れていた私のところにまで届いた。「ジャニーズの派閥」をおもしろがって拡散する一般の方によって。

 

そういう知り方をしたこともあり、派閥という大問題をどこか嬉々として語る方はいまだにやや苦手だ。

もはや一般層にまで周知の事実になってしまったわけだが、私はそれに触れるのが好きではないし意識的に避けている。

派閥があるからいけないんだ!と言いたくもないし、派閥があるからこそ云々〜と肯定したくもない。その問題に触れる度に、なんとなく幸せな気持ちが少し削られるような気になってしまう。

 

決して良い傾向とは言えない「それ」に、積極的に触りたくなかった。

こうして問題が表面化してもなお「それ」を独特の文化のように、当然だと言わんばかりに捉えたくはない。私が興味を持っているのはそこではない。

「それ」すらも楽しめる自分になれればもっともっとジャニーズ事情に詳しい人間になれるのかもしれないが、結局私が求めているのはそこではないのだなと最近つくづく思うのだ。

 

そういった意味で、私は「ジャニオタ」には一生なれないのかもしれない。

 

ジャニオタ、という言葉が「ジャニーズの某グループのことが大好きなオタク」を指し示すのであるなら、私はそこに胸を張って属することができる。が、「ジャニーズそのもの、ジャニーズが織りなすすべてを無条件に愛しているオタク」なのだとしたら全くピンとこない。ピンとこないものを自称するのはさすがに何かがズレている。

 

まあこれは私が内側から思うことなので、外側から見ていただいて「いや、お前ジャニオタやがな!!!!」と認定していただけるのであれば「あいつジャニオタやで!」と指差していただいて一向に構わないのだ。

あくまで「自称するには覚悟が足りないな」、という少し逸れたお話である。

 

そもそも「ジャニーズ」は多種多様なものが詰め込まれた夢のエンターテイメントではあるが、それは端から見ればものすごくものすごーーーく異様なものにも映る。

好きで好きでたまらないというファンなりオタクなりがいれば、嫌いで嫌いでたまらないアンチもいる。

 

残念ながら私はジャニーズ事務所のすべてを肯定する人間かといえばそうではない。

 

それは他の事務所に関しても同じだ。興味を持ったり持たなかったり同事務所の中でもこの人は好きだけどこの人は普通、この人はあまり得意ではないかな、といったように自分勝手に興味を持つ。

「この人」が好きだったとして、この人がやる「これ」は好きだけど「あれ」はあまり好みではないなあ、なんてこともある。

この人は好きだけど「この売り方」は好きではないなぁ、の場合もある。

 

五体投地のごとき精神で夢中になれていない自分は、なかなかの薄情者なのかもしれない…と思うことがある。でもそこで一呼吸おいて判断できる自分がいることにホッとすることがあるのも確かだ。

 

結局のところ、良いものが見たい。

ただそれだけだ。

 

良いものには打ち震える。

ベストなものを届けてくれるのであれば構わないし、本人たちが納得しある程度ファンも納得できるクオリティのものが届けられるのであれば上々だ。

でも、求めているものが届けられているからといって、一般的に見ておかしいものまで肯定しきる気にもなれない。

 

これはもしかしておかしいものではないか?私の感覚は世間とずれているのではないか?自分が好きで好きでたまらないからといって、それが世間一般すべての人から褒め称えられるべきものだ!と押し付けてはいないか?

立ち止まって考える。

 

だからこそ、一方でどこかに不幸を生み出す「それ」を万歳三唱で讃える気にはなれないのだ。

「派閥があったからこそ」なんて言えないし、「派閥がなくなった!新たな時代の幕開けじゃ!ヤッター!」とも手放しに喜べない……そもそも派閥があったこと自体がおかしく、大問題なのだが。

今回に関しては派閥の消滅と引き換えにSMAPの解散という事態に結びついている。

これが代償だというのならばあまりにも大きすぎる。それをふまえてもなお「派閥の消滅」だけにスポットを当ててジャニーズの歴史を語るなんて、私にはできない。

 

 

崇拝しきれない私は、とことん浅くて浅い浅はかな人間なのかもしれない。

「ジャニーズ事務所に所属するアイドルが好きだから事務所の一挙手一投足すべてを肯定し崇めなければならない」のだとしたら、私は一生ジャニオタにはなれない。

 

今回のこの結末を見ていてそんなことを考えた。

 

もう一度言うが、誰かに「ジャニオタだね!」と言っていただくのはそれはそれで全然かまわないのだ。

ただ「生粋のジャニオタです!」と簡単に自称することには違和感がある、というだけで。

 

ジャニーズアイドルを好きでいる私は、今回のSMAPの解散をどう受け止めるべきなのだろう。

結局のところ静観するしかなく、いまはその動向を見守るばかりである。

先ほどYahooのトップページを覗きざっとエンタメのトピックスに目を通したが、どうもここからどんどん不穏な記事が多く出てきそうである。しんどい。つらい。

 

できることなら12月31日のその日まで、今までどおりの国民的アイドルグループとしてやり遂げてほしい。少しでもファンの方との時間を大切にしてほしいなと思うし、少しでもお茶の間に不穏を感じさせない姿を届けてほしい。

こうもマスコミ報道ばかりが先行すると茶の間も誘導されてしまう。できればそれを払拭して、SMAPの姿をしっかりと刻み込んで最後までかっこよくいてほしい、それが幼い頃から当たり前のようにSMAPを見てきた私の勝手な願いである。

有終の美を飾ってほしいし「やっぱりSMAPってすごいな!」とずっと思っていたい。

 

1月のあの時、私は「世界に一つだけの花」のCDを購入した。

でもあの騒動以降、この曲をあまり聴けずにいた。

聴いてしまうと泣いてしまうからだ。元来この曲が持つ世界観とそのやさしさに加え、騒動のさなかで感じたいろんな人の思いを想像するとどうしても泣いてしまう。

 

解散が発表されてからも、聞いているのはこちらのベストだ。

Smap Vest

Smap Vest

  • アーティスト: SMAP,森浩美,戸沢暢美,相田毅,大倉浩平,野島伸司,ゆかり美和,スガシカオ,飯塚麻純,山崎まさよし,安田信二
  • 出版社/メーカー:ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2001/03/23
  • メディア: CD
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私が中学生の頃に大ヒットしたベストアルバム。

「ベスト」がデザインされたキャッチーなジャケットは初回盤だけで12色ものカラフルなパターンが用意されていて、とても印象に残っている。

そんなにパターンを用意できるなんてさすがSMAPだな、と何を基準にそう思うのかよくわからないことを思った。

 

なにせもう10年以上前のアルバムだ。収録曲で最新のものは「らいおんハート」で、それ以前のシングルがすべて網羅されている。

 

改めて聴き返していると、スガシカオさんバージョンでも散々聴いている「夜空ノムコウ」の歌詞が突きささった。

 

夜空ノムコウ - SMAP - 歌詞 : 歌ネット

 

悲しみっていつかは消えてしまうものなのかなぁ

私は今こんなに悲しいけど、それもいつかは消えるのだろうか。

すべての感情はいつか消えてしまうのだろうか。夢見た未来も、続くと思っていた日々も、信じてきたものも、漠然と抱いていた自信も。

 

閉塞感の中での漠然とした不安や希望、寂しげで儚げで、むなしさをも抱え込んだこの曲は、今聴くには切なすぎる。

「あれから」や「あのころ」と過去を振り返る言葉たちは今は少し残酷だ。

 

きっと「マド」とも言える障壁を越えれば、「雲のない星空」が続いている。雲のない星空が マドのむこうにつづいてる

 

「夜空」とも言える暗い状況のむこうには、明るい「明日」が待っている。夜空のむこうには もう明日が待っている

 

待ちかまえている明日のために、自分を静かに奮い立たせるような曲だと解釈していた。でも今は、漠然とした不安のほうに押しつぶされる。

不安が際立てばこの曲もとても沈んだもののように聴こえてくるのだから、不思議なものである。

 

 

きっと2016年が終わろうとするその時も、明日は待っていていつもと同じように夜があける。

私はその時何を思っているのだろう。それまでにどんな状況に出くわすのだろう。

その行く末を、冷静に見つめていきたいなと思う。

 

 


「せいせいするほど、愛してる」で笑ってしまうタイプな私の感想文

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何かと暗いニュースも多く沈みがちな今日この頃、ここらで少しおふざけ交じりにドラマ感想でも書いて1人盛り上がってみたいと思う。ふざけ交じりといっても決してけなしているわけではない。ツッコミながら大いに楽しんでいる、そんな姿勢をつらつらと綴ってみたい。

 

要するに「『せいせいするほど、愛してる』超おもしろくない?」というお話である。

 

 

 

タッキーのエアギター

1話で世間を騒然とさせたのはやはりあのシーンである。

滝沢秀明氏演じる三好海里副社長の、突然のエアギターだ。

 

見たことがない方にお伝えしたいのは、彼のエアギターはただのエアギターではない。

その場でさもギターがあるかのように構えてひたすらにジャカジャカやるタイプのものではなく、家中を徘徊しながら家具や設備・備品さえ巧みに扱いながら行う。

あれを果たして単にエアギターと片付けていいのだろうか。新たなパフォーマンスの一種ではないのかとさえ思えてくる。

 

1話を見たあとで読んだ公式サイトのインタビューでは、演じるご本人よりこのように語られている。

ぼくもびっくりの設定で、趣味がエアギターなんです(笑)。副社長という立場はやはり息苦しいのか、それを発散させているんでしょう。未亜の一人カラオケと対になって毎回出てくるらしいです(笑)。

滝沢秀明さん(三好海里):インタビュー|TBSテレビ:火曜ドラマ「せいせいするほど、愛してる」) 

とりあえずこの情報、相当大事だと思う。 

趣味か、そうか趣味なのか、そうかそれなら納得…

と、簡単に納得できるようなエアギターではないというのが本音である。

が、知らずに見るより全然いい。

趣味なのだ。あれは趣味なのだ。誰がなんと言おうと趣味なのだ。趣味と思おう。

 

またこのタッキーのエアギターと対になって出てくるのが武井咲さん演じる栗原未亜の1人カラオケシーンだ。

個人的には、「対」という表現よりも「クロスする」という言葉のほうが近いように思う。

 

2人ともそれぞれに負の感情を抱え込み、その持て余した感情を何かをすることで発散する。その手段が海里にとってはエアギターであり未亜にとっては1人カラオケなのだ。

視聴者にとってももどかしさが募るころ突然に、颯爽と登場したのがこのシーンである。

 

「颯爽に」という表現は合っていないような気もするのだが、予備知識もないところに放り込まれたこのシーンが駆け抜けていくスピード感はまさしく颯爽としていた。

青天の霹靂以外のなにものでもない。

今のは幻か?我々は夏の暑さに幻を見たのか?

そう思わせられるのは、あんなにハードなエアギター&1人カラオケシーンを挟み込んでおきながらもいたって平然と進んで行く本編のせいでもあろう。

 

1話の場合。

カラオケで1人、曲を入力しマイクにかかっているカバーを外す未亜。

一方その頃、自室でハードな音楽を流し始めると同時にエアギターの姿勢に入る副社長、いきなりの膝をつきながらの熱演である。

目が点になる私。

息つく間もなく画面は切り替わり、今度は未亜の歌唱パート。拳を突き上げながら、しまいにはクルクル回りながらの「リンッッダ、リンッダァーー♪」。THE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」を熱唱していた。

またも混乱する私。

上手いのか下手なのか、いや上手いとは言い難い、だが調子は合っている。なんだこのクセになる歌唱は。どう対処すればいい。

対処しきれていない間にまたも画面は切り替わり部屋をエアギター状態で徘徊する副社長。オイその状態でどこ行くねや。

一方未亜はAメロに突入、大盛り上がりである。1人で。

その頃ダイニングキッチンへ突入した副社長、部屋の照明のスイッチをオン。もちろん音楽に合わせながら。両手、いや両腕を大きく使いながらダイナミックな動きでスイッチを入れるその華麗な様、もはやパフォーマンス

そんなダイナミックスイッチオンを終えた副社長はキッチン部へ移動。もちろんエアギターを弾きながらの歩行。からのキッチン上の照明もオン。

いや、いる?今いる?そこいる?料理前なん?今から料理するとこやったん?いやめっちゃエアギター弾いてるやん今そこの電気いる?もう脳内ツッコミがとまらない。

そしてまたも切り替わり未亜歌唱パート。そろそろ副社長パートに押されてきた。

未亜のリンダリンダはあくまでサビ部分のインパクトが大きいので、その他の部分は普通にかわいいノリノリ系女子なのだ。

がんばれ未亜。このままでは負けてしまう。早く来いサビ!別にはっちゃけ度で争うシーンではないのだがそろそろ感覚がおかしくなってきた。

画面は切り替わり副社長はいよいよテーブルに腰掛ける。それ子供がやったら絶対親に怒られるヤツ。

テーブルに腰掛けながらのエアギター。感情込めまくりの表情、なんなら仰け反りながらの演奏(といっていいのか)。そしてそこから、足で勢いをつけてテーブルの上で尻を軸にしてターン。

それを受けた当時の私の感想はこうだった。

 

尻中心のターン、についてもう少し説明するならば「体育座りから足を浮かせた状態でのターン」といったところか。

とにかくただものではなかったのだ。

私は爆笑した。必ず、かの爆笑不可避の芸をツッコまねばならぬと決意した。

 

話を戻して、尻中心にターンしたあとの彼はテーブルに仰向けになりなおもエアギターはやめないのだ。まだやるか。

そして未亜も負けていない。再びのサビ、「リンッッダ、リンッダァーー♪」の襲来だ。

副社長は仰向けになっていたかと思いきやもう立ち上がりまたも片膝をつきながらの爆演中だ。

なんて忙しい切り替わりだ…とヘトヘトになり始めた頃、そんな風変わりなことをしている2人の映像がスローにされる。そしてハードな曲でもなければ「リンッッダ、リンッダァーー♪」でもない、しっとりとしたBGMが流れ始めるのだ。

するとさっきまで大混乱させられていたのに急に「この人たち、なんかすげえいろんな感情を抱えながらこんなにはっちゃけることでそれを浄化してるのかもしんねえな…」感が漂い始めるのだ。

そうしてあんなに混沌としていたのに、あの勢いはどこへ行ったのかというくらいにスン…とした空気に切り替わる。

そうして訪れた感情が、今のは幻か?だ。

そこまでの一連の流れが私にとっては非常にツボで、「今のなんやったん?」と呆然とさせられながらもニヤニヤしてしまうこの感じは大好物の類だ。

 

そんなわけでこのエアギターと1人カラオケのシーンは毎度のように登場し、本当にせいせいするほど大爆笑してしまいそうになる大部分と、「なんだか大変なんだな…2人とも…」とさっきまでの激情をうやむやにされつつなんだかセンチメンタルな気分に半ば無理やりにでも持って行かれてしまうというかなり強引なラスト、という調子で構成されている。

 

私などという人間はそれはもう笑ってしまう。笑ってしまいながら、果たしてこれは笑うのが正解なのか、このシーンで大爆笑してしまうのはこのドラマを作っている側からすれば失敗なのだろうか?だとしたら申し訳ないなあ…なんて思っていた。一応それなりにリスペクト精神は持って臨んでいるのだ。これでも。

 

ある回では、未亜が副社長にいろいろと質問をした。

「好きな音楽はなんですか?」の問いに「ハードロック」と答える副社長。

うん、せやな。

続いての質問「じゃあ趣味は?お休みの日とか何してるんですか?」に対する答えが「それは、言えないな…」だったのには噴いた。エアギターという趣味をさらっと隠す副社長。

楽しそうに「えーなんでですかー怪しい〜(笑)」とからかう未亜。ああ言いたい、彼の趣味はエアギターだと教えてあげたい。

エアギターしていないシーンでさえこういったふうにエアギター要素を含ませてくるのだから困る。これ以上笑わしてどうするのか、このドラマは恋愛ものではなかったのか。コメディなのか。

 

そんな中、副社長…いや、滝沢さんのラジオでエアギターシーンについて言及があったと知る。

メール「『せいせいするほど、愛してる』で、キュンキュンさせてもらっています(中略)エアギターのシーンは笑ってもいいんでしょうか、どう見ていいのか、ぜひ教えてください。」

滝沢「『エアギターのシーンは笑ってもいいんでしょうか』、いや、笑う以外に何がある……?むしろ(笑)

 (「タッキーの滝沢電波城」2016年8月13日放送分)

いやええんかい。笑っていいんかい。シリアスシーンの延長じゃなかったんかい。

拍子抜けも拍子抜けである。

だがこれで公に爆笑しながら見ても良いというおふれが出たということだ。これからはあのシーンを見ながら手を叩いて大爆笑してもいいのだ。我々は自由を得たのだ。

 

笑ってもいいと学んだ私はこのおふれが出た後、笑う気満々でドラマの視聴に臨んだ。

が、演者が「笑ってもいい」と言っていたにもかかわらず「…いや、ここで爆笑してしまったらこの後のせつない展開に支障でるわ!!」と我に返った。

笑ってはいけないのかな…?という状態なら爆笑し、笑ってもいいよと言われればいや、あかんのでは…?と冷静になる。我ながらめんどくさいヤツである。

 

そんなことを考えていたら、今週放送の第7話では未亜にバレた。

何がバレたかといえばもちろんエアギターがバレた。

 

今回も部屋でエアギターに興じる副社長。一方未亜は彼の手紙を読み、彼のもとへと急ぐ。

合鍵で副社長宅に侵入した未亜。

そのカメラワークはもうここまで散々彼の「エアギターという密かな趣味」を存分に把握した視聴者を煽るようなものにしか思えず、我々の心はもう「あぶない副社長!」「やばい!」「あーあー!」といったものでこの先の展開に大いに期待しながらその時を見守る。私の心境はというと半ニヤニヤ、半そわそわくらいの気持ちだ。

先週界隈をざわつかせた「華麗に絨毯をばさっと翻したのち部屋中に掃除機をかけるエアギター」以上にノリノリであり、今週の彼のブームは謎の指差しである。

誰に向けてのファンサービスなのか。もはや彼の心は超満員のドームにでもあるのではないか。

しかも驚くなかれ、そんな度肝を抜かれるエアギタープレイにかぶせられるのはいつも以上に長めのしっとりしたBGM、そして彼が未亜への想いを綴った手紙の読み上げ(もちろん副社長ボイス)。

そして脳裏をよぎる滝沢さんのラジオでのコメント。

滝沢「『エアギターのシーンは笑ってもいいんでしょうか』、いや、笑う以外に何がある……?むしろ(笑)

いやここ笑ったら絶対ストーリーの展開上のちのち支障きたすよ。

 

「心はずっと…栗原を思ってる。」

でも画面に映るのは、ノリノリすぎて体をのけぞらせながらのエアギターをかます姿。

どうしろと?これにどう反応しろと???

 

いつもならお互いがノリノリでエアギターや1人カラオケに興じるところがクロスされるこのシーン。

今週のエアギター×心を決めて彼の部屋を訪れる未亜という構図はスリリングすぎる。

 

ハードロックに合わせやっぱり部屋を移動しながらエアギターをする副社長。

を、ドアを開けて黙って見ている未亜。

見つかり方がいたたまれない。

早く!もう早く彼を止めてあげて!と思うも、未亜はまったく声をかけず副社長も見られていることに気付いていない。

 

夢中で仮想オーディエンスに指差しファンサービスを振りまく。

それはもう丁寧に、回転しながら各方向に。

そうしてぐるりと回ってきたところで未亜を指差してしまい、そこでようやく見られていたことに気付くのだ。そんな気付き方ある?

 

お互いに呆然とする中、彼は果たしてどう弁解するのかと思いきや冷静にオーディオのスイッチをオフ。そして放った言葉が、

「コーヒーでいいか?」

まさかの、なかったことにしようとした。

 

未亜「いや…あの…今の、なんですか?」

副社長「ん?なんのこと?」

 

本格的にしらばっくれた。

 

挙句に放った言葉が

「夢でも見たんじゃないか?」

いやもう、夢なんやとしたら私もそう思いたいです。いっそ夢であれ。

 

未亜「いやぁ〜衝撃的でした〜」

副社長「いいから!」

未亜「いやかっこよかったですよ!なんかこうやって指差してるとことか」

副社長「もうわかったから!!」

未亜「ははははは!(笑)」

未亜がエアギターにドン引きしないタイプの女子でよかったね…と心のそこから思ってしまったのは私だけだろうか。

 

ドラマはどんどんシリアス度が増していく。

ベタな修羅場も訪れている。

先週放送分のラストでは副社長の奥さんによる未亜へのセリフ、ドスの効いた「このドロボウ猫ッッッ!!!」が炸裂し、いかにもすぎるベタなセリフにゾクゾクしたのは私だけだろうか。

サブタイトルがなぜこんなにポップなのか。「絶体絶命泥棒ネコ」はひどい。

 

なお今週は先週以上にベタなセリフの応酬であった。たぶん来週もそうなりそうである。

甘々なシーンにもドロドロなシーンにも頻繁にベタなセリフが盛り込まれていて、ベタなセリフにニヤニヤする傾向のある私は非常に忙しい

 

 

エセなのか自然なのか、コテコテ関西弁の魅力

エアギター&1人カラオケのシーンと共にわたしゴコロをくすぐるのが中村蒼さん演じる宮沢綾。JIMMY CHOOにお勤めの、明るいキャラクターが魅力的なイケメンである。

 

ドラマ内で繰り返される「ジミーチュウの宮沢さん」は語呂がたまらない。

紹介される時も「ジミーチュウの宮沢さん」。自ら名乗る時も「ジミーチュウの宮沢です」。

癖になるこの響きには、今夏の「声に出して読み上げたくなる語呂部門・第1位」を差し上げたい。

 

コテコテな、関西人からすると「コテコテすぎる」関西弁を巧みに使いこなしているのだがたまに違和感のあるところもあり、調べてみるとどうやらご本人は福岡県出身らしい。

 

関西人が普段からコテコテ関西弁を使っているかといえばもちろんそうではない場合が多い。…と、思っている。

そりゃあ抑揚をつけて言おうといえばそれなりにコテコテな大阪人を演じることもできる。あえて「わてらナニワの人間ですさかい」くらいにネタで言ったりするが、普段のしゃべりの中であそこまで抑揚がついているかといえば別である。

コテコテ関西弁キャラを見て逆に「ああコテコテで喋りたい!」という謎の衝動にかられることがある。関西にいながら、なぜかフィクションのキャラから関西弁を入荷しようとしている矛盾。

 

自然でありながら不自然でもあるこの関西弁が私にとってはクセになる響きで、果たして彼の関西弁は上手いのか、下手なのか。

評価を調べてみるとどちらの意見も見かけるので誰か根拠をもとに解明していただきたいところである。

 

このドラマの中で、実は私は副社長よりも「ジミーチュウの宮沢さん」のほうが好きだ。副社長かっこいいー!と思うためにドラマを見始めたはずなのだがすっかり「ジミーチュウの宮沢さん」派である。

彼は未亜のことを好いている。

でも未亜は副社長が好きで、彼には妻(離婚寸前までいっていたものの離婚届を出す直前に事故で記憶喪失になったので微妙なラインではあるが)がいるにもかかわらず、宮沢さんはガンガン関西弁で好きや!と言ってくるにもかかわらず、副社長の愛人のままでいる。

「ジミーチュウの宮沢さん」推しの私としては、思わず「宮沢さんにしておけばいいのに…!」と思ってしまうがそんな簡単にはいかないのだ。

 

曲がずるい

これはこのドラマを見ていて1番感じていることである。

一筋縄ではいかない「不倫」というかたちをメインに描いているこのドラマは、切ないシーンというかもどかしい展開ばかりである。

毎回のように好きだけどダメ、でもやっぱり好き!やっぱりダメ!が繰り返される。

 

そんな「切ない」という感情を毎回放り込んでくるこのドラマで主題歌として使われているのが松田聖子さんの「薔薇のように咲いて 桜のように散って」。

この曲の感想を一言で言うなら、「ずるい」だ。

 

音楽的に素晴らしい…だとかそんな大それた批評はまったくできないのだが、とにかくもうずるいのだ。

1話を通していろいろとツッコミどころで溢れているのだがいいシーンでこの曲が流れるだけでこのドラマのメインテーマはこれですよと引き戻されてしまう。

「ああそうだった、このドラマって恋愛ものだった」と私がかろうじて踏みとどまれているのはこの効果が意外と大きいのかもしれないなと思っている。

全然共感できないセリフだな、と思っていようが、先ほどまで登場人物たちが大爆笑をかっさらうような奇行に走っていようが、この曲が流れてくると「恋愛ドラマ」に引き戻されるのだ。ずるい、ずるすぎる。

 

このドラマのキャッチフレーズとして並べられている文言は、「これを不倫だと思いますか?それとも純愛だと思いますかー?」だ。

基本的に不倫否定派の私は純愛か…?と思いながら見ているのだが、この曲の説得力はすごい。ちなみに作詞・作曲・編曲はX JAPANのYOSHIKI氏である。

この曲が流れてくるだけで場面が一気に切なく感じるし、副社長と未亜の恋愛は純愛である、と納得させられてしまう。ずるい。

 

 

そんなわけでいよいよ物語も佳境に入ってきたこのドラマ、果たして最後はどうなるのか。もうエアギターは進化しないのか。

最終回まで大いに期待しながらニヤニヤしつつ見守ろうと思っている。

 

 

'02年前後のカミセンコンサートとベストアルバムと「手紙〜未来」の話

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唐突に2002年前後のカミセンのことを振り返ってみたくなった。

きっかけはというと、彼らが2002年のコンサートでカバーした楽曲を聴き返していて「やっぱり今聴いても最高だな」と思ったからである。簡潔にいえば「ケツメイシの『手紙~未来』最高すぎない?」というお話、だった。 

が、いろいろと調べているうちに内容が膨れ上がってしまった。余談が余談で無くなるのはいつものことで相変わらず締まりのないブログである。

ということでとりあえず2001年~2003年のカミセンによるコンサート、通称「カミコン」でカバーした曲がすごく良いというお話と、2002年に発売されたベストアルバムについて綴ってみたいと思う。

 

音楽というのは罪なもので、それをなんとなく耳にするだけでも当時のことが鮮明に思い出されたりする。特にこの頃私が大好きだったカミセン絡みの楽曲はその傾向が強い。まだ20代前半だったComing Centuryが歌うソレは、10代半ばの私が感銘を受けるには十分すぎた。

 

今だにお気に入りのその曲たちをたまに聴く。楽曲に込められたメッセージの受け止め方は少し変わってしまったような気もするがかなりの年数が過ぎているのだからそれも致し方ない。

10代が30代になっているのだ。さみしいことだが当然である。

でも、思い出される「当時のわたしが20代前半のカミセンを見て思っていたこと」は変わらない。そこから影響を受けて過ごした青春時代、というのも変わらずそこにある。

そういう部分がギュッと凝縮されているような気がするのが2002年のカミセンコンサートとベストアルバム絡みの楽曲、だったりするのだ。

 

 目次

 

 

カミコン2002開催日程とキャパ、セットリスト

まずはデータ的なものにふれておく。

このツアーは広島・大阪・北海道・宮城・東京の5ヶ所19公演、東京以外はホール規模で開催された。

広島/広島郵便貯金ホール(1,730席)

・9/28(土)14:30,18:00

・9/29(日)13:00,16:30

大阪/大阪フェスティバルホール(2,700席)

・10/5(土)14:30,18:00

・10/6(日)13:00,17:00

北海道/北海道厚生年金会館(2,300席)

・10/19(土)18:00

・10/20(日)13:00,16:30

宮城/仙台サンプラザホール(2,054席)

・10/26(土)14:30,18:00

・10/27(日)13:00,16:30

東京/国立代々木競技場第一体育館(13,245席)

・11/29(金)18:00

・11/30(土)18:00

・12/1(日)12:00,16:00

 

(※青字は追加公演)

 

単純に座席数×公演数で動員数を出してみると以下の通り。

広島 6,920人

大阪 10,800人

北海道 6,900人

宮城 8,216人

東京 52,980人

東京だけ計算間違いかと見紛う数字だが、あの代々木第一競技場での開催なので合っている。代々木の1公演だけで広島・大阪・北海道・宮城の各開催地での総動員数を上回るのだ。代々木に対して「大きい!」と驚くべきなのか、ホールに対して「小さい!」とつっこむべきなのか。

もう14年も前の話であるので倍率に関してはあまり覚えていない。が、私自身も追加公演での振替当選に回された身であったのでそれなりの倍率はあったように記憶している。

 

このツアーのセットリストはというとこんな感じだった。

会場・公演によりアンコール曲の変化などあるがここには私が参加した大阪公演のセットリストを記しておく。

Coming Century "HAVE A SUPER GOOD LIVE 2002"

2002.10.05 セットリスト

(※青字はカバー曲)

 

WHAT'S COOL?

TOP Checker

SHODO

Wild Style


ー挨拶ー


Ash to Ash

MISS YOU TONIGHT

CRUSH(森田・ダンスのみ)

SPEEDER'S HIGH

赤いタンバリン

BACK AT ONE (岡田)

HAVE A SUPER GOOD TIME


ーMCー


Over Drive

Kick off!

My Cherie Amour(三宅)

恋のシグナル

X,T,C, beat

I'M HAPPY MAN

Harlem Summer

人にやさしく

LOOKIN' FOR MY DREAM

手紙~未来

 

ーアンコールー

Theme of Coming Century

夏のかけら

 

 

2001〜2003年にカミセンがカバーした曲まとめ

2002年のカミコンで印象に残ったのはカバー曲が多かったこと

ジャニーズ諸先輩がたのカバーとなれば耳にする機会も多かったりするのだが、このコンサートにおいてはジャニーズ外の方のカバーが多く驚いた記憶がある。一部楽曲に関しては「新曲?」と勘違いしたのがなつかしい。

 

私自身が参加したカミコンは2001〜2003年の各年開催分のみで、つまりは3種類のコンサートを体感した。

ちなみにその前年、2000年のコンサートは映像として残っている。

VERY HAPPY!!! [VHS]

VERY HAPPY!!! [VHS]

 

V6・トニセン・カミセンとの3つのコンサートが収録された豪華仕様。はじめてアイドルが歌って踊るコンサートが収録されたこのVHSを購入した私は春休み中毎日のように見続け、おかげで私のなかで「コンサートとはどういうものか?」という情報は主にこの映像で固まった。

 

V6コンサートというのはどデカイ会場内ではるか頭上から真っ白い翼をつけてフライングで登場したりするものなんだな、と学んだ。その認識で合っていたのかどうかは別として。

「ああ坂本くん、高所恐怖症なのにあんなに頑張って…なんと立派な…!」と当時中学生のくせして若干の上から目線で失礼ではあるのだがさすがのプロ根性に感動したものである。

 

この作品の中に収録されている2000年のカミコン、そのセットリストはというとほとんどがカミセン曲、V6曲で構成されている。

となれば当然無知な私はその構成に関しても「カミセンコンサートってこんな感じなんだな」とインプットしたわけで、その認識を持って挑んだ01年のカミコンで度肝を抜かれたことは言うまでもない。

 

斬新!と思ったが、あとから調べてみると00年以前のコンサートでも実はカバー曲はそこそこある。

「どちらかというと00年の持ち曲だらけのセットリストの方が珍しかったのかもしれない」と気付いたのは何年も経ってからのことだった。

 

2001〜2003年のカミコンは映像作品としては残っていない。

唯一あるのは、アジアツアーとして開催された01年コンサートの写真集のみである。

Coming Century tour around Asia 2001

Coming Century tour around Asia 2001

 

  

その後2004年~2008年まではカミセンのコンサートの開催はなかった。

そのブランクを経てようやく開催された2009年のコンサートは同時期開催のトニセンコンサートと同時収録で映像化された。

20th Century LIVE TOUR 2009 HONEY HONEY HONEY/We are Coming Century Boys LIVE Tour 2009 [DVD]

20th Century LIVE TOUR 2009 HONEY HONEY HONEY/We are Coming Century Boys LIVE Tour 2009 [DVD]

 

セットリストのほとんどはやはり持ち曲が占める。となるとカバー曲の有無と映像化は関係あるんだろうか、とも考えてしまう。

 

個人的にこの3年間でカバーした曲は彼らの持ち曲とはまた違った角度でカミセン、各個人の「やりたい方向性」が詰まっている気がして、どうしても無視できないのだ。

ということで、改めてまとめてみることにした。

【2001年】

キング・オブ・ステージ/RHYMESTER

最後の言い訳(森田) / 徳永英明

SEXY M.F.(三宅:ダンス)/ prince and the new power generation

STEPPER'S DELIGHT / RIP SLYME

終わらない歌 /THE BLUE HEARTS

リンダリンダ / THE BLUE HEARTS

 

2002年】

CRUSH (森田:ダンス)/ GARBAGE

赤いタンバリン /BLANKEY JET CITY

Back At One(岡田) / Brian McKnight

My Cherie Amour(三宅) / Stevie Wonder

人にやさしく /THE BLUE HEARTS

手紙~未来 /ケツメイシ

 

2003年】

sayonara sayonara/KICK THE CAN CREW

男前(岡田)/HY

Guilty(森田)/EXILE

Like I Love you(三宅)/Justin Timberlake

 

ざっと曲名・アーティスト名を並べてみただけではなんとなく伝わりにくい。

どうしたものか…と唸っていたのだが、さすが10年以上経過しただけある。この便利な世の中では簡単に試聴もできるしアーティストによってはPVがフル配信されている。

そんな環境に感謝しつつここは存分に活用させていただく。以下に貼ってみるので雰囲気だけでも伝われば幸いである。

(youtubeリンク分はフル視聴可能)

 

 

やはり目立つのはヒップホップ・ラップ系邦楽の多さ。  

【2001年】

キング オブ ステージ

キング オブ ステージ

  • RHYMESTER
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

STEPPER'S DELIGHT

STEPPER'S DELIGHT

  • RIP SLYME
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

(フル) RIP SLYME - STEPPER'S DELIGHT - YouTube

 

【2002年】

手紙 ~未来

手紙 ~未来

  • ケツメイシ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

【2003年】

sayonara sayonara

sayonara sayonara

  • KICK THE CAN CREW
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 (参考までにV6夏コンで剛健がカバーした曲「よる☆かぜ」も)

よる☆かぜ

よる☆かぜ

  • ケツメイシ
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

ソロではなくカミセンとしてカバーしている中にRHYMESTER、RIP SLYME、ケツメイシ、KICK THE CAN CREW、という字面が並ぶ。これだけでもあの時代をほんのりと察することができそうな気がする。

同時期、2002年V6夏コンでも森田・三宅コンビでケツメイシの「よる⭐︎かぜ」をカバーしている。

ケツメイシに関しては森田さん三宅さんはコンビ曲としてもセレクトしていたり、かと思えば岡田さんが「ケツメイシの『トモダチ』を聴いて泣きそうになった」という話をラジオでしていたり。

一体だれ発信でカバーすることになったんだろう?なんて考えたりもしたのだがよくわからず、私の中ではなんとなく「3人とも好きなのかな…」と結論付けて終わったのだった。

 

 

また盛り上げ曲として2年に渡ってブルーハーツをカバー。

 【2001年】

終わらない歌

終わらない歌

  • THE BLUE HEARTS
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

リンダリンダ

リンダリンダ

  • THE BLUE HEARTS
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 

 【2002年】

人にやさしく

人にやさしく

  • THE BLUE HEARTS
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

ブルーハーツの曲の中でも認知度の高かろうド定番の選曲、盛り上がらないわけがない。

 

「人にやさしく」の「僕はいつでも 歌を歌う時は マイクロフォンの中からガンバレって言っている 聞こえてほしい あなたにも ガンバレ!」という歌詞だけで永遠に頑張れるのではないかと思った。

 

現アラサーがブルーハーツ世代かと言われるとそうではないのだが(リンダリンダは私が1歳の頃にリリースされた曲なので当時の記憶が私にあったとしたらとんでもないロックガールである)解散以降も楽曲を耳にする機会は多い。

 

そしてカミセンが「人にやさしく」をカバーした2002年というのは、月9で同名ドラマ「人にやさしく」が放送された年でもある。

ドラマ中にはブルーハーツの楽曲がいくつも使用されそこも見どころのひとつであり、彼らの楽曲にも注目が集まったタイミングでもあったのではないか、と思う。

このドラマで一躍有名人となった子役の須賀健太くんも当時8歳だったのがいまや21歳の俳優さんだ。このドラマが大好きで号泣しながら見ていた私だってそりゃあアラサーにもなる。

ちなみに岡田さんが主演した「木更津キャッツアイ」はこのドラマと同クールでの放送だった。当時ぶっさんだった彼はいまや石田三成である。

 

また、この流れで並べておきたいのがBLANKEY JET CITYの「赤いタンバリン」。

【2002年】

赤いタンバリン

赤いタンバリン

  • BLANKEY JET CITY
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

BLANKEY JET CITYは90年代から2000年まで活動していたバンドなのだが、私はまったく知識がなくコンサートでカバーされたことではじめてCDをレンタルしに走った。

歌詞で何度も出てくる「赤いタンバリン」。好きな女の子がいて、彼女のことをなぜ好きなのかといえば赤いタンバリンを上手に撃つから、という「何それオシャレすぎるやろ…!」な歌詞は当時の私にとっては新鮮かつ衝撃的だった。

赤いタンバリン - BLANKEY JET CITY - 歌詞 : 歌ネット

 

 

そして各ソロの選曲は以下の通り。

森田さん・三宅さんは3年ともカバー曲、岡田さんは01年はV6の「I CAN」、02年03年はカバーだった。

 

【森田剛ソロ】

 2001年

最後の言い訳

最後の言い訳

  • 德永英明
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 (フル)徳永英明 / 最後の言い訳 - YouTube

ぜひフルのほうでサビを聴いていただきたい。

高音が最高に甘く、森田さんのキャラメルボイス好きにはたまらない仕上がりだった。1度聞くときっちり森田剛バージョンで耳に残るほどのインパクト。

私はいまだに「アレは最高だったなあ…」と思い返してうっとりできるという特技を持っている。

 

2002年

(ダンスのみ) 

#1 Crush

#1 Crush

  • Garbage
  • オルタナティブ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 POTATO(2003年1月号)によると「めちゃくちゃエロティックな雰囲気のソロダンスで会場のみんなを悩殺!?」とある。

 

2003年

Guilty

Guilty

  • EXILE
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

02年に引き続き私の脳裏にただただ「エロかった」という感想を残した。同タイトルがV6のシングルにもあるがこの年に歌ったのはEXILEのもの。歌詞もエロい。

Guilty - EXILE - 歌詞 : 歌ネット

 

 

【三宅健ソロ】

2001年

(ダンスのみ)

Sexy M.F.

Sexy M.F.

  • Prince & The New Power Generation
  • R&B/ソウル
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

白のタンクトップ×デニムというシンプルな衣装。このコンサートの数年前にも披露し再びソロとしてチョイスされた曲だったらしい。

腰つきをはじめとしてとにかくセクシーなフリだった。さっきからエロいエロいと連呼しているのでここはあえて「セクシー」だなんてかっちょいい感じで言い換えてみたが、中学生の私にとってはたぶん見てはいけないものの類だった。エロかった。よくわからないが「踊り子だ…」と思った。

  

2002年

My Cherie Amour

My Cherie Amour

  • スティーヴィー・ワンダー
  • ポップ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

視聴ではお届けできないのが残念だが、冒頭の「らぁーらぁーらぁーー、らぁーらぁーらぁーー」がクセになる、三宅健ボイス炸裂な曲。

デビューからしばらくの三宅さんの歌声は特に母音が強い気がする。特に耳に残るのが伸ばす部分の「あ」なのでは…と思っているのだが、それを私の中で確固たるものにしたのがこの曲だったといっても過言ではない。

それくらい冒頭の「ららら」に衝撃を受け、未だに耳に残る。

 

2003年

Like I Love You

Like I Love You

  • ジャスティン・ティンバーレイク
  • ポップ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 (フル)Justin Timberlake - Like I Love You - YouTube

弓道着で登場、弓をひき風船を射ったあと早替えでカンフー着的な衣装に。からの激しいダンス…という三宅さんらしい演出かつジャニーズらしい演出とも言える。

 

 

 

 

岡田ソロ

2001年

「I CAN」/V6

 

2002年

Back at One

Back at One

  • ブライアン・マックナイト
  • R&B/ソウル
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

(フル)Brian McKnight - Back At One (Short Version) - YouTube

グランドピアノを使って弾き語りで。当時の私のレポによると「大人なムードでかっこよかった(ハート)」だそうだ。何も伝わってこない語彙力が悲しい。

 

 2003年

男前

男前

  • HY
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

前年とはまた打って変わった激しい曲。

男前 - HY - 歌詞 : 歌ネット

曲中の「飛べ」という歌詞に合わせて岡田さんからジャンプを要求される。私自身はどんな感じで跳べばいいのかイマイチ掴めず不完全燃焼となり、思わず苦笑いした記憶が残る。はじめて聴く曲で100点満点のジャンプは難しい。

 

 

 

 

ファン投票で選曲されたカミセンベストアルバム

2002年にはComing Centuryとしてのベストアルバムが発売になったのだが、その収録曲はファン投票によって選ばれた。

当時のカミセンの持ち歌はざっと20曲あまり。投票できるのは1人1曲ではなく、どうやら5曲選べたようなのだが記憶が定かではない。雑誌記事から情報を拾うとコンサート会場・ハガキ・インターネットで投票を受け付けた模様だ。

 

ツアー中だったため各会場での投票もあり途中経過もMC中に随時発表された。

私が参加した大阪公演では前公演・広島での集計が発表となり、その順位を頭をフル回転させて一生懸命記憶した覚えがある。

その結果はこうだった。

【広島公演での投票結果】

1位 silver bells

2位 HAVE A SUPER GOOD TIME

3位 Happy together!

4位 Wild Style

5位 Theme of Coming Century

6位 夏のかけら

7位 MISS YOU TONIGHT

8位 SPEEDER'S HIGH

9位 Ash to Ash

10位 Born to run

収録曲は8位まで。9位と10位は発表はされたが収録圏外となる。

 

順位発表の際に「三宅さんが自身で作詞した『WHAT’S COOL?』がランクインしていないことにいじける」というのがちょっとしたネタのようになっていた。

よりにもよってこのツアーの1曲目として歌われていた曲だったのだが結果は圏外。その結果に「1曲目にするんじゃなかったよぉー…」なんて拗ねていたのを思い出す。

 

そして最終結果はベストアルバムに収録されたとおりである。なお収録曲の順番と投票結果は異なっている。

Best of Coming Century~Together (CCCD)

【最終結果】

1位 silver bells

2位 HAVE A SUPER GOOD TIME

3位 Happy together!

4位 EVERY DAY

5位 夏のかけら

6位 Wild Style

7位 Theme of Coming Century

8位 SPEEDER'S HIGH

9位 WHAT'S COOL?

10位 僕の告白

 

この結果をふまえ、コンサートが始まった直後だった広島会場での結果と最終結果を比較してみる。

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 上位3曲強し。

「EVERY DAY」は大幅ランクアップで圏外から一気に4位へ。この当時「Happy together!」と「EVERY DAY」はまだ音源化されていなかったため票数が集まるのも頷ける。

投票可能な楽曲の中では「HAVE A SUPER GOOD TIME」が最新曲であり、ツアー名もそこからもじった「HAVE A SUPER GOOD LIVE」だった。

序盤でも最終結果でも不動の1位だった「silver bells」は2000年10月発売の「CHANGE  THE WORLD」のカップリングで、カミセンとしては初となるバラード曲だった。

silver bells - Coming Century - 歌詞 : 歌ネット

 

また三宅さんが圏外に嘆いていた「WHAT’S COOL?」がちゃっかり9位に入ってきているのも面白い。あともう一歩でベストアルバムに収録されたのに、という一番悔しい位置にいるあたり逆に空気を読んでいる気がして仕方がない。

 

この上位8曲に、小枝のCMでも使われていた松任谷由実さん作詞・作曲の「恋のシグナル」、完全な新曲扱いだった「Be with you」を加えた全10曲でお値段は2000円。学生には非常に有り難い価格設定であった。

  

 

「手紙〜未来」と「Be with you」

さてようやく本題である。

2002年のカミコン本編ラストはケツメイシの「手紙~未来」だったのだが、私はこの曲が好きだ。とにかく好きだ。

原曲も好きだがカミセンのカバーの仕方もとても好きだった。ステージ上のスクリーンにはしっかりと歌詞も映し出され、その歌詞がとても印象的だった。

 

手紙 〜未来 - ケツメイシ - 歌詞 : 歌ネット

 

「コンサートのラストが自身の曲ではない」ということは全くの想定外だった私は、当時てっきりカミセンの新曲かな?と思った。

調べるうちにケツメイシの楽曲であることを知り、歌詞カードを見ながら音源を散々聴いた。別に覚えなければいけないわけではないのに「手紙〜未来」と「よる☆かぜ」は全歌詞全メロディ覚えた。

そもそもケツメイシは3人でパートを分けて歌っている。それを1人で口ずさむとなると無理が生じてどう考えても息継ぎが足りず大変なことになる。が、それでもよく口ずさんでいた。

達成感はあるのだが「もしかしてこれって客観的に判断したらラップっていうか念仏みたいになってるのでは?」という悲しい考えに最近たどり着き、「自己満足なので念仏ラップになっていたとしてもまあいいじゃないか」ということにした。

とにもかくにもそんな経緯から、いまだに曲を聴いていると膨大な量の歌詞のほとんどがスルスルと出てくるのだからおそろしい。歌詞というか呪文というか、まあ念仏である。

 

この歌詞に登場する「俺」はもちろん自分のことだが、「君」も10年後の自分のこと。

つまり10年後の自分への手紙、という内容だ。

 

「未熟でも地道に、少しずつ前進しようと決意してもがく現在の自分」が、10年後「思い描く大人になることができているはずの自分」がいることを信じて書く手紙。

その内容は10代の私にもとても近い感性のようで、歌詞のフレーズごとにグサグサと刺さった。正直なところ刺さりすぎてちょっとしんどいな、と思うほど。浸りたい時に聞くにはとても良いのだが時と場合を間違うとネガティブな気持ちが襲い掛かってくる。

頑張っている人間の歌詞というのは、時に頑張っていない人間を冷たく突き放す。

 

そしてこの歌詞は、当時20代前半だったカミセンに重ねても見事にはまっていた。

スクリーンに歌詞を映し出していたことからもこのコンサートの世界観のシメはこの曲に込められたメッセージなのだろう。

 

俺の知らないもの あるだろうが

君の忘れてるもの あるだろうな

手紙は今読まなくていい

十年経つまでは胸の奥に

(「手紙〜未来」/ケツメイシ)

「今の自分」はこれからいろんな経験や知識を得る。でもその中で、「未来の自分」は「今の自分」が抱いている気持ちをきっと忘れていくだろう。

「今の自分」の所信表明であり、「未来の自分」がそれを忘れた時に思い出させるための手紙。

 

その絶妙な歌詞の絡み合い方に、私の涙腺はもれなく刺激された。

なかでも後半のたたみかけるような掛け合いで

「俺は走ってるのか 走り続けてるのか」

と、「未来の自分」に投げかけられる言葉たちには昔から表現し難いなんとも言えない感情を抱き続けている。

 

この先の前途多難も これまでの楽しみや我慢も

 

すべて知る君なら 俺の気持ちにまた

答えても耐えてもくれるだろ

 (「手紙〜未来」/ケツメイシ)

 

 

そこに感じるのは、ただ単に「明るい未来が待っているぜー!」というような夢見がちな楽観視ではなく、漠然とだが今後なんらかの苦難が待っていることを前提としたもの。そんなこれから訪れる困難をも背負っていく覚悟を持って進もうとする意志。

そしてその困難を「未来の自分」なら受け止めてくれるだろ、と軽口のように言う。

 

結局は自分への言葉なのだが、この距離感がなんとも言えない。

「俺は耐えてみせるよ」ではなく「君なら耐えてくれるだろ」とあっさり書くのがとても男性的な歌詞だな、と思う。

なんだか少し無責任なようにも捉えられるこの文面は、自分対自分のことでこう表現するのはどうなのかと思うのだが信頼関係ゆえに発せられる会話のようであたたかくもある。

まだ見たことない 未来で

勇敢に戦う 俺がいる

きっとそうだろ どうなの?

未来のみんなの 状況は!?

(「手紙〜未来」/ケツメイシ)

真面目な部分をあえて少しぼかして伝えるような、そんな距離感。歌詞の中に「!?」が付いていたりするところにもそれが現れているような気がする。

 

決意と覚悟。未来の自分への願いと信頼。そして、過ぎていく時間の中でゆっくりと忘れていってしまう純粋な「今」の感情。

この曲を聞く度にずっと抱き続けていた不思議な感情を紐解いてみたところ、どうやらそんな成分で形成されていたようである。

 

 

 

2002年カミコンの本編ラストがこの「手紙〜未来」。

翌2003年はというと、カミセンベストアルバムに新曲として収録された「Be with you」がその位置を担った。

それが私の中ではすごくしっくり来て、なるほどな、と素直に思ったのだった。

 

Be with you - Coming Century - 歌詞 : 歌ネット

 

02年の「手紙〜未来」は、言ってみれば自分の「内」へ向けた楽曲だ。お客さんに直接的な言葉で何かを伝えるものではない。

が、前へ進み続けるという意志が強くにじむ楽曲だったからこそ胸に響いた。その姿に感極まり、あるいは共感し、ああ明日からも頑張れそうだなあと思える。

 

一方で03年の「Be with you」は、当時メンバーも言っていたが「広い意味での感謝」の曲である。友達・家族・恋人…と、周りの人や取り巻く環境に感謝を伝えるような曲だ。

当然この曲を本編ラストに据える意味はといえば、月並みとも言えるが「ファンへの感謝」である。

 

こうして綴っていると全然違う毛色の曲だなと思うのだが、私の中では「手紙〜未来」と「Be with you」は同じ箱にしまうべき楽曲のように解釈している。

若人特有の、あの将来の見えない感じ。息苦しさを感じてもその中でどうにか自分を奮い立たせなければいけないしんどさ。不安な気持ちになってみたり漠然と途方にくれてみたり。理由はといえば特になかったりするのだから始末が悪い。でも後から振り返るとそんな時期がなんだか貴重だったような気もして、忘れてはいけないことのように思えたりもして。

  

果てない程続く 未知への道

数えきれない人と すれ違って 出会いを導く

それは必然と思える 時空超え過去さえ超えて

笑顔をちょっと忘れ 孤独感じても

そうさ近くにいつも みんながいる

大事にしたい 今の気持ちをずっと…

(「Be with you」/Coming Century)

 

「今」の気持ちというものは、とても貴重なものだ。感情はとても移ろいやすくて、それは瞬時にして失われてしまったり、時間と共に薄れていつか無くしてしまったり。

今この瞬間に思っていることは次の瞬間にはもう「今」ではなくなる。その積み重ねで生きていく中で、果たしてどれだけ未来の自分に「今」を残していけるんだろうな、とよく考える。

 

今現在でいえばそれはこうしてブログを書くことにもつながっているし、たまに引っ張り出してくる日記たちもそうだ。記録するのはいつだって、将来それを読む自分に「今」を伝えるためだ。

 

そんな考え方の根本を築く一因としてこの2曲の存在は大きかったのだなあと、2016年の今、14年越しにあらためて自分の感情を追求してみてようやくたどり着いたのだった。

 

しかしながら、今改めて「Be with you」の歌詞を読んでいると「め、めっちゃアイドルや…!」と恐れおののく。そもそもタイトルからしてその要素が溢れ出ていると思うのだが。

今でこそあの頃のカミセンを見て「とてもアイドルだ…!!!」と思うが、当時の私はそこまで彼らをアイドルらしいアイドルとして認識していなかった。

今になって思えば…ということなんて山ほどあったりするのだから、やっぱりあの頃の私はなかなか盲目な奴だったのだろうなと痛感する。

 

今だからこそ昔を振り返って「これが後にこうなるんだよなあ…」なんて思いを馳せたりもできる。たとえば、10年前の姿と今の姿を並べ、「これが…こうなるんだぜ…」と気持ちを昂ぶらせ感傷に浸ってみたりもできてしまうのだ。

まさか森田さんが舞台方面のお仕事に心血をそそいでいくことになるなんて、まさか三宅さんが手話を学びそれが後の大役につながっていくなんて、まさか岡田さんが日本アカデミー賞を受賞する俳優になっていくなんて、当時まだ誰も知らない。それはきっとご本人にとっても、なのだろう。

 

進んで行く先がまったく予見できない若さがあったからこそ放たれるような、まるで「怖いもの知らず」のようにも感じる絶対的なアイドル感があの時代にはあったような気がする。

でもそれを俯瞰で見て尊さを感じることが出来るようになるのはずっとずっと後のお話で、それが現在でいうところの「今」である。

 

あの当時の「今」は私にとってはもう過去になってしまった。

「手紙〜未来」の歌詞で言うなら「今」の自分の立ち位置ではなく「未来」の自分の立ち位置のほうに共感するような、そんなところに立っているのだ。

 

 

 

ただ「『手紙〜未来』のことを書きたいなあ」と思っただけだったのだが、気づけば「2001年〜2003年に見たカミセンは私の中でとても"Coming Century"だったなあ」というちょっと大きめな話になってしまった。

これ以上話を広げると手に負えなくなりそうなので今回言及するのはひとまずここまで。

 

思い返せば思い返すほど、なぜあの3年間のカミコンを映像化してくれなかったのか…といつまでも悔やむ私がいるのだった。

 

 

「君の名は。」の関連書籍がオススメすぎるので紹介したい【小説・外伝小説・公式ビジュアルガイド・パンフ】

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大ヒット公開中の「君の名は。」にハマっている。すでに劇場で2回観たのだが、さらにおかわりしようと考えているほどである。

映画を見たあと、小説・外伝小説・パンフレット・公式ビジュアルガイド…と、ひととおりチェックした。

読み進めていった中で見えてきたものはとても大きい。これはとにかくオススメしたい!」という感情でいっぱいになってしまった。

 

読めば読むほど発見がある。そしてそれは映画自体にもより厚みを持たせるものであり、2度目に映画館に行った時にはさらに感動が増した。

 

ほんとうは物語そのものについてネタバレを含みながらああだこうだと綴ろうと思っていたのだけれども、それよりも前に、とりあえずこれだけでもお伝えしたい。

 

映画を観て感動された方には、ぜひ小説も読んでいただきたい。 

 

とにかくオススメなのである。

これはもう一言では説明しきれないので、いっそのこと小説、外伝小説、パンフレット、公式ビジュアルガイドについて、どの本がどういった理由でどうオススメなのか、をまとめてみることにした。

さらに書籍ではないが、RADWIMPSによるサウンドトラックアルバムについても触れておきたい。

 

なお今回は、書籍を読んでから映像を見ようという方もいらっしゃるかもしれないのでストーリーの結末についてのネタバレは避ける

私自身も書籍を購入する際にレビューなどを参考にさせていただいたので、この記事が少しでも何かの足しになれば幸いである。

 

 目次

 

 

 

 

 小説版「君の名は。」

小説 君の名は。 (角川文庫)

小説 君の名は。 (角川文庫)

 

この小説は、映画をノベライズ化した作品である。

執筆された新海誠監督は、この小説のあとがきにおいて「どちらが原作かといえば微妙なところ」としている。

そもそも「映画のノベライズ化」というものは完成された作品があってのものなのだが、少なくとも監督がこのあとがきを書いている時点ではまだ映画は完成していない。具体的にいえば「完成まであと3ヶ月くらいはかかりそう」という時期にあたり、アフレコも済んでいない状態の頃である。

 

「本書を書いたことで自分の中で刷新されたイメージもある」と語られていて、そのイメージはアフレコへも影響していきそうだ、ということも書かれている。

この小説にはそんな、「映画を観ただけでは拾いきれないキャラクターたちの性格や感情の断片」のようなものが散りばめられていた。

 

映画ではただひたすらにかっこよく/かわいらしく描かれているキャラクターが、思った以上に人間的な思考をはらんでいたりする。 

 

たとえば、三葉が豊穣祭で巫女舞を踊るシーン。

親友であるサヤちんとテッシーが見にきていたのだが、実は三葉は「来るな」と前もって念押ししていたらしい。舞の最中に視界の端に2人の姿を見つけた三葉は「呪ってやる」と思いながら踊っていたのである。

 

舞の後には「口噛み酒(米を噛み唾液と混ざった状態で放置するだけで発酵しアルコールになるという日本最古の酒)」を公衆の面前で作る儀式がある。

もぐもぐと米を噛み吐き出す、それをちいさな枡がいっぱいになるまでひたすらに繰り返す、という儀式である。年頃の女の子が行うには酷で、もちろん三葉はこれが嫌で嫌でたまらない。

不満たらたらな様子は映画でも確認できたのだが、小説においては「思わず神社ごと爆破したくなる」という表現もあり、おおよそ巫女らしからぬ心情が多々登場する。

映画を観たあと、私の中で三葉のイメージは「古き伝統を守り続ける神社の巫女であり長女で、しっかり者」というニュアンスのものだったのだが、どうやらそうでもないらしい、ということは小説を読んでわかってきた。

 

一方、もう一人の主人公である瀧については映画を観終わったあと、心のなかでただひたすら「かっこよすぎか…!」と反芻してしまった。

作中に「イケメンである」という描写もとくには無く、彼が「君の名は。」の世界でイケメン属性の人物なのかは判断しかねた。

しかしそういった判断基準を放っぽり出してただただ「かっこよすぎか…!」「イケメンか…!」を繰り返すしかなかった。老若男女問わず、観た人すべてが思わず「瀧くん…」と呟きたくなるのではないか。そんな風に思えた。

 

先日劇中シーンを描き下ろしたという新ビジュアルが公開されたのだが、このシーンがちょうどその「かっこよすぎか」と思わされたあたりである。

 

小説を読むことによって瀧くんの印象がどう変わったかというと、「かっこよすぎるキャラ」ではないということである。

映画ではセリフ化されていない瀧の心中の言葉まで読めることで、そのキャラクターの性質がより深く掘り下げられる。

その結果、私の中で「とにかくかっこよすぎた瀧くん」は、「わりとヘタレなところがあるけど結果的にかっこいい瀧くん」というところに落ち着いた。

ちなみに外伝小説のほうまで読むと「わりとスケベ、なんだか愉快なヤツ」という印象も付け足されたのだが、それは後述する。

 

映画を観て、瀧を一段高いところに祀って「かっこいい!!」と言いたい方にはもしかすると小説は蛇足であるのかもしれない。

が、その幻想が取っ払われてこそ活きてくる面もある。「かっこよすぎる(ように見えた)瀧くん」が実はどう思っていてなぜああ言ったのか、なぜあんな表情になったのか。それを把握することは感動をより濃くすることに対してはとっても有効である。

 

物語の核とも言えるキャラクターたちの切実な想いを知ることは、本当の意味でこの映画を理解するためにとても必要なことなのだ。そう強く思わされるとてもよいノベライズ本であった。

 

「執筆する予定のなかったノベライズ本が生まれた理由」

当初、この小説は書かれる予定はなかった。その考えを一転した理由を、監督はこう語っている。

その理由は、どこかに瀧や三葉のような少年少女がいるような気がしたからだ。この物語はもちろんファンタジーだけれど、でもどこかに、彼らと似たような経験、似たような想いを抱える人がいると思うのだ。

(中略)

そしてそういう想いは、映画の華やかさとは別の切実さで語られる必要があると感じているから、僕はこの本を書いたのだと思う。

(小説「君の名は。」/新海誠氏によるあとがき)

切実さというものは、文章によってこんなにも浮かび上がらせることができるものなのか。

この小説を読んでそういう部分でも感動を覚えた。

映像を見た後で原作となった小説や漫画・もしくはノベライズされた本も読んでみる、という手順をたどることは少なくない。むしろ私なんかはすすんでやってしまうタチの人間である。

が、これほどまでに、映像化する意味/文章化する意味を呈示された作品はほんとうに初めてだったのだ。

 

ノベライズ本だからといって、映像をそのまま丸写ししたに過ぎない物では無い。

かといってノベライズ本だけ読んでも、あの細やかで繊細な映像には絶対にたどりつけない。

観る意味/読む意味について、「こういうことか」と理解してしまったような気になってしまうほどには納得させられてしまった。

 

またこの小説において感想を語るのなら絶対に触れておかなければいけないことがある。RADWIMPSが生み出した、この物語を彩る音楽の存在だ。

 

その存在は、ノベライズにまで大きな影響を与えた。

ここから少し楽曲について感想を書くが、これはイコールとして小説の感想でもある。この関係性の素晴らしさも、私がこの小説をオススメしたい理由であるし、合わせてこのサントラもオススメしたい。

 

「RADWINPSの音楽と、小説の関係性」

「今回、小説は書きません」

そう宣言していた新海誠が、野田洋次郎の音楽によって書かされた。

小説に音は鳴らせない。でもRADWIMPSの曲がここから聴こえてくる。

運命的な出会いがもたらした、稀有な小説だと思う。

(小説「君の名は。」/映画版プロデューサー・川村元気氏による解説)

 

作中に登場する音楽は、歌声の入っていないものまで含めてすべてRADWIMPSが担当している。

君の名は。(通常盤)

君の名は。(通常盤)

 

歌詞があるものは全部で4曲ある。

「洋次郎さん(RADWIMPS・ボーカル)の声は、瀧と三葉にならぶこの映画の主役です。」

(「君の名は。」パンフレット/新海誠監督インタビューより)

監督インタビューの中でこの言葉もすごく印象的だった。

 

オープニングとして、物語を予感させながら伏線要素もふくんだ映像とともに流れる疾走感たっぷりの「夢灯籠」

夢灯籠

夢灯籠

  • RADWIMPS
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

映画が映像として立ち上がるそれよりも前、脚本の第一段階ですでにあったという、映画の核となるような"想い"を感じさせる「前前前世」

この曲は「君の名は。」の顔とも言える存在ではないだろうか。


「君の名は。」予告

 

正直、この映画の予告を映画館で観た時点で「ずるい」と思った。「こんなの見たくなるに決まっているじゃないか」、と。

"男女が入れ替わる"というある意味ベタとも言える要素に、この疾走感。

なぜ予告やCMだけでこんなにワクワクしてしまうのか?と考えた時、BGMとして流れるこの曲が背中を押す部分は大きい。背後から背中を思いっ切り押されて走らざるをえないような、あるいは前から両手を思いっ切り引っ張られてどこかへ誘われるような、そんな不思議な高揚感を抱かされた。

映画がヒットしている理由のひとつには間違いなくこの「前前前世」の存在があるぞ、それくらいこの楽曲がかもし出している世界観はすごいぞ…と、何の根拠もないのになぜか確信して疑わないほどには私はこの曲に引っ張られている

 

映画を観たあと音源をずっと聴いている。

「前前前世」については歌詞の大体が頭に入ったくらいのタイミングで2回目の映画観賞となったのだが、映画ではCDに収録されているものと違う歌詞が入っていることに気が付いた。

「映画版にしかない歌詞があるんですよ。

『私たち越えれるかな、この先の未来、数え切れぬ困難を。言ったろう?2人なら笑って返り討ちにきっとできるさ』

という歌詞。これってすごく普遍的ですよね。劇中の瀧と三葉の想いを語る言葉でもありつつ、思春期そのものを語る言葉でもあるじゃないですか。その歌詞を聴かせるために、劇中のセリフを削ったりして。

(「公式ビジュアルガイド」/P60 新海誠氏インタビューより)

映像が出来上がるずっと前、企画段階から参加してきたRADWIMPSがつくった楽曲。それは物語をその通りに歌詞に落とし込んだわけではなく、同じ温度・同じ方向・同じ世界観・同じ思想をもとに違った角度から描かれたもの、というように感じた。

とても近く、むしろ同じものである。

でもどこか物語とは違う要素も含まれていて、それなのにその核にあるのは同じものであり、この楽曲こそが「君の名は。」そのものなのだ、と感じさせられてしまう。

 

以下に歌詞のリンクを貼っておく。物語を知っている方にはおそらく「ああ、」と思える歌詞であり、まだ知らない方においては想像が膨らむ言葉で溢れているのではないかと思う。

夢灯籠 - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット

前前前世 (movie ver.) - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット

スパークル (movie ver.) - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット

なんでもないや (movie edit. + movie ver.) - RADWIMPS - 歌詞 : 歌ネット

 

RADWIMPSが「君の名は。」の世界観に寄り添うようにつくった楽曲たちは、しっかりと想像をかき立て場面を華やかにさせる。

その中には知らず知らずのうちにミスリードされていたように感じられる部分もあった。

「こんなの見たくなるに決まっているじゃないか」、そう思わされて映画館に足を運び、観終わった後に「やられた!」と思わされてしまうこの感覚。しかもそれが、がっかりするような類いのものでは無いあたり、ますます「やられた!」と思ってしまうのだからどうしようもない。

 

観賞前に「ぴあ映画満足度ランキングにおいて観客の満足度が高かった」という記事も目にしていたのだが、「なるほど」と思わず頷きたくなった。

 

駆け抜けるようなさわやかな疾走感や、胸がしめつけられて身動きが取れないような切ない瞬間。そんな緩急を演出する役目を「音楽」という要素は担っている。

 

たとえば、画面上のキャラはそこに立っているだけであるのに今にも走り出さんとするような高揚感を覚える。全力疾走している場面なのにまるで時間が静止しているかのように穏やかな時間が流れる。

それはなんだか魔法のようにも感じられて、なんとも不思議な体験だなあと思った。

 

で、ここで小説の感想としての話に戻る。 

この「君の名は。」の、"物語"と"楽曲"の結びつきをより一層濃くしているのがこの小説に他ならない

 

全8章からなるこの小説の第7章、クライマックス寸前のこの章につけられたタイトルは「うつくしく、もがく。」

ストーリー展開でも特に壮大で一番のみどころとも言える部分にもあたる。

「うつくしくもがく」という言葉はこの場面で流れる「スパークル」の歌詞からの引用されたものだ。 

スパークル

スパークル

  • RADWIMPS
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

これは新海監督がRADWIMPSの楽曲に強く惹かれ、あえて小説に引用したものである。引用するにあたり両者間のやりとりはなく、RADWIMPS側がそれを知ったのは公式ビジュアルブックに収録されているインタビューの場で、それについての感想も語られている。 

 

また小説の中で「あとすこしだけでいい。もうすこしだけでいい。」という言葉が繰り返し登場するシーンがある。

これは「なんでもないや」の歌詞からの引用だ。

なんでもないや

なんでもないや

  • RADWIMPS
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 監督でさえも「これこそが自分が描きたかった世界観だと気付かされた」というこのフレーズ。それはすなわち、もともと物語を生み出した監督の脳裏にはなかった言葉であり、つまりは完全に楽曲から引用したもの、ということになる。

 

あとすこしだけ、もうすこしだけ。

そう願うのに、その先に続く感情は本人にさえもわからない。でもただ漠然とそう願いつづけている。その姿に漂うせつなさは曲の世界観と見事に一致していて、読みながら鳥肌がたった。

この曲は映画のために作られたものである。ということは映像に当てるためという目的で作られたはずだ。それなのに、私は文章を読みながらこの曲の存在をそこに確かに感じて、鳥肌がたった。

 

「小説に音は鳴らせない。でもRADWIMPSの曲がここから聴こえてくる。」

前述したこの映画のプロデューサー・川村元気氏のこの言葉のまさしくそれである。

 

物語をつくる。そこから生まれる曲がある。そしてその曲から新たに広がり、さらに深まる世界観がある。それをもっと濃く描くための小説が生まれた。

その小説を読みもう一度映画を見た時、ようやくその全容にすこしだけ手が届いたのかもしれない、と思えた。

 

1回目に映画を観た時、自分でもなんだかよくわからない感情でひかえめに泣いた。

そして小説を読んで「うつくしく、もがく。」からの展開にはさらに泣いた。

2回目の映画を観た時にはもちろん大号泣である。

 

そこに描かれているものがどういうものなのかわかったからだ。

 

うつくしくもがく。もう、その表現以外にしっくりくる言葉が見つからなくなってしまった。

もがく、ということは本来美しい言葉ではない。

でもその「人間が人間らしく、純粋な感情に一生懸命になること」には、言いようのない美しさが伴うものなのではないか。人の胸を打ち何かを動かすのはきっと、そういう真っ直ぐなものであるのだと私は信じていたい。

 

また、2回目に映画を観た時に大号泣した理由。作中の登場人物たちの「ひたむきさ」が大部分ではあるのだが、きっとそれだけではない。 

 

映像・音楽・小説が強く結びつき、どれが欠けても成り立たなくなるのではないか?と思えてしまうほどの作品が出来上がったこと。

そのクリエイター同士の化学反応のようなもの、を素人ながらに「もしかしてこれって奇跡なのでは?」と感じてしまっている自分がいたこと。

 

私がもしおすぎさんと入れ替わることがあったのなら、「この作品は奇跡です!!!」とでも言ってしまうのだろう。

私自身が言ったら説得力のかけらもない安っぽいセリフであるが、おすぎさんとして発することができたならそれはさぞかし強かろう。ぜひとも言ってみたい。

だからといって「えっ、おすぎさんと入れ替わりたいの?」とつっこまれると正直微妙である。おすぎさんだってこんな奴と入れ替わるのはまっぴらごめんだわと吐き捨てると思う。想像したらおすぎさんに若干申し訳なくなってきた。

 

…と、そんな小ボケはまったくもって蛇足なのだが、とにかくその圧倒的な世界観に胸を打たれるばかりだった。その成り立ち方にも、出来上がった作品にも。

ひどい言葉で言ってしまうのなら「ただ1本のアニメ映画を観ただけ」という話なのだが、その言葉で収束させるのはあまりにも惜しい。

はじまりは頭の中にしか無かったものが、多くの人が携わって大きなものになっていく。その行程を知ってしまったら、今度はその奇跡にも感動してしまう。

 

この小説はそういう意味では作品のすべてを結びつけるような役割を担っているのでは無いかと思う。

ということで何が言いたいかというと、「とにかくオススメ」なのである。

 

 

 外伝小説「君の名は。Another Side:Earthbound」

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)

 

脚本協力として参加していた加納新太氏が書いたアナザーストーリー。

映画の脚本が書き上げられていく中で削られてしまったアイデアも盛り込まれているため、本編では触れられていない部分も描かれている。

 

全4話に分けられているこの小説は、各章それぞれに主人公が変わる。

第1話の主人公は瀧。そこから順にテッシー、四葉、俊樹(三葉・四葉の父)と物語が続く。

 

前述した小説版「君の名は。」の感想の中で、瀧について『外伝小説を読むと「わりとスケベ、なんだか愉快なヤツ」という印象も付け足された。』と書いたのだが1話がまさにそれだ。

タイトルからして「ブラジャーに関する一考察」なのだから不穏な気配を感じざるをえない。本編では削られたという「男女の中身が入れ替わることにより発生するコメディ要素」はこの話に詰め込まれている。

 

とはいえ作中に描かれているのは、そんな男子的な目線から見た一考察だけではない。

三葉の姿でマイケル・ジャクソンのダンスを踊って彼女から「マイケル禁止」を命じられるのには思わずニヤッとしてしまうし、三葉として過ごす中で彼女の抱える複雑な事情が見え、次第に彼女に興味を抱いていくその様子もうかがえる。

 

本編中ではあまり素が見えにくかった「立花瀧」という人物が、思っていたよりも17歳らしく、思っていたよりもわかりやすい感情の流れを持ち合わせているのだということがわかってくる。

しかしながらこちらの小説もやはり、瀧くんを「少しばかり謎に包まれたどこか影のあるクールボーイ」にしておきたいのならば読まないほうがいいかもしれない。

 

2話のテッシーの話は、これが非常に深い。

糸守という田舎町が抱えているのは豊かな自然や伝統ばかりではない。町にただようのは狭く、濃すぎる関係であるし、そのなかには悪習とも言える歪みのようなものも生じたりもする。

この感覚はもしかするとある程度の「都会ではない地域」で暮らしたことのある方ならみんな共感できるのではないだろうかと、都会ではない地域出身の私は思っている。

 

地元土建屋の跡取り息子として、この狭く濃い町でずっと生きて行くことがほぼ決まっているテッシーも複雑な想いを抱いている。この町が大嫌いで、でもこの町が好きで、鬱屈とした気持ちを抱えながらもその中で折れずにどうやってこの町を良くしていくか。誰かにやってもらおうという考えではなく「自分がしていくんや」という熱い想いを抱いているのである。

 

その責任感はとても気持ちがよく、本編においても「テッシーいい奴!」と思ったのだが、外伝を読むと「テッシー……!!」と思わず呟きたくなるほどさらにぐっとくる。

テッシーの目線から見た「糸守町」の内情は、実は「三葉が抱える事情」を理解する上でもとても大事なものだ。

 

3話は三葉の妹・四葉の目線。

入れ替わり状態の姉の不審な様子を心配する可愛らしい妹としての姿、さらに宮水神社の巫女としてのしきたりの様子などその暮らしがわかるものになっている。

 

思わず笑ってしまったのは、祝詞(神前で祈る言葉・宮水神社では"申立"と言う)の子供なりの訳。

四葉が覚えている祝詞は初歩的なものであるのだが、それでも昔ながらの日本語はまだ理解するには難しく、フィーリングでこんなふうに解釈しているのだった。

「神様、今日もみんなが平和で豊かに暮らせるのは、ぜんぶ神様のおかげです。どうもありがとね。いつかあの世に行ったら私も神様にしてね。そしたら私も子孫とかスゴイ勢いで守っちゃいますよ。あの世もこの世も両方ハッピーだったら最高だよね。そんな感じでよろしく。チャオ。」

(「君の名は。Another Side:Earthbound」/163ページ)

こうして子供らしい表現に置き換えられるとわかりやすい。

その一方で逆にその「神道らしい」ともいえる理念の、宗教的な要素が際立って感じられる。この四葉の解釈はまだまだ幼い子どもの視点からのものなので少々滑稽な表現となっているためなおさらだ。

 

宮水神社の事情について描かれているのは、第4話も同じくである。

三葉・四葉の父である宮水俊樹がいかにしてこの町を訪れ、2人の母である二葉と出会い、どのようにして宮水に婿に入ったか。そして、なぜ出て行ったのか。何を思惑として、糸守町の町長となったのか。

 

本編での俊樹は人間味のない冷たい人間のように描かれているため、嫌悪感を抱いた方も少なくないだろう。その行動においても深く語られることはなく、私たちが捉えられる情報は「彼がどう動いたか」という眼に見える範囲での結果のみである。

映画では完全なる脇役にしか過ぎなかった彼が内に秘めた、宮水という家と糸守町という土地に対しての感情。

俊樹目線で見た三葉は果たしてどう映っていたのかという部分も明らかになっている。

 

 

この本に収められた4話すべてに共通して言えることなのだが、外伝を読んでいたからこそ浮かび上がる感覚がたしかにある。

さまざまな目線から描かれた「糸守町」。そしてさまざまな目線から描かれているのにもかかわらず、どこか少し他者には見せない内面を抱いている「三葉」という人物像。

 

新海誠氏が書いた原作を「五・七・五」とするならこの外伝はそれに「七・七」を足していったようなもの、というのは執筆された加納新太氏による言葉だ。

「五・七・五」でも確かに物語は成り立つ。でもそこに「七・七」を加えられるとしたら表現できる範囲はぐっと広がる。

映画に興味を抱き「あとすこしだけ、もうすこしだけ」その世界観をくわしく知りたくなった方には非常にオススメしたい1冊だ。

 

 

 

 

映画パンフレット

全44ページ、劇場で販売されているパンフレット。720円。

キャラクターを演じたキャスト・スタッフのコメントや監督インタビュー、キャラクター相関図や設定、美術背景なども掲載しながら「君の名は。」の世界観がまとめられている。

また、「映画がはじまる前にパンフレットを先に読もう……って、ウワアアアめちゃくちゃネタバレじゃんこれ…やってもた…」という失敗のない、ネタバレなしの安全仕様になっている。 

話が少し逸れるが、予告にしろCMにしろパンフレットにしろ公式側が出してくる情報に重大なネタバレが一切なく、まったくそれをにおわせないのが本当に巧妙で見事だなと思う。

パンフレットに掲載されている設定画の1つでは、そこに書き込まれた小さな文字にネタバレになる要素が含まれていたのだがその部分だけきれいに消去されていた。(ビジュアルガイドに掲載された同画には入っている)

 

そんなパンフレットもオススメではあるのだが、これについては少し待ったをかけたい。

「君の名は。」の関連書籍には「公式ビジュアルガイド」というものもある。

パンフレットと公式ビジュアルガイドには共通して収録されているものもあり、どちらか片方だけでいい・より詳しいものがほしい、という方にはビジュアルガイドのほうがオススメである。

 

 

公式ビジュアルガイド 

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

 

全128ページ。現時点で「君の名は。」を一番網羅した書籍はこれである。

定価1,600円なので高すぎず、かといって安すぎず、私自身も買うべきか買わざるべきか少し悩んだので参考までにその内容を紹介する。

 

まずはじめに43ページにわたる「ビジュアルストーリー」。

美しい劇中カットをたっぷり使いながら、ストーリー展開をしっかりと紹介。場面の状況も細やかに説明されているので意外と「ああそういうことだったのか」と気付きもあった。目を通しただけで映画をしっかりと思い出せるくらいにはボリュームがある。

ストーリーが網羅されているため完全にネタバレを含む

なんなら映画を観ていなくてもこのビジュアルストーリーだけで内容が把握できてしまう。

 

続いて掲載されているのは、主役を演じた神木隆之介さん・上白石萌音さんの対談と、新海誠監督と神木さんの対談である。

その中で特に驚いたのは、瀧を演じた神木隆之介さんの発言から見えるガチ新海誠監督作品ファンっぷり。三葉を演じた上白石萌音さんとの対談では、彼女から「"新海誠"学の博士号を取れる」と言われている。

熱烈とも言える言葉の数々は、ファンというより強火オタに近いかもしれない。

 

過去作も含めて新海誠作品の魅力を語っているのだが、感心したのがその言葉選び

これがライターさんによって脚色が加えられたものでないのなら、彼は相当に聡明な方なのだろうなぁ…という印象を受けた。熱く物事を語る上でその感情にきちんとした言葉が伴い、なおかつわかりやすい。熱量を言葉として的確に表現出来る人なのだなと思った。

 

インタビューは、新海誠監督、安藤雅司作画監督、キャラクターデザインの田中将賀さん、音楽を担当したRADWIMPS、脚本協力を担当し外伝小説も執筆された加納新太さん。

テキストだけで計18ページ程度あるので読み応えは十分、各セクションにおける製作過程が語られていてとても興味深かった。映画を観たあとで本も購入したいと思われる方の目的として「作品の裏側を知りたい」という部分は大きいはずで、その期待に十分応える内容である。

 

キャラクターガイド(全16ページ)や美術/小物設定(全10ページ)などはパンフレットに収録されているものとかさなるものもあるが、収録量はもちろんビジュアルガイド>パンフレットである。美しい背景においても、パンフレットでは2ページのみの掲載だったものが、こちらでは8ページ掲載されている。

 

きっといろいろな関連商品を手に取り、最終的にたどり着くのがおそらくこの本だと思う。

値段に見合った内容量の本だ。そして「君の名は。」の世界観がぎっしり詰まっている。

 

が、正直な話、最近の私はこの本が部屋にあるだけでテンションが上がっている。ちょっとキモチワルイ人だなと自分でも思うのだが、それくらいの満足感がある。

感想を端的に表すのなら、『「君の名は。」が好きな人にとっては、心がほくほくする本』だ。

 

 

私がオススメする「各関連書籍を読む順番」

ここまで各書籍についての感想を書いてきたが、最後にそれらを読む順番についても言及しておく。

私自身は、【映画①】→【小説】→【外伝小説】→【映画②】→【パンフレット】→【公式ビジュアルガイド】という順番をたどった。

手探りで進んだわりにはこの順番にまったく後悔はしておわず、むしろ結果オーライ・大満足である。

 

後々になって知ったのだが、ツイッターの「新海誠作品PRスタッフ」アカウントにおいてこんなツイートを見つけた。

偶然にもこのツイートでオススメされている順序とほぼ同じ道をたどっていた。なんなら小説を読みながらサントラもかけていた。ドンピシャが過ぎていっそお恥ずかしい。

とはいえ、公式ともいえるアカウントからのこのツイートに、もしかして結果的に最良の道を辿れていたのかもしれないと少し自信がついた。

私の、というよりはこの公式さんが提示されているこの順番が非常にオススメである、というのが実際に体感してみた側としての感想である。

 

 

ということで以上が「君の名は。」の関連書籍に対する私の感想だ。

読めば読むほどその世界観にどんどん引き込まれ、とても貴重な体験をした気持ちになった。興味のある方はぜひこの感覚を実際に体感してほしい。 

 

 

 

長野博さんの結婚発表で思ったこと

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2016年11月29日、長野博さんが白石美帆さんとの結婚を発表した。

それは突然の出来事で、「まさに青天の霹靂だ!」なんて日常で使い慣れていない分不相応な言葉もうっかり使ってみたくなってしまう程度には衝撃的なニュースだった。

 

アイドルの結婚は年齢や状況から「そろそろなのかも…」なんてぼんやり予測ができていたとしても、どれだけ心の準備ができているつもりでいても、第一報を受けた時にはそれなりの衝撃を伴うものなのだろう。

 

9年前、井ノ原さんが結婚した時にも当時思ったことを文章にしてみた。

何年も経ってそれを読み返した時「なんとウザい文章だ」、と思ったことも否めないのだが、なにより「文章として残しておいてよかったなあ」と思えたので今回もちゃんと記録しておくことにする。

 

突然の結婚発表・入籍、当日の生放送番組出演、その中で思ったことについて。

目次

 

 

 

11月29日=いい肉の日

11月は、語呂合わせのせいもあって何かと記念日が多い。

有名どころでいえば11月22日の「いい夫婦の日」だろうか。とにかく1ヶ月間「いい◯◯の日」と称される日が毎日のように続く。

 

とくに毎日ラジオなんかを聞いているとDJさんが話題にすることも多く、29日まで来ればともうすっかり慣れてしまって、「ああ今日は『いい肉の日』か」と教えられなくとも思い浮かぶ。 

わかったわかったもうわかった、「11=いい」にしたがる日本人的な語呂合わせ記念日の法則につきましてはもう十分に堪能させていただいた。まもなく12月、ようやく「いい月」の法則ともおさらばだ…と思いながら、私は29日の「いい肉の日」を迎えたのだった。

 

この日の朝のニュースではお肉特集も組まれていて、その中で「肉の3倍の量の野菜を食べましょう」と専門家が言っていた。

慌ただしく支度をしながらその話が耳に入り、私は長野さんのことを思い出したのだった。

 

その昔トニセンコンサートの中で、井ノ原さんが作詞・作曲した長野博ソロ曲「グルメは巡る」。 

「はしご酒ならぬはしご肉」という歌詞に終わるその曲は、焼肉について歌った演歌である。

その中に「肉の2倍サンチュ食べて」という歌詞があったのだ。

演歌らしく着物で現れた長野さんは、大真面目な表情で「肉ばかり食べちゃダメ DA ダメ」と歌う。何度も言うがこれは演歌である。

 

演歌らしからぬ歌詞。背後に映し出されるのは上半身裸に紙エプロンを装着し焼肉を食らう映像。途中で照明が暗くなり、仕込まれた電球が光り輝きはじめる着物。

そんな姿で右へ左へ練り歩く長野博。Jr.に懐中電灯で顔を照らしてもらう長野博。

 

そのとんでもないステージに爆笑する客席とは裏腹に、彼の表情にヘラヘラした笑いなどない。

これこそプロフェッショナルの仕事である。 

 

何のプロだよ、と文章を打っていてつっこんでしまったが、そういうところが長野博の真骨頂でもあると思っている。真骨頂という言葉は正しくないのかもしれないが、とにかく私はジャニーズアイドル・長野博が謎にストイックに追及する笑い、の要素がめちゃくちゃ好きなのだ。

真剣な顔で真剣にふざけたことをやる、そういう人が私は好きである。

 

話題が逸れた。

とにかく、あの当時お肉大好き系女子高生だった私の頭には「肉の2倍野菜を食べなければいけない」ということがインプットされてしまった。

Produced by 井ノ原快彦・Presented by長野博による大爆笑を誘う演歌、の、信憑性があるんだかないんだかわからない歌詞によって。

 

それから長く頭の片隅に「肉の2倍野菜ルール」は残り続けていたわけなのだが、言ってみれば迷信のような、なんともふわっとしたものとして捉えていた。

そのルールが、専門家による「肉の3倍の野菜を食べましょう」という言葉によって覆されたのが2016年11月29日の朝である。

「だからどうした」という話なのだが、私の中ではなかなかの衝撃だった。

 

お肉大好き女子高生がお肉大好きアラサーになるくらいの長い間、なんとな〜く頭の中に居座り続けたルールが、なんとな〜く信じていたのに違っていた、という衝撃。

 

「2倍ちゃうやん!3倍やん!!!」

というツッコミが脳裏を駆け抜け、じわじわと笑いがこみ上げてきた。

数値がビミョ〜に違うこのズレ方もそうだが、10年以上も前のことに対して心のフォントサイズを大にしてツッコんでいる自分がなんとも可笑しく、「なにこいつ?」と、最終的に自分自身の滑稽さが面白くなってきた。

 

そんな経緯がありこの日は朝から長野さんのことが頭に浮かんでいたのだった。

 

「いい肉の日」 の朝からグルメアイドル・長野博のことを思い浮かんでしまった私って一体…と、決して「意識高い系」の意味ではなく、むしろ少し自虐的に我に返ったのだが、ここからとんでもない展開が待っていたのである。

 

 

ツイッターで第三者から知る第一報

朝9時頃だったか。ツイッターを開いた私はただならぬ雰囲気を察知する。

ありがたいことに私のタイムラインには直接的な言葉はなく、ツイッター上での第一声だったと思われるツイートが流れてくることもなかった。

 

ざわつくタイムライン上でわかったのは、「誰か」が「何か」をツイートし、しかもそれが「こういう形で知りたくなかった」というあまりよろしくないモヤモヤを生み出している、という事態だった。

 

そして次にトレンドワードをチェックすると「長野くん 結婚」の文字。

 

くわしく調べてみると「ファンクラブから配達日指定で届けられた結婚報告の郵便を朝一番に受け取り目を通した方がツイッターでつぶやき、ネタバレになってしまった」ということだった。

 

つまり、インターネットという媒介が存在しなければ、もっと多く方がファンクラブからの郵送物で今回の結婚報告を直接受け取ることができたはずだったのだ。

 

ファンクラブからこの日届いたのは、通常会報などが届く際に使われている水色の封筒とはまったく違う、真っ白な封筒に入れられた結婚報告のカード。

 

私はこれを手にする前にネットで情報を知ってしまったが、もしもこれが「結婚報告」なのだと知らない状態で受け取っていたのならばどんな気持ちになれたのだろう。

おそらく、いつもと違う雰囲気で届いたそれを不思議に思い、封を切り、カードの表面に金色で書かれた差出人の名前でなんとなく把握し、カードを開き、その文面を読み、いろんな気持ちでいっぱいになっていたのだろう。

そういう感覚を味わう機会をうばわれてしまったことは、やっぱりすごく残念である。

 

一度知ってしまったものは、決して取り消すことはできない。

正直今までも知りたくなかったネタバレに事故のように遭遇し、すぐに目を背けて「えっ、今見たか…?いや見てないな!私は見ていない、気のせい、見間違い…」と大人げなく振り払おうとしたことがあった。

が、やっぱりどうしても無理なのだ。

 

「情報」はあくまで「情報」だ。でも、それをどう知るか。知り方次第でそれは1にも100にもなる。

重要なのは「情報」だけでなく、その「知り方」のほうにもあるのかもしれない。

場合によっては「知り方」のほうこそが本質になることもある。そんなことを今回痛感したのだった。

 

このファンへの結婚報告への流れは、関係者からの情報漏れも無く、あとから考えてみると「よくここまで上手く事を運んだなぁ…」と感心してしまうほどに順風満帆、真っ当な手順を踏んで進んでいる。

 

ファンクラブから届いた郵便物を受け取ったファンがインターネットに書き込みそこから情報が拡散される。それは公式サイドからすれば十分に「成功」の範疇だろう。

マスコミにかぎつけられることもなくファンのもとに知らせを届けることができた、ここまでで作業を完了できている。

が、実はファンとしては「しっかりと郵送された"それ"を何も知らずに受け取る」というところまでをやって、そこでようやくこの手順を本当の意味で完了させられるのだ。

 

それこそが「公式」だったはずなのだが、うっかりインターネットで第一報を受け取ってしまった私は、この知り方を"大事故"と名付けよう…と遠い目をしながら思うし、非常に悔いが残る結果になった。あと一歩のところだっただけになおさらだ。

 

まあそうは言っても、結局のところ仕方がない

インターネットがここまで普及した時代のせいもある。注意しようもなかったのだが自分の不注意とも言えなくもない。

結局正午ごろには関係各位へ結婚発表のファックスも届き、その報道を受けてようやく正式発表されたという認識に切り替えた。

  

盛り上がりを見せたツイッターでは、一時こんなトレンドワードが上位に並んだ。

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1位が長野くん、2位がいい肉の日。

まさしく「ジャニーズの魯山人」と呼ばれるにふさわしい並びに、思わずニヤっとしてしまった。

「全部三ツ星! V6長野博の食べ歩きガイド 美味博愛 (BIMI HAKUAI)」 (TOKYO NEWS MOOK 337号)

「全部三ツ星! V6長野博の食べ歩きガイド 美味博愛 (BIMI HAKUAI)」 (TOKYO NEWS MOOK 337号)

 

 

 

今回こういう形で長野さんの結婚を知ることになったことで、改めて「ネタバレ」について考えた。

誰もが自由に発言できるツールが手近にあるからこそ、たまには省みることも必要なのかもしれない。特にネタバレを含むものは「誰かが体験するはずだった感動」を奪ってしまう可能性がある。

 

許容範囲に個人差があって足並みをそろえるのが難しいネタバレ問題だが、今回のケースではその内容が「結婚」。アイドルのファンとしては超重要項目であり「知り方」にとても大きな意味があった。

そういう内容の扱い方については慎重でないといけないし、今後も頭の片隅に課題として置いておかなければいけないと、つくづく思った。

 

 

長野さんの結婚で思ったこと

長野さんが結婚する4ヶ月ほど前に井ノ原さんが結婚した時のことを振り返った。

今となってはいいタイミングだったなと思う。

私はあの時、ニヤけが止まらなくて困るくらいには嬉しかった。

でもひとしきり喜んだ後、少しずつ湧き上がってきたのはなんとも言えないモヤモヤだった。 

井ノ原さんが結婚発表した時めでたくて嬉しくてそれこそニヤけが止まらなかった私が、その後モヤモヤを抱えることになった理由に今更あえて目を向けてみることにしたのだった。

 

今回の長野さんの結婚をどう見たかといえば9年前とは違いモヤモヤはなかった。

熱愛報道が数年前に出ていたこともあるし、長野さんも今年44歳の立派なアラフォーアイドルである。たとえ結婚発表がきても「そうかあ、ついにかあ…」と親戚のようなノリになる自分が容易に予想できた。そしてやっぱりそうなった。

衝撃はあった。が、祝いながら喜ばしさにニヤニヤしてしまうその感じは、9年前と同じである。

 

お相手については、関係各位に白石美帆さんとの連名でファックスが届くまではっきりしなかった。

それでも長野さんのことだからたぶんそうなのだろうとは思ったし、もしお相手が違う方だったとしたら、私の中での「長野くんらしからぬ結婚」に盛大に取り乱していたかもしれない。

順調にお付き合いをして結婚までいったのだなあと考えると一方的に「らしさ」を感じてしまい、ほっこりしたのだった。

 

 

アイドルが結婚した時、ファンは二分化する。

それは「祝えるか/祝えないか」というよりは、「受け入れられるか/受け入れられないか」なのかもしれない。

 

「ファン」という括りで冷酷に見るならば「既婚者になったアイドルにこれからもお金を落とし続けられるか」という言い廻しもできる。

だが、事実そういうものなのかもしれない。

少なくとも「お金をかけた分だけ奉仕してほしい、そのためにお金を払っているのだから当然だろう」という感情を抱きながらアイドルを支援している方にとってはそんな感じなのではないか、と想像する。

 

結婚とは、「裏切り」なのだろうか。

 

好きになるのも嫌いになるのもこちらの自分勝手な都合だと思っていた私にとっては、「裏切り」という言葉自体があまりしっくりきていない。

逆にそういう言葉を問答無用で投げつけることができない自分は、誠心誠意全力で愛情を注げていないのかもしれない。

でも、好きなアイドルを汚い言葉で一方的に罵倒することができて初めて真のファンになれるのだとしたら正直一生なれなくていい、とも思う。

 

9年前よりもずっと多くの意見がリアルタイムでネットに飛び交う中、暴言のようなものを見かけるととてもモヤモヤしてしまった。

この点が今回はいちばんしんどかった。

あの頃にはまだかろうじてあった「言葉を発することへの慎重さ」は、今はずいぶん薄れてしまったような気がする。

便利な世の中はファンのあり方さえも変化させつつある。

自分の意見を発することで、同じ考えの人と出会い、それを共有できるのは素晴らしい。でもそれがマイナス方向のものだった場合、とんでもない負の感情が同調してさらに増幅させることもある。群れると気が大きくなるのは人間の悪い癖だ。

そしてそこにはもう微笑ましさなどはまったく無く、一見ただの悪口でしかない。

 

もちろん言葉を選んでそのモヤモヤを言葉にしている方や、あえてしばらく発言を控えている方も見かけた。

そういう良心的な文化が残っていることにホッとしてしまうのは、私が現代のネット社会に馴染めていないせいなのだろう。

 

無理してまで結婚を祝う必要は決して無い。

ただ、祝えないことは好き勝手に罵倒していい理由にはならない

 

 

当日夜「ベストアーティスト2016」の生放送

この日は以前から告知されていた通り、19時から日本テレビ系「ベストアーティスト2016」の生放送出演があった。

この番組で思い出されるのは、やはり昨年生放送中にKAT-TUNの田口さんがグループ脱退を発表したことだ。

思わず「今年も何か良からぬことが起こったらどうしよう」というほんのちょっとの不安が芽生えてしまうほどには、あの発表が与えた衝撃は大きかった。

 

その不安を「いやいやあんな衝撃的な発表そうそうあるもんじゃない」と搔き消していたのだが出演当日に長野さんが結婚発表・入籍されたため、2年連続ジャニーズに衝撃が走った日となった。

果たしてがっつり結婚について触れるのか、一言だけで済ますのか、まったくスルーして進めるのか。どういう選択をしたにしても大きな意味を持つことになる。

この先活動していく中で「結婚」をどう扱っていくのか、その大事な一歩目だ。

 

何度も引き合いに出してしまうがやはり脳裏をよぎるのは井ノ原さんの時のことである。

あの時のオープンな結婚発表がもたらした直後の状況を考えると「もうとにかく平穏無事に終わってくれ…」と祈りたくもなってしまう。

 

見たい。結婚当日の長野さんとメンバーの様子をすごく見たい。でも早く終わってくれ。期待と心配が入り混じった妙なテンションだった。

 

番組開始1時間前、ベストアーティストの公式ツイッターではこんなツイートが発信された。

 

何をする気だ。 

どう考えても何かが起こるとしか思えないこの言葉に、後々悪い意味で語り継がれるようなとんでもない伝説を残されでもしたら…と思うと戦々恐々だった。

 

そして長野さんからの結婚報告があったのは、19時に番組が開始してからずいぶんと後、22時台のことだった。

櫻井「さあV6のみなさんにお越しいただきましたけども、本日とても大きな発表がありました!長野さんどうもおめでとうございます!」

長野「ありがとうございます!」

櫻井「ぜひですね、テレビの前のみなさんに一言いただけますでしょうか?」

長野「本当に、みなさんの声援に支えられて、僕たちV6そして今の僕があると思っております。これからも温かく見守っていただけたら嬉しいと思います。そして、応援のほうもこれからよろしくお願いします。ありがとうございます。」 

本人の口から語られる結婚報告はとても丁寧で、きっとしっかりと準備したものなのだろう。それなのに少しぎこちなく、目は心なしかほんの少し潤んでいるように見え、芸歴30年のアイドル相手に「頑張れ!」と言いたくなってしまった。

「見守る」という言葉がこんなにもしっくり来る生中継はなかなか無い。

 

長野さんからの報告が終わりホッとしたところで、続いてメンバーから一言ずつコメントがあった。 

坂本「デビュー21年になって、まぁその前からですね僕と井ノ原もね、だから…あっ!芸能生活30年ですね!」

長野「丸30年経ちました」

坂本「おめでとうございます!」

井ノ原「リサイタルやったほうがいいよ!」

長野「(笑)」

坂本「まぁそんな節目にね、こんな報告受けたので本当に僕も嬉しいです。」

トップバッター・坂本さんのコメントはネクジェネ仕立ての芸歴30年ネタが展開されて、「果たしてこれはお祝いコメントなのか?お祝いコントなのか?」という仕上がりになっていたが、これでかなり空気が和らいだ気がした。狙っていたのかいないのか、さすがリーダーとしての手腕のようなものを感じた。

 

岡田「メンバーの幸せが僕たちの幸せですから。嬉しいです。おめでとうございます!」

森田「おめでとうございます!末長く、お幸せに!」 

三宅「僕が長野くん狙ってたのに残念です。これからも、冷たくしないでください。末長くお幸せに」

井ノ原「長野くん、並びに、ご両家の皆様おめでとうございます。本当に末長くお幸せに。これからも一緒に、よろしくお願いします。」

各メンバー長野さんと目を合わせながら。

受け取る一言一言に笑顔を見せながら、みんなに「ありがとうございます!」と嬉しそうに返す長野さんを見て、「ああこんな光景をこうして見ることができてよかったなあ…」としみじみ思った。

いつものように仲の良さがにじむそのやりとりの中に、この日はなんだか嬉しさや照れが入り混じったようなふわふわした空気もあって、それは長年の付き合いを経たからこそにじみ出る雰囲気なのだろう。

やっぱり、私はグループとしての彼らが好きだ。

 

そして歌のスタンバイに行こうとしたところで、「僕らも祝わせてよ!」という声が。大きな花束を持った城島さんを先頭に、TOKIO・嵐・関ジャニ∞が登場し、これが番組が事前にツイートしていた「ものすごいサプライズ」だった。

その全員とハイタッチしながらまた「ありがとう!ありがとう!」とスタンバイに向かう長野さんを見て、またも「ああこんな光景をこうして見ることができてよかったなあ…」と思った。

 

V6が歌ったのはHONEY BEATとBeautiful Worldのメドレーだった。

HONEY BEATでカメラを指差しながら「笑って 笑って」と歌う姿には、こちらこそ同じ言葉を返したい気持ちでいっぱいになった。

幸せそうに笑っている姿を見ることができるこの瞬間がとても嬉しいし、どうかこれからもずっと笑っていてほしい。

 

Beautiful Worldの終盤では、先ほどサプライズ登場した面々が再びステージ上に登場。

歌うV6の後ろに勢ぞろいする様子はとても豪華で、これが長野さんの結婚を祝福する意味での参加なのだと思うと信じられない。

こんな世界があっていいのだろうか。「嘘みたいなBeautiful World」ってこういうことなのではないか

 

そして最後はジャニーズの面々による長野博胴上げが始まりいよいよお祭り騒ぎである。それも綺麗にはおさまらず「あぶない!あぶない!」とよれよれと着地していたところまで含め、なんと愛しい空間なのだろう。

 

国分さんは「長野くんの幸せはジャニーズ事務所の幸せだ」と言った。 

放送翌日、「ZIP!」で放送された舞台裏インタビューではTOKIOのメンバーはこう語っている。

TOKIOのメンバーへライブの感想を尋ねると、松岡昌宏は「ライブよりも今日は全部長野博ですよ!」とコメント。国分太一も「あの人ね、苦労したんですよ」と長野の結婚を喜んでいた。

長瀬智也が「みんな長野君大好きですから」とコメントすると、松岡は「長野博さんを嫌いだって人はいないと思うよ」と続ける。さらに長瀬が「いたとしたらボコボコにしますね」と発言し、周囲の笑いを誘っていた。 

VTRを見終わった後、スタジオの山口達也は昨日の様子を振り返り、V6の井ノ原快彦が長野の芸能生活30周年を記念したTシャツをメンバーに配っていたことを明かす。さらに「結婚報道を聞いて、うちのリーダーとV6の坂本が(舞台の)袖で肩組んで泣いてました。『次は俺たちだ』つって」と、舞台裏でのエピソードを披露した。

長野博の結婚に、TOKIO城島、V6坂本「次は俺たちだ」涙の舞台裏エピソードを山口達也が明かす - モデルプレス

 

普段一歩引いたポジションに構えている長野さんが間違いなくこの日、主役だった。中心に立ち、メンバーをはじめみんなからもれなく祝福を受けている様子が感慨深くて胸がいっぱいになり、予想はしていたがやっぱり放送を見ながら涙してしまった。

 

結婚発表・入籍の当日に他グループも集まる現場でのお仕事がある。ということは、いろんな人から直接お祝いしてもらうことになるのだろう。

そんな幸せな場面はきっと舞台裏で繰り広げられるだろうからおそらく私が見ることはないはずで、でもそんな光景が存在するのかもしれないと想像するだけで「よかったなあ…」と思えていた。

 

完全に見ることを諦めていたその光景の一部始終を、表舞台の場で見せてもらえたことは本当に驚きだった。

ジャニーズアイドルが結婚しその話題で盛り上がる様子がテレビで見られるのだから、すごい時代である。

 

 

 

長野さんの結婚は私にとってただただめでたく、こちらまで幸せを分けていただいたような気持ちになった。

まもなく1ヶ月経つがいまだにベストアーティスト2016で見たあの光景はあまりにも現実離れしているように感じられて、もしかしてあれって夢だったのでは??と時々思う。

もちろん決してそんなことはなく、夢のような空間ではあったが夢ではなかった。

 

そうして11月29日=いい肉の日は、長野さんの結婚記念日になった。

こんなインパクトのある語呂合わせ、ちょっとやそっとじゃ忘れられないではないか。

そういえば井ノ原さんの結婚記念日も29日だったような…と今一度確認してみると、やはり9月の29日だった。いい肉の日の2ヶ月前、という妙な覚え方をしてしまいそうである。

 

グルメだからっていくらなんでもこんな日付にぶつけてくるなんて、誰が予測できただろう。

さすがというべきか、おそろしいというべきか、最高というべきか、なっとくというべきか。

長野博のなっとくめし

長野博のなっとくめし

 

 

とにもかくにも、長野さんご結婚おめでとうございます。

これからもカッコよく、可愛く、おもしろく。グルメ業・俳優業もこなしながらアイドルしている姿が見られることをこれまで同様楽しみにしております。

末長くお幸せに!

 

 

 

もしもその界隈に神ブロガーが30人くらいいたらネットの世界ってわりと変えられるんじゃないか

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もう何度目のことだろうか、年明け早々東スポさんがV6解散説をぶっ込んでこられた。2017年が始まって10日ほど経った頃のことだ。

 

だからといって個人的にはそこまで動揺するでもなく、またか…と思った程度だった。

解散説が出て、そこから何らかの動きがあったのであれば動揺もするとは思うのだが、何も起こっていない時点で私がするべきことがあるか。いや特にない

 

そもそも私は全くもって平和な時分でさえ「解散したらどうしよう…」と震える傾向のある小娘だった。わりと頻繁に解散妄想で苦しんでいた。

周年を迎えれば「キリもいいし解散したらどうしよう」、熱愛報道が出たら「解散したらどうしよう」、何もなくても「解散したらどうしよう」

常々解散したらどうしようと思っていた時期があり、その結果「過剰に悩むこと」がいかに無駄であったかを痛感している。痛感していると同時に文字どおり本当にイタイ奴だったんだな、と別の意味で震える。会いたくて会いたくて震えることはないがイタくてイタくて震える。

 

過剰にウワサに反応して悩み、神経をすり減らす時期は過ぎてしまった。

なにかと右往左往していた時代がなつかしい。痛々しいなと振り返る一方で、あの頃はまだかわいげがあったなあ…なんて思ったりもするもので、若干さみしくもある。

 

今回はその「2017年度版・解散報道」の噂そのものについて激論を繰り広げたいわけではなく、「解散説が出て世間が騒ぐことでインターネットはどう動くか」というところについて少し書いてみたい。

  

目次

 

 

 

「V6 解散」の検索ワードで上位に表示されていたこのブログ

そもそも私が今回解散報道が出ていると気付いた発端は、自分のサイトのアクセス解析からだった。

 

その背景を説明すると、実は以前このブログで書いたV6解散の噂にまつわる記事が各検索サイトで「V6 解散」で検索すると上位に表示される状態が続いていた。 

 

ブログを始めた頃「無料で導入できておもしろそうなものはとりあえず手を出してみよう!」という心意気だった私は、素人なりに調べておもしろそうだったいくつかのサービスを利用させていただくことにした。

自分のブログが一体どんな検索ワードでひっかかるのか、というところについては「ウェブマスターツール」でチェックしているのだが、これがなかなかおもしろい。

 

ウェブマスターツールはGoogleが無料で提供しているツールで、「自分のサイトがGoogleにどう認識されているか?」がわかる。

サイト運営者には有意義で、知識が浅い私はおそらくその機能のすべてを使いこなせてはいないのだが、それでもおもしろい。

 

今回はそのデータを踏まえつつ、ブログの裏側の部分をちょっと書いてみる。

 

ウェブマスターツールによると「V6 解散」で検索した時のこのブログの掲載順位はこうだった。

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右端丸印の時点が2017年1月7日。この時点でGoogleでの掲載順位が1.9位

この表は90日間分なので、この約3ヶ月の間かなりの上位をキープしていたことがわかる。

 

この結果を見て「マジか?」と半信半疑だった私は実際に検索してみた。なんならGoogle以外の検索サイトでも調べてみたが、大体1番手、もしくは2番手に表示されていた。

 

ちなみにこの頃検索順位のトップを競っていたライバル記事は、2010年に解散説が出た際の「キーッ!メリー喜多川氏が文春に激怒でV6の解散を撤回」といった内容の記事である。

おそらく野次馬としてこの類の情報を求めている人にとっては最高の燃料とも言える記事。なんというか、この見出しの字面からして最高ではないか。最高に、最低である。

ゴシップ情報が大好物であればあるほど最高に魅力的に映るにちがいない。アイドル・熱愛・不仲・マスコミ報道・背後にいる黒幕・ドラマチックかつ一筋縄ではいかない展開、エトセトラ、エトセトラ。ああ、黒い。

 

はっきり言ってしまおう。そもそも「キーッ!」と「メリーさん」という言葉の組み合わせのクセがすごい

率直にもう、目に飛び込んできた時のクセがすごい。あと圧もすごい。めっちゃ強い。

 

何がどうとか真偽がどうとか真面目に回りくどく綴ったところで、私自身はこの言葉だけで少し笑ってしまいそうになっているのは事実だ。

キーッ!って実際に言う人いるのかね…?とどうでもいい疑問が湧いてくる程度には「キーッ!」に引っ張られる。ああ、クセがすごい。

 

クセがすごいだけにキャッチーな記事なのかもしれないが、単なるV6さんの1ファンにすぎない私からすれば大変おもしろくない。拡散したいわけでもないのであえてリンクは貼らない。

 

とにかく、そういった記事が検索で上位に表示されてしまうことに対しては嫌だな、とは思っていた。

「解散」というマイナスの言葉で検索した方の入り口が、極めてマイナス要素が強く悪意に満ちたこの記事になってしまうというのは、まあ。そりゃあ。当然。嬉しくはない。

 

この「私の記事 vs キーッ!メリーさん」の検索順位トップ争い、実はわりと長く続いていた。

昨年の正月にはすでにこの状態になっていた。そしてSMAPの解散騒動が出た直後からしばらくの間トップは「キーッ!〜」になったのだが、理由は言わずもがな。

あの騒動でメリー氏への関心度が上がった結果、記事へのアクセス数が増えそれが順位に反映されたのだろう。

瞬発的にアクセス数が増えると検索順位が一気に上がるというのは何度か経験したことがあるので確かである。

 

2017年の解散報道後、検索順位はこう動いた

水面下ではそんなひっそりとしたライバル関係、といっていいのかわからないが、そういう戦いを繰り広げていた。

クセが強い記事 vs 自分が書いた記事。絶対に負けられない戦いがそこにはある。

一度書いてしまえば後から何ができるでもなく、ただ順位をたまにチェックするだけのどうしようもない戦いである。

 

そんな中、2017年1月10日。私のブログのアクセス数が急激に増えた。

東スポさんが「V6 解散危機」と一面ででかでかと報道したのだ。

 

「報道を知る→興味を持つ→検索する」。

 

この動線が出来上がれば、検索上位にあるサイトはおのずとアクセス数が増える。

そのため報道された瞬間から「V6 解散」で検索する方が増え、ちょうどその時上位に表示されていたこのブログに辿り着く方も増えたのだった。

 

急激なアクセス数の増加、しかもそれらが検索サイトから「V6 解散」のワードで訪ねてきているとなれば、さすがに何かあったんだろうなと予想はつく。

そうして私は、今回の解散報道を知ったのだった。

 

さて、報道されたことで掲載順位がどうなったかというと、こうなった。

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報道当日〜翌日には急激に順位が下がり、それに伴ってアクセス数も落ち着いた。

 

現在検索結果の上位に表示されているのは、ほぼ2017年度版・解散報道を受けて新たに書かれた記事ばかりである。

東スポの記事が火種となり、ネット上にはそこから派生した新たな記事が氾濫する。アクセス数が増えそれらが今現在、上位を占める。書き方は違えど内容は似たり寄ったりで、とりあえずファンからすればおもしろくない記事が並んでいる。 

嘘だろうが真実だろうが、報道されてしまうとネット上には解散絡みのゴシップページが一気に増えるのだ。

 

今となっては、あの戦いの日々さえなつかしい。

解散という物騒な検索ワードのもと、2010年の古くもクセがすごい記事と、ふわふわした残念な1ファンが書いた記事が競い合っていたのだ。そう考えると逆に平和だったような気さえしてくる。アイツ、元気にしてるかな……。

なつかしすぎて変なことを考えてしまった。元気にしてるも何もそのまま消えてくれたほうがありがたい。

 

 

検索順位をひっくり返せ!

自分が好きなものを検索して、その結果の上位にきな臭い記事が並ぶことを好ましく思うファンなどいないだろう。

 

検索サイトを利用していて最近衝撃的なことがあった。

先日、某アイドルのことを調べようと思いフルネームを打ち込んで検索した。

こういう場合大抵は公式サイトなりwikipediaなりがトップに表示される。ところがどっこい、それらのページをすっ飛ばしてトップに熱愛スキャンダルについてまとめられたページが表示されたのである。

 

まさかの、熱愛ゴシップ>プロフィール。

 

その騒動のことを全く知らなかった私は目玉が飛び出るほど驚いた。とりあえず言いたい。LINEの流出、ダメ絶対

 

フルネームで検索した結果、当人にとってマイナスにしかならないであろうページがトップに表示されたことになんとも複雑な気持ちになった。入り口がすでにマイナスなのだから損でしかない。

うわああ…というかあ〜…というか、ため息も出る。これはいかん、としか言いようがない。事実だとしたらやっちまったな!だし、捏造ならやられちまったな!である。どっちにしろ良くない。

 

ましてやフルネームで検索をするような人の中にはファンになる一歩手前くらいの人もいるかもしれない。ウキウキ気分で検索してこの結果が表示されたら、と想像してみて軽く絶望した。真偽云々はともかくとして、熱に浮かされた心を一旦折るには十分だ。

ちなみにそのゴシップはSNS発信のものだったらしくデカデカと報道されたわけでもない。ますます不憫である。インターネットの情報拡散力おそるべし。

 

果たしてこの検索順位がひっくり返る日はいつになるのだろうか。一刻も早く、せめてプロフィールが一番手で表示されるようになりますようにと願うばかりである。

 

できれば上位にもっと好意的な記事があふれてほしい。

そのためにはそれを覆すような、挽回する記事が生まれなければならない。良い意味で話題になるような仕事をして、人を惹きつけて、プロにしろアマにしろ記事を書かせなければならない。

自分のことを推して推して推した記事を書いてもらってそれが拡散されるくらいに"アイドル"をして、時にはファンを焚きつけなければいけないのかもしれない。 

 

なんとも残念な状態になっている検索結果を見ていて、これをひっくり返すには何がどうなればいいんだろうなぁとふと考えた。

本人の努力は当然必要だとして、単純にめちゃくちゃ文章力のあるファンがついて良質の情報を提供しつづけたら多少ひっくり返るんじゃないのか?と想像したのだ。

それはこの「熱愛ゴシップ>プロフィール」問題だけに限って言えることではないような気もする。

 

もしもその界隈に圧倒的な文章力を持つ神ブロガーが30人くらいいたら、ネットの世界ってわりと変えられるんじゃなかろうか。

  

検索順位をひっくり返す、それはある意味世界をひっくり返すことだ。特に、ゴシップ記事が相手であるのならなおのこと。

もしかして、ノリで勢い任せに大口を叩くのなら「検索順位をひっくり返せ!」くらいの気概でいるべきなのかもしれない。

 

はてなブログの辺境の地、このブログにまでたどり着いている方であるならば「神ブロガー」という言葉から連想するブロガーが何人かいらっしゃるのではないか。

そういった神々が全力を出せばネットの世界ってほんのちょっと動くのでは?という"もしも"を想像するのは、夢がある。

ファンだけでなくてそれ以外の人も惹きつけて巻き込んで世界を変えてしまうような神、求む。その場合においては「検索順位をひっくり返してください!」、だ。

 

 

「検索」という部分に関してはツイッターは弱い。瞬発的な拡散力はあるのだが、検索サイトの結果に組み込まれ後々にまで残っていくかといえば、そうでもない。

爆発的に拡散されるようなツイートに出くわした時「これ絶対ブログとかで残したほうがいいのに…!」とたまにやきもきする。

たとえば好意的な長文、を長すぎるからと画像として貼り付けてあるもの。そもそも文を画像にしてしまっているのだから検索では引っかからない。もうこの時点でもったいなく感じる。

しかし「長文を画像でサクッと読めるからこそ拡散される」というのもツイッターの特徴なので、このあたりの兼ね合いは本当に難しい。

 

一過性で終わるには惜しいようなものが日夜生まれては消費されていく。

ツイッターの時間の流れは早すぎる。こうしてあっという間に全部過ぎ去っていくのか、なんてたまにゾッとする。

 

 

 

「V6 解散」の検索順位の話に戻るが、一旦は33.4位まで下がったこのブログの順位は1月28日時点で15.0位まで戻った。

1ファン的には全然おもしろくない記事たちに一気に追い抜かれたものの、結局付け焼き刃で書かれた憶測記事の寿命はそんなに長くないのかもしれない。

果たしてここからどう順位が変動していくのか、ひっそりと観察を続けていく。

 

「ひっくり返せ!」とかほざいたわりに、過去に書いた記事に対しては傍観することくらいしかやることがない。加えて地味に重要だと思っているのが「記事を消さないこと」。 

そしてこれから書いていく記事で「ひっくり返せ!」ができるかと言えば、そんなことを狙ってできているのなら私はすでに神である。地道にコツコツやっていくしかない。

 

このブログの検索順位の件で明るい話題を引っ張り出してくるなら、最近「坂本昌行」で検索すると1ページ目にこの記事が表示されることがある。

書いた直後はもちろんこんな上位にいたわけもなく、何ヶ月も経った今になってようやく上位に食い込んできた。思わず「今?!」と心の中でツッコんだほど遅咲きである。

何がどうなったのかよくわかっていないが、とりあえずこの記事自体も地道にコツコツと上がってきたようだ。地道にコツコツ遅咲き。トニセンか。

 

 

自分が書いた記事が検索結果の上位として掲載されるということは、人様の目に触れる機会が増えることにつながる。

それはそれは光栄で、それはそれは恐ろしい

 

理想を言うなら一過性で終わらないような、後々見返しても何かの足しになるような記事を書いていきたいものである。

 

 

と、2017年が始まりまもなく2月に突入するという遅すぎるタイミングで、今年の目標を述べるのであった。

本年もなにとぞ、ゆる〜くお付き合いくだされば幸いである。 

 

 

 

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